私は、東洋経済オンラインに次の記事を書きました。

今回は、そこに書き切れなかったことを書きます。

東洋経済オンラインの記事には、国語の記述式問題の採点には公平性の点で大きな問題があると書きました。
もっとはっきりいうと、そもそも「50万人分の記述式問題の解答を1万人の採点者が20日間で公平に採点する」ことなど不可能なのです。

50万人の受験生ですよ!
これほど大規模な試験では、従来のマークシート方式が一番合理的であり、またそれしか方法はないのです。
それに、今まで大した混乱もなくやってきているという実績もあります。

では、これほど苦労しながらも記述式問題を出すのは、なぜなのでしょうか?
文部科学省のサイトで、「なぜ記述式問題を導入するの?」の項目には、次のように書かれています。

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以下引用

 記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価することができます。

以上引用
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ここには非常に理想的なことが書かれています。
まさに、文句のつけようがない正論です。
その結果、理想論に引きずられて、できもしないことをやり始めて大混乱しているというのが現状です。

そして、「理想論に引きずられて大混乱」というのは今に始まったことではありません。
日本の「教育改革」は常にこういうことを繰り返してきています。
まず始めの会議で、「有識者」たちが素晴らしく理想的なことを語り合います。
「○○審議会」「○○教育審議会」などと呼ばれる会議です。
そして、できあがった理想像を発表します。

この場合、現状はどうなのかとか、実際にそれできるのかということは、ほとんど問題にされません。
なぜなら、この「有識者」たちは、実際の現場を知らない人たちで構成されることが多いからです。
スポーツで実績があった人、メディアで著名な人、文化人、政財界の大物などだったりします。

そして、それを受けて役人たちが実際の作業に入ります。
すると、だんだん「これは無理だよね」ということがわかってきます。
でも、もう発表してしまっているので後戻りできません。

役人や現場に近い人たちが、一生懸命つじつまを合わせようと、発表された文言をいろいろに解釈しながら何とか形あるものにしていきます。
今回の大学入試改革も今この段階です。

紆余曲折を経て何とか実行段階に入って、さらにいろいろな問題が表面化してきます。
そして、何年かやってから取りやめになったり、いつの間にかフェードアウトしたりします。
日本の「教育改革」はいつもこういったことを繰り返しているのです。

ここでもう一度よく考えてみてください。
先ほど触れたように、記述式問題を取り入れる理由について、「自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価する」と書かれていますが、本当にこういうものが評価できるのでしょうか?

評価するとは、つまり点数化するということです。
関係者たちは、「思考力・判断力・表現力」なるものを点数化できると本当に思っているのでしょうか?
「この人の思考力は何点だ。判断力は何点だ。表現力は何点だ」というように点数化できると、本気で思っているのでしょうか?

私はできないと思います。
これは、点数化できない種類のことなのです。
入試のあるべき理想的な姿をぶち上げてしまった結果、大学入学共通テストでは、できないことをやろうとしているのです。

その結果、犠牲になるのは受験生たちなのです。

でも、実は、関係者たちの多くは無理だとわかっているのかもしれません。
上から言われて、仕方なくやっているのかもしれません。

どうしても記述式問題を出したいなら、その後の各大学における試験で出せばいいと思います。
それくらいの規模なら、多大なる努力を持ってすれば公平性の確保もできないことではないかもしれません。

でも、50万人分を20日間では無理です。

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