私は、秋の虫の鳴き声が大好きです。

特に好きなのは、松虫の「チンチロリン」です。
鈴虫の「リーン、リーン」やエンマコオロギの「コロコロリーリー」も大好きです。

清少納言も、枕草子の中で次のように書いています。
「虫は 鈴虫。松虫。はたおり。きりぎりす。蝶。われから。ひをむし。螢。」
ただし、今の名前と少し違うようなので、注意が必要です。
清少納言が言う鈴虫は今の松虫であり、松虫が今の鈴虫であり、はたおりが今のキリギリスであり、きりぎりすが今のコオロギです。

つまり、清少納言が真っ先に挙げているのは「チンチロリン」と鳴く松虫で、2番目が「リーン、リーン」と鳴く鈴虫であり、私と同じというわけです。

文部省唱歌の「虫の声」の1番も、次のようになっています。

あれ松虫が鳴いている チンチロチンチロチンチロリン
あれ鈴虫も鳴き出した リンリンリンリンリインリン
秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫の声

ここでも同じ順番です。
松虫の鳴き声にある、どこかしら哀愁を感じさせる響きが、私たちの心をとらえているのだと思います。
それが、1000年以上も前から現代に至るまでの人気の秘密に間違いありません。

我が家では、つい最近の8月下旬まで、毎晩玄関にあるかごの中で鈴虫が鳴いていました。
8月下旬ともなれば、朝晩の空気の温度はそれ以前とは少し違ってきます。
夕方になっても家の中には日中の暑さを含んだままの空気が残っているのに、窓からは明らかに初秋の涼しい風が入り込んできます。
その頃になると、鈴虫の鳴き声がだんだん弱々しくなってくるように感じられました。
それまでは、少しやかましいくらいに感じていたのが、だんだん物悲しくなってきました。
それは、生きて鳴いている雄が減ってきたからそう感じるのかもしれません。
その物悲しさが、晩夏の、そして初秋の気配をさらに色濃く感じさせてくれました。

そして、とうとう鳴き声がしなくなりました。
翌日見てみると、かごの中に生きているのは雌ばかりで、雄はもう1匹も動いていません。
中には、体の半分を雌に食べられてしまった雄もいました。
産卵のために栄養がいる雌のために、鈴虫の雄は体を差し出すのです。
哀れなるかな、鈴虫の雄よ!
リーン、リーンというあの涼しげな声も、実は雌を求める必死な鳴き声だったし、その果てにあるのは自分の無惨な最後だったのです。

でも、無惨と感じるのは、人間が己の狭いエゴを投影しただけのことかもしれません。
しかし、この一連の流れの中には、やはり命の連鎖とか物の哀れを感じざるを得ません。
そして、このような虫との付き合い方を、私たち日本人は1000年以上も前からしてきたのです。
そして、このような虫との付き合い方が、私たちの繊細な情感を形作る要因の一つであったことは間違いありません。

虫の鳴き声を意味ある声としてとらえるその感性が、命あるものへの哀れみの情を抱かせるのです。
虫の一生に人生の無情を感じるその感性が、生きることの意味を深く探ろうとするきっかけになるのです。

現代でも全く同じで、虫を愛でることで得られるものは、ただ単に理科の勉強になるなどということ以上のものです。
そもそも平安時代から私たちの先人が虫を愛でてきたのは、理科の勉強のためではなかったはずですから。

このような感性をぜひ次の世代にも継承していきたいと、私は願っています。
風土に根ざしたこのような感性を継承していくことは、文化の根っこを継承することでもあるのです。
そして、それはただ放っておいたのではできません。
今、子供たちが自然に触れる機会は急激に減っているのですから。
大人たちの意識的な努力が必要なのは明らかです。

今の子供たちの中で、松虫や鈴虫などを飼ったことのある子がどれだけいるでしょうか?
虫かごに入れて、身近でその音色を味わったことがある子がどれだけいるでしょうか?
羽を擦り合わせて懸命に鳴く姿を見たことがあるでしょうか?
土の中に産み付けられた卵からかえった2ミリメートルくらいの鈴虫が、脱皮を繰り返して成虫になっていく様子を観察したことがあるでしょうか?
雄が雌に食べられる共食いの様子を見たことがあるでしょうか?

ぜひ、ここは一つ大人たちから仕掛けて欲しいところです。
まず、自分で秋の虫を飼ってみることをお勧めします。
まず、自分で秋の虫の鳴き声を味わってみてください。
これは、大人の高尚な趣味にもなりえます。

実は、今現在、大人のかなりの部分が自然との触れ合いが不足しているのではないでしょうか?
大人たちは、子供の頃、今の子供たちよりは豊かな自然体験をしてきたはずです。。
ですが、それからずいぶん年月が経ちました。
大人になってからは、ほとんど自然体験をしていないという人が多いのではないでしょうか?
実は、今一番自然体験が不足しているのは大人たちなのです。

大人が楽しそうにやっていれば、子供も興味を持ちます。
飼育もそれほど大変ではありません。
鳴き声を堪能した後は、産卵を経て、来春の卵の孵化までたどりつければ最高です。
小さい幼虫が出てくると、絶対感動しますよ。

そのためには、雄と雌が必要です。
店に行けば売っています。
なにも野原で取らなくても良いのです。
本当はそうすれば良いのですが、実際はかなり難しいことです。
最初から欲張らない方がよいと思います。
江戸時代にも虫売りが繁盛していたというのですから、昔から飼いたい虫を捕まえるのはなかなか難しかったのでしょう。

親がこういう虫を飼って子供に自慢してやってください。
そのうち子供もやりたくなること請け合いです。

最後にもう一つ、鳴く虫を飼ったらぜひやってみて欲しいことをご紹介します。
それは、虫の鳴き声によくよく耳を傾けて、その鳴き声を自分なりに表現してみることです。
松虫の鳴き声はよく「チンチロリン」と表されますが、実は自分の耳でよくよく聞くと必ずしもそのように聞こえるとは限りません。
けっこう、「リリーン、リリーン」とか「ピューン、ピューン」などというようにも聞こえてきます。
犬の鳴き声が「ワオワオ」とも「バウバウ」とも聞こえるのと同じです。

どう聞こえたかを口で言ったり紙に書いたりすると、とても面白いと思います。
親子で遊びながらやってみてください。
これは、情緒豊かでなおかつ知的な遊びといえます。
これも立派な楽勉です。
平安時代や江戸時代にも、やっていたのではないでしょうか?
絶対やっていたはずだと、私は確信しています。

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