前回に引き続き、今回も子育てに役立つことわざを紹介しよう。




●親は子どもに「自己肯定感」と「他者信頼感」を育ててあげよう


「親擦れより友擦れ」


「友擦れ」とは、友だちと付き合うことで世間を知っていくことだ。

 
今の親は、子どもを思うあまり、「子どものうちに直してやろう。子どものうちにできるようにしてやろう」と考えることが多いようだ。
それで、親子ともどもたいへんになっている例が多い。


だが、親が子どもに全てを教えることはできないし、その必要もない。

 
子どもは成人して親の手を離れてからも、人間的な成長を続けるのだ。
子どものときできなくても、大人になってからできるようになることはたくさんある。
むしろ、そのほうが多い。
読者のみなさんも、そうだったはずだ。

 
また、人間関係や社会関係を含めた「人生を生きる知恵」は、友だちから教わることも非常に多い。
つまり、親が教えられないことを友だちが教えてくれるのだ。
場合によっては、敵が教えてくれることもある。
人生とはそういうものだ。

 
だから、親は「子どものうちに……」と思い込む必要などない。
子どものうちに親が絶対してあげるべきことは、次の2つだ。


まず「自己肯定感」。
そして「他者信頼感」。
この2つを持てるようにしてやることが、極めて重要だ。


「自己肯定感」とは、「自分は存在してもいいんだ」「自分は大切な存在だ」「自分はやれる、できる」という意識。


「他者信頼感」の基本は、なんといっても、子どもが親を信頼できるようにしてやること。
親に信頼感を持てた子は、その後の人間関係を「信頼」を元に作っていけるからだ。

 
子どもが親を信頼できるというのは、「親に愛されている」「わかってもらえている」「受け入れてもらえている」「許してもらえている」と実感できてることとイコールなのだ。
そのためのキーワードが親の共感力であることは、いつも言っているとおりだ。




●「親に都合のいい」説教は、ぜんぜん意味がない


「大きい薬缶は沸きが遅い」


器の大きい優れた人物は、普通の人よりできあがるのに時間がかかる。

 
子どもの頃、鳴かず飛ばずで、人より劣っていると見えた子が、大人になってから活躍する例は多い。

 
逆に子どもの頃、目立って優れた子が、大人になってから「うだつが上がらない」こともある。
大器は晩成するのだ。


「親の17、子は知らぬ」

 
親が子を説教するときに、「お父さんが若い頃は~」と過去を美化することがあるが、子どもは父親の若い頃など知りようがない。

 
きっと自分に都合のいい話ばかりしているのだろうと子どもも思うし、実は親本人も悪いことは忘れて、知らぬ間に都合よく記憶を書き換えていることがある。

 
そんな話を聞いて、誰も愉快に思わないし、「なるほど」などと納得しないのだから、あまり若い頃の自慢話はしないほうが上策だろう。

 
もちろん、職場でベテランが新人や部下に説教するときも同じだ。




●自分を棚に上げての説教は、逆効果でしかない


「生みの親より育ての親」


子どもを生むのは10か月の苦労だが、育てるのは20年の苦労だ。
それは、一言で言えない苦労で、並大抵ではない。

 
実の親と何らかの理由で別れ、養い親に育てられる子もいる。
それを制度化した里親制度も、少しずつ広がっているようだ。

 
以前、講演したときに、里親として子どもを育てている人に質問されたことがある。
血を分けた親子でないことから来る漠然とした不安があるようだった。
無理もないこととは思うが、昔からあるこのことわざが、「大丈夫だ」と教えてくれている。


「蛙の子は蛙」


子どもは親に似る。
ところが、親は自分を棚に上げて、「しっかり勉強しなさい」「やるべきことはすぐやりなさい」と説教する。

 
とはいえ、その説教の内容自体、親自身ができていないことが多いし、子どもの頃できていなかったことも忘れている。

 
もし、我が子の至らないところが目についたら、「蛙の子は蛙だな」と、この言葉を噛み締めてほしい。
そうすれば「まあ、しょうがないか」という気持ちになれる。

 
反対に「鳶が鷹を生む」ということわざもあるように、平凡な親から優れた子が生まれることもある。我が子のいいところは自信を持って、伸ばしてやろう。




●「子どもらしい期間」は、たった10年。それを生かし切る
 

以下の2つのことわざは、本物をもじって作った私の創作ことわざである。


「子育てをしたいときにはもう大人」
(孝行をしたいときには親はなし)


小学生の親は、親もちょうど働き盛りなので仕事が忙しい。
「じっくりと子どもと向かい合う時間が持てない」という人も多いだろう。
だが、子どもは待ってくれない。

 
生まれてから、本当に子どもらしい子どもでいる期間は意外と短く、現代では小学4年生頃までだろう。

 
特に女の子は4年生後半から反抗期が始まり、それまでお父さんに甘えていた子が急にそっけなくなり、相手してくれなくなる。
昔より反抗期の訪れが早くなっているのだ。

 
子どもらしい時代は「たった10年しかない」と肝に銘じ、子どもとのコミュニケーションやスキンシップの時間を大事にしよう。

 
子どもにとって、そして、自分にとって何が一番大切なのかよく考え、仕事ばかりに時間を取られないようにしたい。

 
子育て期間は、後で取り戻せないし、おカネで買い戻すことも無理。かけがえのないものなのだ。




●「親であること」に甘えてしかってはならない



「親子は他人の始まり」
(兄弟は他人の始まり)



子どもを叱るときに、我が子だからと、大人や他人の子に言えないような「きつい言葉」を使ってないだろうか。
もしそうなら、それは親が「親という立場」に甘えているのだ。
ある意味、子どもに甘えているのである。

 
親子といっても人間関係の一種に変わりない。
すべての人間関係の基本は、互いの思いやりだ。
親子関係も、互いの気持ちを思いやることで、初めていい関係ができる。

 
親子の場合は、まず親が子どもの気持ちを思いやることが第一歩だ。
子どもからの第一歩などあり得ない。


「親であること」に甘え理不尽な接し方をしていれば、関係がうまくいかないどころか、憎しみ合う関係にさえなってしまう。
子が親を殺す事件の多くは、その結果ではないだろうか。

 
事件にならないまでも、親子で憎み合っている例は、驚くほど多い。
他人同士の関係が憎しみに発展する確率よりも、親子がそうなる確率のほうが高いようにすら思える。そうならないために、「親子は他人の始まり」という創作ことわざを、心に留め置いてほしい。

 
子どもは親の所有物ではない。
天からの「授かりもの」ではなく、「預かりもの」だ。預かった子どもは、ひとりの人間であり、親とは別の人格だ。
ただこの世での経験が少ないだけで、ひとりの人間としての尊厳は、大人となんら変わるところはない。




●ことわざを役立てる「システム化」を
 

ことわざというものはよくできている。
「鏡は先に笑わない」とか「他人の芝生は青い」など、人の真理を巧みに表現しているし、子育ての上で大きな知恵になる。

 
ことわざを子育てや仕事の中に活かそうという意識を持っていると、それが自分の中で1つの「杭」になり、いろいろな出来事や思い、行動がその杭に引っ掛かるようになる。

 
その結果、自分の財産として、心の倉庫に収められ、活用する度に、その財産がさらに増えていく。

 
ことわざを「杭」にするためには、ぜひ「システム化」してもらいたい。

 
たとえば、トイレに日めくりの「ことわざカレンダー」を貼るとか、ことわざ付きの手帳を使うなど、自然にことわざに触れるシステムを作るのだ。
毎日1つずつことわざを配信しているメルマガもあるので、これを利用する手もある。