~子供は子供の、大人は大人の読み方で。人生に感動しエネルギーをもらおう!~

●伝記は人生を考えるときの栄養

伝記や偉人伝の面白さは、ひとことで言うなら、フィクションにはないインパクトでしょう。

子供を持つ親御さんたちには、「小学校三年生ぐらいになったら、ぜひ伝記・偉人伝に触れさせてあげてください」と伝えていますが、偉人伝として残るような人たちは、みんな高い志をもって目標に向かって努力し、幾多の困難を乗り越えてそれを達成した人たちです。

その生き方を、実際にあったこととして知ることは、子供たちが自分の将来や人生を考えるときの大事な栄養となってくれます。

最近の子供向けの伝記には、現代の偉人として宇宙飛行士やアスリートをはじめ、藤子・F・不二雄や手塚治虫、ウォルト・ディズニーといった人たちも取り上げられています。学習マンガのかたちで出ているものも多いですから、ずいぶん読みやすくなっていると思います。

●偉人に刺激を受ける

私自身、読書が好きで、小さい頃から偉人伝も数多く読みました。中でも印象に残っているのは、定番中の定番ですけれども、野口英世です。赤ん坊のときに囲炉裏で左手に大火傷を負い、それが原因でいじめられながらも、医者を志して猛勉強し、医学研究者として世に名を残したわけですから、半端じゃない努力人間です。

そうした話を小学生のときに読めば、子供ながらに、努力と志の高さに刺激されるものです。「すごいなあ。頑張ってるなあ。でも自分は頑張ってないなあ」と(笑)。

あとはヘレン・ケラー。これも定番ですけれど、幼いころの自分にはインパクトがありました。

大学生ぐらいになって刺激を受けたのは、内村鑑三の『代表的日本人』で取り上げられた二宮尊徳や中江藤樹、上杉鷹山などでした。伊能忠敬にも、心動かされましたね。

●子ども向けの伝記とは

偉人伝とは、高い志を持って努力する人のストーリーで、必ずといっていいほど挫折がつきものです。挫折があって志を立て、実現のために努力する。そこでまた挫折し、さらに努力を重ねる……の繰り返しで、最終的には志や目標を達成するというパターンです。

だからこそ読み手を「いまのままじゃいかん。自分も志は高く持ちたい」という気にさせてくれますし、子供にとっても大人にとっても「目標を持って頑張ろう」というエネルギーになるんです。

ただし、子供向けのものは道徳教材として作られていますから、その人のいい面が強調されているものが多い。野口英世にしても、実際は自己中心的で浪費家といった面があるけれども、そこは子供向けでは描かれません。

アップルコンピュータの創業者であるスティーブ・ジョブズも、亡くなったのは二〇一一年ですが、すでに「偉人」として、子供向けの伝記マンガが出ています。三種類ほど出版されていますが、読むと内容がけっこう違います。

情熱を持って偉業を成し遂げた、現代の偉大な人物という面を強調したものもあります。その一方で、偏屈で言いたい放題、やりたい放題の性格でもあったわけで、その部分を描いているものもあるんです。

子供にとっての偉人伝は、要は「こんなすごい人がいるんだ! 自分も頑張ろう」という思いを与えてあげられるミルクのようなものですから、徳目にはまらない部分は、基本的にはカットされるんですね。

●大人にとっての偉人伝は文学

一方で、大人になるとリアリティのあるものを読みたくなります。裏表含めて、一人の人間を丸ごと描くものでないと読んでいて面白くない。そうした意味で、大人にとっての偉人伝は文学なんですね。そこが道徳教材としての偉人伝との明確な違いでしょう。

『ガンジー自伝』(中公文庫)は、私にとっては大変に衝撃的でした。インド独立の父と言われた聖人ですよね、ガンジーは。非暴力の抵抗を貫き、世の中的には、誰もが二十世紀を代表する偉大な人物として認めています。

ところが前半生が記された自伝を読むと、非常に性欲の強い人で、性生活の葛藤についても赤裸々に書いてあり、聖人のイメージがガラガラと崩れていく(笑)。

「なぜそこまで書いたか?」と思いますけれど、赤裸々に書いたことで尊いだけの聖人として終わらず、かえって偉大さが増した面もあるわけです。独立解放へのエネルギーと性へのエネルギーには分かち難いものがあるのかなと思ってみたり……。

そこから何を、どう読み取るかはそれぞれだと思いますが、偉人とされている人たちの生々しい面に触れることができるのも、文学としての偉人伝の面白さですよね。

●ノンフィクションの魅力

人間はもともと偉人伝的なものが好きなんですよ。フィクションにはフィクションのよさがありますが、やはり作り物であることは否めない。事実のもつ重みを感じさせてくれるのがノンフィクションの強みで、そこから何かを得たいと、人は思うものです。

ある程度の年齢になると、その傾向は強くなります。五十歳を過ぎると史実を記した歴史ものを読みたくなったりするのも同じです。歴史ものは基本的にノンフィクションですから。

たとえば司馬遷の『史記列伝』とか、中国の十八の歴史を解説した『十八史略』は中国の歴史書ですが、その時代に生きた人たちの物語が綴られているという意味では、これらもある種の伝記だといえます。

●自分と偉人を比べてみる

私は陳舜臣さんの小説版で『十八史略』を読みましたが、騙し合いの応酬で家が滅んだり、国が滅んだり、とにかくドロドロですさまじい。読むと人生観が歪みそうになります(笑)。

でも、「この状況に比べたら、自分がいま悩んでいることなんて屁でもないな」と思えたりする。伝記にはそういう効果もあります。 

ですから、人生に迷っている人や、挫折を味わっている人は、伝記や偉人伝を読んでみるのもいいですよね。これは、大人ならではの読み方です。

人によっては、人生のストーリーはすでにわかっていて、読んでも新しい情報が得られるわけではない伝記もあります。

伊能忠敬なんかは多くの人にとってそういう存在だと思うんですが、五十を過ぎてから努力を重ねて日本地図を完成させた伊能忠敬の人生と自分をシンクロさせることで、「自分もまだこれから、何かやれるのではないか」と、元気な気持ちになれるかもしれません。

偉人の頑張りに刺激を受けてエネルギーをもらえるといった側面も、偉人伝のよさです。元気がないときに読む一冊を決めておくといいと思いますよ。

●テレビやネットでも触れる

伝記や偉人伝というと〝本で読むもの〟というイメージがあると思いますが、テレビ番組でも伝記的な要素を持っているものがあります。

ひと昔前であれば『知ってるつもり?!』という日本テレビの番組がありましたが、これも世の中で活躍した人を幅広く取り上げた番組で、まさに映像的な伝記そのものです。

いまであれば、NHKで放送されている『歴史秘話ヒストリア』があります。歴史上の人物や事件をテーマとした番組ですが、あまり知られていない裏の話なども取り上げていて面白いですね。

『爆報!THEフライデー』(TBS)という番組もあります。芸能界やスポーツ界で一世を風靡した人の、誰も知らない紆余曲折、悲喜こもごもを紹介するといった、いわば三面記事をテレビ化したようなものですが、人生を描くということでは、伝記そのものといえます。

バラエティ番組ですから、事実の誇張は多少あるかもしれません。でも、大成功をおさめた人が大病を患ったり、人間関係でトラブルになったり、ビジネスを始めてとんでもない借金を背負ったりして、「このままじゃじゃいかん」と再起するという基本パターンは同じです。

出てくる人たちは「偉人」とは言えないけれども、身近なところで生き方を考えるモデルになると思います。

そう考えるとテレビもあるし、ネットもあるいまは、映像を通して多様な伝記や偉人伝に触れることができる時代でもあるわけですね。

●身近なところから学ぶ

もっと身近な伝記ということでいえば、祖父母やおじさん、おばさん、親の人生があります。私は、子育て中の親御さんには「親の話は最も身近な伝記。ですから子供の頃の話をしてあげてください」と、よくお話しています。

私自身も、母や明治生まれの祖母から、いろいろな話を聞きました。祖母の人生は、貧乏農家に生まれて、奉公に出て機織り工場の女工さんになったというもので、そこで出てくる話はちょっとした女工哀史。

さらに嫁いだ先も貧乏だったから、爪に火をともすような生活だったと。祖母は大変ケチな人で、「なんで、おばあちゃんはこんなにケチなんだろう」と思っていましたが、この話を二十代の頃に聞いて「そうだったのか」と理解することができました。ごく身近に女工哀史があったことも驚きでした。

大伯父からは戦争中の話も聞きました。生死隣り合わせの経験をして、何度も命拾いをし、南方から生きて帰ってくることができたという話をしてくれたのですが、身近な人から聞くとやはりインパクトがあります。戦争体験の話ができる人も少なくなってきていますから、貴重な機会ですよね。

高齢の親から話を聞くのも、あるいは自分が子供や孫に話して聞かせるのも、立派な伝記なんです。聞けば、その人をより立体的に、深く理解することができる。そこから愛情がさらに深まったり、感謝の気持ちが湧いてきたりする。人間として共感したり、人生の勉強にもなる。昭和史を知ることにもつながります。

世に名を残した偉人の伝記もいいのですが、身近なところにも意外と波乱万丈の人生ドラマがあったりします。たとえ波乱万丈でなくても、一人ひとりがいろいろな人生を歩んでいるものです。

そもそも、祖父母や親、親しい親戚といった身近な人であっても、その人の人生については、ごく一部しか知らないことのほうが多いんですよね。自分のごく近しい人の人生物語は、味わいの濃い「生きた文学」だと思います。

●スポーツ選手も一つの偉人伝

過去の生き方を知って自分の生き方の灯明にする。それが伝記の醍醐味でもあります。そういう意味では、スポーツ選手の活躍や、その裏にある努力も伝記になりうるし、スポーツ紙なんかも一種の伝記を扱っているといえます。

フィギュアスケートの羽生結弦選手や野球のイチロー選手の人生は立派な偉人伝ですよ。読めば「すごい人だなあ」と感動しますから。

またスポーツ中継なども、選手の試練や努力の裏話、現在に至るまでのヒストリーが必ずと言っていいほど紹介されます。それもいうなれば、選手の伝記です。これまでにどういう試練があって、どういう努力をしたかが紹介されることで、観ている側の感動はさらに深まるわけです。

●忘れないことが大事

ただ、そういう話を人はすぐ忘れてしまいます。「感動をもらった」と言いつつ、その感動を糧に、自分の生き方や人生を頑張るという方向には、なかなかいきません。

テレビやネットの情報の中にも、伝記はたくさんあって、いろいろな人の人生の物語に短時間で手軽に触れることができるけれども、その分、伝記が本来持つ影響力といったものは弱まっているかもしれませんね。

現代社会は細かな情報が泡のように次々と出ては消えていきますから、知って感動して、それで終わってしまう。一分で感動して、一分で忘れ去って、伝記が消費されているともいえます。

いまの自分はどうなのか、これからどう生きていくべきなのかなど、自分を振り返るきっかけにしたり、目的意識をもって「自分も頑張ろう」と発奮したりすることが大事なのです。でも、そこにつながりにくいのが、ネット情報やゴシップ情報の伝記の弱点です。

●一つの人生にじっくりと向き合う

だから、ときには時間をかけて、じっくりと長大な伝記を読むことも有意義だと思います。ボリュームのある長編の伝記を読んで、一つの人生に向き合うと、やはり感動の深さが違います。

「スティーブ・ジョブズが感動した本」として紹介されていた『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版)などは、まさにそうした一冊かもしれません。私も若い頃に読んで、深く感動しました。

ヨギとはヨガ行者のことですが、読むとヨガの概念が変わりますし、人生観も刺激されます。A5判サイズで、五百二十四ページというものすごいボリュームですし、一ページが細かい字の二段組みですから、読み切るにはかなり体力を要します。私自身、半年かけて、少しずつ読み進めていきました。 

この本にしても、『史記列伝』や『十八史略』にしても、決して手軽には読めません。けれども、ある意味、お手軽な伝記が増えているからこそ、自分と向き合いながら長い時間をかけて読むということも、あっていいのではないかと思います。

初出:『望星』(東海教育研究所)2015年3月号


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