私が小学二年生を担任したときのことです。
ある男の子が、夏休みに入ってすぐに宿題を全部片付けてしまいました。
「宿題を全部先にやってしまって、後は遊びまくる!」と決めたからだそうです。

私はこの話を夏休み中の保護者面談のときにその子のお母さんから聞いたのです。
話をしている間、お母さんの顔はずっと曇ったままでした。
お母さんとしては「せっかく宿題を早くやってしまったのだから、宿題以外の勉強もさせたい」と思っていたのです。
それなのに遊びまくると宣言されて、嘆く気持ちのほうが強かったのです。
 

それを聞いて、私は「主体性のあるすばらしい子ですね。こういう子が、自分の人生を切り開いていけるのですよ」と言いました。
 

この子は、「夏休みは遊びまくりたいから宿題をさっさと片付けてしまおう」とやる気に燃え、実際に片付けてしまいました。
 

これこそが主体性です。
 

主体性は、「こうしたい」「こうしよう」という意欲ややる気があるからこそ生まれてくるものです。親が自分の価値観を優先させ、「このようにさせよう」と働きかけても、主体性は育まれていかないのです。
 

今、教育改革の必要性が声高に叫ばれていて、学習指導要領も新しくなるのですが、その一番のテーマが「主体的な人を育てる」ということです。
これはとてもよいことだと私も思いますが、一つ心配になるのが「主体的」の意味を勘違いしている大人が非常に多いということです。
 

つまり、先生や親がやらせたいことを子どもが忖度して、それを進んでやってくれることを「主体的」だと思い込んでいる人が多いのです。
そんなものを主体的と呼んではいけません。
本当に主体的な子は先生や親の気持ちなど忖度しないで、自分がやりたいことを自分で見つけて自分でどんどんやっていく子なのです。