コロナ禍をきっかけに、多くの人が自分の人生や生き方について次のような根源的な問い掛け・振り返りを始めたように思います。


自分はどう生きたいのだろうか?
自分は何をしたいのか?
本当に大切なことは何だろう?




●将来のために現在を犠牲に


この問い掛けについて、先日読んだ徒然草の一節が心にとても響きましたので、現代語訳で紹介します。


【徒然草・第188段「或者(あるもの)、子を法師になして」】


ある者が、子どもを僧侶にして、「学問して因果の道理を知り、説教して生活の手段とせよ」と言った。


子どもは、その教えのままに、説教師になるためにまず乗馬を習った。


輿(こし)や牛車を持たない身で、仏事の僧として招かれたとき、馬などを迎えに寄こした場合、乗り方が下手で落馬するのが心配だったからだ。


次に、仏事の後、酒などをすすめることがあるような場合、僧侶にまったく芸がないのも主催者が興ざめに思うに違いないということで、歌謡を習った。


2つの技がだんだん、熟練の域に達したので、もっと上手になりたいと思って頑張って練習しているうちに、説教を習う時間がないまま年を取ってしまった。


以上が「徒然草」の一節です。


簡単にまとめると、この人は説教師になるために、説教ではなく、乗馬や歌謡を習い始め、その2つに熱中している間に年を取ってしまった。


つまり、本当に大事なことを忘れて、脇道に時間を費やしたわけです。
言い換えると、「将来」のために「現在」の貴重な時間を犠牲にしたのです。


これを、昔の愚かな人だと笑ってばかりもいられません。
なぜなら、私たち現代人も同じようなことをしているからです。

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オトナンサー

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