通知表の所見に「教師は子どもに本当に寄り添っているのか」とモヤモヤする親。
一方、教師自身が葛藤を抱えているケースも。
所見はどうあるべきなのか。


学期末、小学2年生の男の子を持つ母親(39)は通知表を受け取るとドキドキ。
成績の評価の次に「学校から家庭へ」と書かれた「所見」を読むのが楽しみだったからだ。
1年生の時はこんなふうに書いてあった。


「体育の『マット運動あそび』では、前転がりがなかなかうまくできず悔し涙を流す場面もありましたが、諦めずに繰り返し練習していました。
〇〇さんのできるようになりたいという気持ちの強さが感じられました」


親の知らない所で頑張る息子の姿に熱いものがこみあげた。
しかし2年生で担任が学年主任に代わると、至極さっぱりした記述に一変した。
母親は言う。


「例えば『この発表会でこういうことをしました』といった報告みたいな文なんです。
発表会は私も見にいったので、そんなことはわかっている。
知りたいのは、子どもがそれに対してどのように取り組んだか。
通知表を見る興味は半減しました」


通知表の所見が「つまらない」「味気ない」と感じる保護者は少なからずいるようだ。
一方、教師自身が葛藤を抱えているケースもある。
6年間で二つの小学校に勤めた元教師の女性(29)はそのひとり。
「2校目は必要以上にミスやクレームを恐れる学校で、所見には誤記載防止のため個人名は入れず、内容も主観を省くよう指導されました」


所見の表記や方針は学校や管理職によって変わる。
その結果、前校では例えば、「みちえさんが花壇の花に欠かさず水やりする姿をすばらしいと思いました」と書いていたものが、「水やり係として、花壇の花に欠かさず水やりを行いました」と観察記録のような記述へ。


「心の通わないものとなり、疑問を感じました。
過剰に守りに入ることで、本質を見失っている気がします」(女性)


通知表は手書きから印字へ。
電子化が進むが、3年生の娘を都内の公立小学校に通わせる女性は4月に担任から聞いた言葉に耳を疑った。
新システム導入で所見の字数に制限ができ、以前ほど書けなくなるというのだった。


「書きたいことが書けなくなるシステムでは、本末転倒ではないですか?」


そもそも所見は何のためにあるのか? 
教育評論家の親野智可等さんは次のように説明する。


「数字の評価だけでは表せない部分を文章化して親に伝えるのが目的です。
かつては子どものいいところも悪いところも書きましたが、今は励ましの意味合いが強くなっています」

つづく
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