前回、算数の教科書の変化について書きました。
今回は、6年社会の歴史の教科書の変化について紹介します。


まず、「仁徳天皇陵」が「大仙陵古墳(大山古墳)」に変わりました。
仁徳天皇については実在したかも定かでないようです。
次に「聖徳太子」ですが、一時「厩戸皇子」に変わりかけましたが、世論の強い反発によって「聖徳太子」も存続することになりました。
 

日本最古の貨幣が「和同開珎」から「富本銭」に変わりました。
これは実物の富本銭が発見されたので変わったわけですが、実はもっと古い貨幣も存在したという説が有力なので、今後も変わる可能性が高そうです。
 

645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討ち取った事件は、「大化の改新」ではなく「乙巳の変」に変わりました。
その後の政治改革が「大化の改新」であり、それが646年です。

 
鎌倉幕府の成立は1192年でなく1185年に変わりました。
以前は「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えましたが、これからは「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」と覚えましょう。
なぜ変わったかというと、源頼朝は1192年に征夷大将軍に就いたのですが、その前に1185年には「守護」や「地頭」を任命するなどして実質的に幕府の制度を整えていたからです。
 

「応仁の乱」は「応仁・文明の乱」に変わりました。
戦いの大半は「文明」に改元した後だったからです。
江戸時代の「踏絵」は「絵踏」に変わりました。
「踏絵」は踏まれる絵のことで、踏む行為は「踏絵」だからです。
 

歴史の教科書は、歴史の専門的研究が進展して、新しい歴史的事実が発見される度に書き換えられます。
ですから、今の教科書に書いてあることも、実は本当の史実とは全然違っているのかもしれません。

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