講演の後の質問コーナーなどで、「左利きの子は矯正するべきかどうか」という質問をときどき受ける。

 
教育関係の雑誌やネットの子育て相談では、回答者が「直さなくてもいいが、習字だけは右利きの方が有利」とか「両手利きがいいのでは」などと答えているケースも見受けられる。


だが、わたしは左利きを右利きに直す必要も両手利きにする必要も一切ないし、そうしてはいけないと考えている。


そもそも左利きを「直す」という言葉自体に、差別的発想がある。

 
左利きの子は左利きのまま育てた方が、自分の能力を十分に発揮できる。
無理に右手でやらされても、もともと右利きの子に機能上かなうはずがない。
左手でやれば同じ能力が発揮できるのだ。

 
習字も左手で上手に書く人はいくらでもいる。
わたしの教え子でも左手で書いた書き初め大会で毎年、優勝していた。
ほかにも上手な子は何人もいた。

 
両手利きは、一見、もっともに聞こえる。
だが、「なぜ左利きの子だけ両手利きにならなければならないのか?」と考える必要がある。
それは、決して子どもためにならないし、差別構造の温存につながるものでもあるのだ。

 
我が子が右利き中心の社会に対応できるように矯正した方がいいと思うのだろうが、実は右利きや両手利きに替えさせられる段階で、非常に大きな弊害があることが最近指摘されている。
それについては、後述する。




●左利きを否定されると自分も否定される


以前、わたしたちが子どものころまでは、確かに左利きは直した方がよいとの考えが根強くあった。
しかし、今はそう考える人は、親でも教師でも少数派だろう。

 
なぜ、そうなったのか考えてみると、次の五つの理由などが挙げられる。

 

(1) 社会の価値観が多様化し、左利きも個性とみなされるようになってきた

(2) 野球、サッカー、ボクシングなどのスポーツで左利きの選手が活躍し、左利きのイメージが良くなった

(3) 左利きの人は右脳が発達していて、芸術や直感的理解に優れているという見解が普及した

(4) 左利き用の道具が普及し、生活への支障が以前よりは比較的少なくなった

(5) 無理に利き手を替えることには弊害があることが分かってきた

 

とはいえ、現実社会は右利きの人の方が圧倒的に生活しやすいようになっている。
それに、先ほども言ったように「両手利きに」とか「習字だけは右手で」などという考えも根強い。

 
だが、無理やり利き手を替えさせられたり両手利きにさせられたりすることには大きな弊害がある。

 
第一に、左利きではいけないと言われるだけで、子どもはコンプレックスを感じてしまう。
自分の自然のままのスタイルを否定されることで、自分が否定されたように感じてしまうのだ。

 
第二に、大人にいくら言われ、本人がその気になっても簡単には利き手を直せない。
それで、自分の能力や努力不足のせいと思い込み、自信を喪失してしまう。

 
彼らは、左手を使っていると、「左手はだめでしょ」「何度言われたら分かるの?」とか、「習字だけは右手って言ったでしょ?」などと言われる。


簡単に利き手が替えられる子などいないから、繰り返し言われ続けることになる。
それが自分の能力への不信になり、ひいては自己存在への懐疑にまでなることがある。

 
第三に、左利きがなかなか直らない子どもに対して、しかったり、怒ったり、罵詈雑言を浴びせかけることは、自信を喪失させるだけでなく、親子の良好な人間関係の形成を妨げることにもなる。

 
しかられることが多いと、「自分は愛されていないのではないか」「もしかしたら嫌われているのではないか」などの疑念が出てくることになる。
これが親への不信感につながる。

 
第四に、あまり厳しく矯正しようとすると、大人がいるところでは右手、いないところでは左手と使い分けするようになる。
これが、子どもの心に、ある種の良心の呵責を覚えさせてしまう。
そして、そうしなければならない状況や、そうさせている大人に対して反発心を持つようになる。

 
こうした、弊害は過小評価されるべきではない。




●無理に矯正するとコンプレックスを抱える
 

仮に左利きを右利きに替えることに成功したとしても、大人になって、コンプレックスや大人への不信感に悩まされている場合がかなりある。

 
インターネットのサイトやブログで、そうした子ども時代のつらい思い出や、いまの悩みを告白している人も少なくない。
検索サイトで、「左利き 直す」と入力してみると読むことができるだろう。

 
子どもを大人になって苦しませるぐらいなら、左利きという個性をセールスポイントにするぐらいの気持ちで子育てしてほしいと思う。

 
実際、今の時代は「人と違う個性がセールスポイントになる時代」「自分の特色を最大限生かす時代」である。
まず、子どもに左利きであることに自信を持たせてほしい。

 
そのために、次のような話をしてやるといい。

 

・野球では左利きの選手が大変活躍している
 
特にバッティングでは、一塁に近いバッターボックスに立てる左利きの選手は有利である。
そのため、右利きの人が打つときだけは左で打てるように練習することもあるほどである。
ピッチャーでも、左投手は有利とされている。

 
・サッカーでも左利きの選手はレフティと特別な名称で呼ばれるほど貴重であり、優秀な選手が多い
 
時々の状況を、右脳でイメージ的に瞬時に判断できるからだといわれている。例えば、名波浩、中村俊輔などである。


・ボクシングでも左利きの選手は有利である

なぜなら、右利きの選手たちは、練習でも試合でも右利きの人とやることが多いので、左利きの相手に慣れていないからである。
ところが、左利きの選手は、右利きの相手といつもやっているので慣れている。


・左利きの人は、芸術家や独創的なひらめきを持つ天才の割合が多いといわれている

左利きの人は右脳が発達しているので、イメージによる把握や直感的な理解に優れているからである。例えば、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ニュートン、アインシュタイン、ビル・ゲイツ、梅原龍三郎、坂本龍一、千住真理子、竹中直人などなど。



米国のオバマ大統領が左手でサインする様子がテレビで映し出されていたが、それもきっと左利きの子どもを励ます材料になるだろう。




●左利きをセールスポイントにしよう
 

左利きを個性としてセールスポイントにすることをさらに一歩進めて、左利きの人や、左利きの子どもを持つ親御さんには「自分たちが社会をより良くしていくくらいの気持ち」を持ってほしいと思う。

 
つまり、バリアフリーの実現と、さらにその先にあるユニバーサル社会の実現に一役買ってほしいのだ。

 
今までの社会は、そして現在でもなお、車椅子利用者、視覚障害者、聴覚障害者、老人、妊婦などへの配慮が全く不足している。
それは、左利きの人への配慮がないのと同じ根っこからくるものだ。

 
数年前、わたしの近くの町に社会福祉協議会の入る施設ができたが、その施設の正面玄関に約5cmの段差があるのには、本当に驚き、またあきれた。
そして、少し離れたところに車椅子用のスロープがあった。

 
わたしは、車椅子利用者の大会に介助ボランティアとして参加したのだが、ボランティアが少なかったので車椅子利用の方々はみんなわざわざ脇へ回ってスロープを使った。

 
なぜ、車椅子利用者は正面から入ってはいけないのか? 
なぜ、正面玄関にわざわざ段差を作るのだろうか? 
正面玄関が平らではいけないのだろうか?

 
こういう段差は、視覚障害者にも、老人にも、妊婦にも迷惑である。
わざわざバリアを作っておいて、そしてスロープを作って、これでバリアフリーにしたとでも言うのだろうか?

 
これは、ユニバーサル社会とはほど遠い発想だ。
それが、社会福祉協議会の入っているビルなのである。
わたしは正直怒りを覚えた。
と同時に、現在の社会の中にある根深い無神経さがたまらなくいやになった。

 
左利きの人たちも同じようなことを感じているはずだ。
それを積極的に社会で訴えてほしい。
そうすれば、右利きの人たちも社会全体がいかに左利きの人たちに不便かということを理解するだろう。




●「ぎっちょ」という言葉を使わない
 

人口の約1割が左利きといわれているが、右利きの人は驚くほど左利きの人への配慮がない。

 
先日、大学生になるわたしの教え子と話したとき、ゼミでホワイトボードに左手で書いたら、教授から「君はぎっちょかね」と言われて嫌な思いをしたと言っていた。

 
「ぎっちょ」という言葉を気にしない左利きの人もいるようだが、中には差別的に感じる人も多いのだ。
そのことに気づいてほしいと思う。
まず、右利きの人が気づくことが第一歩なのだ。


左利きの人たちがどんどん発言すれば、社会の無神経さに右利きの人たちも気付く。
そういう気付きが出てくれば、車椅子利用者、視覚障害者、聴覚障害者、老人、妊婦などに対する無神経さにも気付いてくるはずだ。
根っこは同じ無神経さなのだから。

 
そのため、まず一人ひとりが、こんなことから心掛けたい。
「ぎっちょ」という言葉を使わず、その代わりに「左利き」「サウスポー」「レフティ」を使う。

 
次に、左利きの人たちの多くは、子どものころ「おはしを持つ方が右手」と言われて混乱する。
これも、左利きの人たちを全く無視した表現と言わざるを得ない。


だから、「名札のある方が左」「名札のない方が右」などの言い方に替えていくといいだろう。
特に幼稚園、保育園、小学校の教職員の皆さんには、このことを強くお願いしたい。




●左利き仕様の物づくりで売り上げアップ
 

さらに、このコラムをお読みの企業関係者のみなさんにもこんな提案をしたい。

 
左利きも右利きも誰でも使えるユニバーサルデザインを意識した物づくりを進めてほしいのだ。
例えば、左利きの人はこんなことで困っている。

 
・駅の自動改札は左手で切符を入れにくい 
・サイフの留めの構造は、右利き用になっている
・洋服の胸ポケットが左にしかないことがある
・ズボンの尻ポケットが右にしかないことがある
・カメラのシャッターは、右手でしか押せない
・自動販売機のお金を入れる位置も右手用になっている
・エレベーターのボタンの位置が右にある
・パソコンなどのキーボード配列もエンターキーが右にあるなど、右利き用になっている
・冷蔵庫や急須の取っ手も右利き用だ

 
右利きの人は、一度自分が左利きになったつもりで上記のことを意識してほしい。
たぶんほとんどの人は、考えてみてこともないはずだから。

 
自動販売機のコイン投入口や押しボタンなど、真ん中に付けられるものは直してほしい。
真ん中でもいいものを、わざわざ右利き用に設計することは少数者への配慮が欠けていると言わざるを得ない。

 
ぜひ、左利きの人も右利きの人も同じように便利に使えるものを作ってほしい。
それが無理なら、製品の1割は左利き仕様で作ってほしい。
そこにビジネスチャンスもあるはずだ。
何しろ、人口の1割が左利きなのだから。