数年前、1年生の子供たちを連れて近くの小さな牧場に行きました。
そこでは、うさぎ、モルモット、子馬、猪、羊などが飼われていました。


羊は全部で20頭くらいで、木の柵の中で放し飼いにされていました。
誰でも自由に入って餌をやったり、触ったりして良いことになっていました。


そこで、1年生の子供に混じって私も中に入りました。
私にとっては初めての経験でした。


しばらく柵の中にいて、私は羊という動物に呆れてしまいました。
彼らには何かに立ち向かうという気持ちは全くないようなのです。


5歳くらいの子がよちよち寄っていっても、ただひたすら逃げるだけです。
そして、20頭もの羊が静かに隅にかたまります。
そこに、別の子が寄っていけば、さらに小さくかたまり、身を寄せ合います。
これ以上かたまれないところまでくると、誰もいないところから河の水が決壊するように逃げ出します。


羊と言えば、従順、大人しい、気が弱いというイメージを、何となくみんな持っていると思います。
私もそういうイメージを一応は持っていました。


ですが、これ程とは知りませんでした。


そして、よく考えてみると、私は一度も羊に接したことがないのに上のようなイメージをいつの間にか持っていたのです。
それは、本や紙芝居や映像などで与えられたものだと思います。


実に、私は40歳を越えて初めて本物の羊というものを直に知ったのです。
もちろん、ほんの少しの体験に過ぎないのですが、今まで皆無だったのに比べれば大きな一歩です。


そして、なぜ、羊が従順なものの代名詞になっているのかとてもよく分かりました。
深く納得したという感じです。
まさにぴったりだと感じました。




ところで、このように本物を知りもしないのに知っているように思っていることは、かなりあるのではないでしょうか?


本や写真やテレビやインターネットで見たり読んだりしたものを、私たちは知っていると思いこんでいるのです。


私は、縄文時代の火炎土器を初めて見たとき、とても感銘を受けました。
本物の火炎土器はそのユニークな造形と圧倒的な迫力で、私の目を釘付けにしました。


さらによく見ていると、模様の造形が丁寧なところと少し雑なところがあるのに気が付きました。
一生懸命作っていて疲れたのかな、もしかしたら締め切りでもあって焦ったのかな、などと楽しく空想してみました。


1万年前の作り手がとても身近に感じられました。


今から数年前に青森県の三内丸山遺跡で縄文ポシェットを見たときは、何かとてもほのぼのとした気持ちになりました。
現代の女の子が持ち歩くのと全く同じポシェットが、1万年前に作られていたのです。


そのポシェットを下げて楽しそうに歩く縄文人の姿を、想像してみました。
もしかしたら、好きな女の子へのプレゼントだったかも知れません。


これらの体験で、私は縄文時代をとても身近に感じるよになりました。
バーチャル情報にいくらたくさん触れても、このような気持ちは育たなかったと思います。




初めてドーム球場で野球の試合を見たとき一番心に残ったのは、グランドの色の美しさでした。
そして、そのグランドに選手たちのユニフォームの色が映えて、とても美しいと思いました。
球場というものは野球というドラマが演じられる一つの劇場空間なのだと、感じました。


だから、歌舞伎の劇場のように美しいのです。
これは、テレビで野球を見ていたときには一度も感じなかったことです。


プロサッカーの試合を見たとき、偶然試合球に触ったことがあります。
そのあまりの硬さに驚きました。
こんなに硬いものを蹴ったりヘディングしたりするのかと、驚嘆しました。


そして、実際選手がボールを蹴るところを間近でみると、そのボールのスピードがまたすごかったです。
そして、選手の腿の太いことにもびっくりしました。
サッカー選手は人間離れしていると思いました。


その前と後では、テレビでサッカーの試合を見ても、何かしら受け取るものが違います。
キーパーのゴールキックを見れば、あんなに硬いものをよくあれだけ遠くまで蹴れるものだと感じないわけにはいきません。




皆さんも、このように、本物に触れて認識を新たにした経験があるはずです。
人は、本物に触れることで、バーチャルな情報や知識では得られなかったものを得ることができます。


また、物事に対して、自分のオリジナルな感想や意見を持つことができるようになります。
それが、人を個性的にし、独創性を育むのです。


バーチャルな情報や知識ばかりでは、画一的な感想や意見しか生まれてきません。
というのも、それらは、全て別の誰かによって加工された借り物だからです。


しかも、不特定多数に向かって大量に発信されたものがほとんどだからです。
そのような情報や知識ばかりに寄って立つ人が、個性的になることなどありえません。




本物体験というと、私は以前教えたある2年生の女の子は、思い出します。
その子は、今の時代には珍しいくらいに本物体験が豊富な子でした。


金魚やモルモットなど生き物をいっぱい飼ったり、自分でいろいろな物を作ったりするのが大好きでした。
アウトドアの活動も大好きでした。


お父さんが、本物経験を大切にする人でしたので、その子と一緒にいろいろなことをやって楽しんでいました。


ある月曜日に、手に包帯を巻いて登校してきたので、どうしたのか聞きました。
そしたら、「蛸をつかもうとして、蛸に噛みつかれた。」とのことでした。


私は、蛸が人を噛むという話を聞いたのはその時が初めてで驚きました。
同時に、この子らしいなあと妙に感心したものです。


その子は、作文も話もとてもおもしろかったです。
他の子にない体験をたくさんしているのですから、当然です。


それに、何をするにも、自分のアイディアをいっぱい出して取り組む子でした。
とても個性的で、ユニークで、面白い子でした。




ですが、こういう子は珍しいと言わざるを得ません。
今の子供は、総じて体験が不足しています。
物心ついた頃から、身の回りにはバーチャル情報があふれています。


ですから、実際は知らないのに、知っているように思っています。
そして、自分は実際には知らないということに気付いていません。


やたらといろいろなことを知っているのに、物事に対して自分の考えを持てないという傾向もあります。
頭では知っているのに、それが自分の生き方に全く役立っていないような子もいます。
知識はあるけど知恵がないという状態です。


生き物を飼ったり撫でたりした経験がいっぱいあって初めて、生物の勉強が意味あるものになるのです。


美術館で本物の芸術品に触れることで、子供の芸術的感性が大いに刺激されます。
戦争や空襲の遺品を博物館や資料センターで見ることで、戦争の悲惨さへ思いを至らせるようになります。


自分の家のゴミ出しを手伝ったり、地区の分別作業に参加したりすることで、環境問題を自分で考えるようになります。


車椅子利用者と一緒に行動したり、老人介護を手伝ったりすることで、福祉社会の実現についての自分の考えを持てるようになります。
家族の食器を洗うことで、いつもやってくれている人の大変さが分かり、感謝の気持ちが湧いてきます。


このような本物体験こそが、今の子供たちにとって最も大切です。
もちろん、大人にとってもです。
そこから、自分の考えを力強く語れる個人が生まれるのです。


夏休みなどの長期休暇は、日頃できない体験をするのにはもってこいです。


ただし、安全の確保には十分な配慮をしてあげてください。
油断大敵です。