いじめ、暴力、暴言、種々のハラスメントなど多くの犯罪行為がメディアを賑わせている。
こうした犯罪を引き起こす人たちに共通していることは、他人とよい人間関係を築く力が弱くて、人の気持ちを思いやる力も弱いということだ。
思いやりの心は、相手の心の中を思い浮かべる「想像力」と、相手の気持ちにより添う「共感力」から成り立っている。
相手の悲しさやつらさを想像して共感する、それが思いやりだ。
この力を身に付けるには親子関係が土台となる。
親は子どもが泣いていればあやし、頭をなでる。
話を聞いて慰めてくれるし、うれしいときは一緒に喜んでくれる。
このように、思いやられることのありがたさを、まず、たっぷり味わうことが大切だ。
しかし、それだけでは不十分である。
親から思いやってもらえることだけでなく、自ら相手を思いやる経験も大事だ。
そのために一番いいのが、友だち体験だ。
●遊びの中で学ぶ思いやり
子どもは、大人が周囲にいると大人の目を意識して本音を出さない。
だが、子ども同士の素っ裸の付き合いをする中で、さまざまなことを経験する。
特に大事なのが遊びだ。
遊びの中で、ルールや役割分担を決めたり、自分の考えを主張したり、あるいは妥協したりする。
嫌なことを言ったり言われたり、泣かしたり泣かされたり、慰めたり慰められたり、助けたり助けられたりする。
こうした経験の中で、どういうことをされると自分はイヤな気持ちになるのかとか、どういうことをすると相手は悲しむのかが分かってくる。
つまり、人間の心の動き方を学び、相手の気持ちを想像して思いやる力が身に付くのだ。
思いやりの心は、教科書やテストで養えるものではない。
子ども同士のかかわり、特に遊びの中でともに育て合うのだ。
ところが残念なことに、こういう子ども同士で遊ぶ場所も時間も減っている。
まず、なんといっても子ども同士で遊べる場所がない。
今の子どもたちが放課後遊ぶ所といえば、家の中、友だちの家、団地の階段の踊り場、路地裏、狭い駐車場、塾や習い事の待合い、面白い物が何もない公園などだ。
また、友だちと遊ぶ時間もない。
習い事や塾通いで子どもは忙しく、一人でホッとする時間もなかなか持てない。
ましてや、お互いのスケジュールを合わせて友だちと一緒に遊ぶことはできにくい。
今の時代は、大人が意識して子どもの遊び場所と遊び時間を保障してやることが必要な時代になったのだ。
放っておいては、子どもは豊かな友だち体験をすることができないまま成長することになる。
●「ロング昼休み」は問題解決の特効薬になる
実は、このような状況を改善するのにかなり有効な方法がある。
つまり、遊びの場所と時間を一気に保障してやれる方法だ。
しかも、やろうと思えば今日からすぐにでもできる方法だ。
それは、学校の昼休みを長くすることだ。
昼休みが長くなれば、学校の運動場、中庭、砂場、遊具などで、子ども同士でたっぷり遊ぶことができる。
しかも、ゲーム機もないので座ってピコピコやる遊びもできない。
いつの間にか、昔ながらの集団遊びが復活する。
例えば、鬼ごっこ、高鬼、色鬼、ケイドロ、ドッジボール、長縄跳びなどだ。
自然環境のいい学校なら、自然の中での遊びを子どもたちが考えるようになる。
ところが、現状では、昼休みにたっぷり遊べている子どもは意外と少ない。
小学校では、普通、昼休みが25分か30分くらいしかないからだ。
それに、給食の片付けが長引いて遊び始めるのが遅れることもよくある。
また、昼休みの後に掃除をする場合は、5分前行動ということで5分前にチャイムが鳴るようになっていることが多い。
さらに、5、6年生になると委員会活動というものがあって、昼休みが削られることも多い。
給食委員会、保健委員会、図書委員会など、昼休みに活動することが多い委員会の子はなおさらだ。
それで、わたしは教師時代に、昼休みを長くすることをずっと主張していた。
わたしが最後に勤めた学校では、もともと「ロング昼休み」というものが1週間に1回あった。
それは、昼休みの後の掃除をなくして、その分昼休みを長くするというものだ。
これによって、昼休みが50分になった。
このロング昼休みを子どもたちは楽しみにしていた。
わたしにとっても、外で友だちとたっぷり遊んで満足し切って教室に帰ってくる子どもたちの姿を見るのは、うれしいものだった。
それでわたしは、このロング昼休みを週1回から3回に増やそうと主張した。
だがそう簡単にはいかなくて、4年間主張し続けてやっと週2回に増やすことができただけだった。
反対する人の理由はただ一つで、掃除指導がおろそかになるからというものだ。
もちろん、掃除指導は大切だ。
自分たちの生活する場所を自分たちで掃除することは、言うまでもなく大切なことだ。
だが、なにも毎日20分近くもそれに割かなくてもいいのではないか、週5日のうち2回か3回の掃除で十分ではないか、そもそも自分の家の掃除にしても毎日やっている人が何パーセントいるだろうか?
教室にゴミが増えるというなら、5時間目の初めに「今からゴミを1人10個拾いなさい。よーい、どん」とやればいい。何十人もいる子どもたちが一斉にやれば、あっという間にきれいになる。
もちろん、毎日掃除をするに越したことはないが、それを削ってでも子どもの遊び時間を確保することには大きな意味がある。
ほかに削れる時間がないのだから、掃除の回数を半分にするのは、総合的に見て意味のあることだ。
そう、わたしは主張したのだ。
●学校は「勉強の場」であると同時に「友だちと遊ぶ場」でもある
友だちとたっぷり楽しく遊べると、子どもはストレスの解消ができる。
心がすっきりして穏やかな気持ちになる。
気持ちが満たされて楽しい気分になる。
勉強にも集中できる。
勉強が苦手で授業中は活躍できない子も、遊びで活躍できる。
そして、友だち関係力が育つ。
自己主張、交渉、妥協、仕切り方、従い方、勝ち方、負け方、攻め方、逃げ方、怒り方、泣き方、謝り方、仲直りの仕方、イヤなものはイヤと言う力、そして、相手を思いやる気持ち‥‥。
生きていく上で必要なすべてが学べる。
このようなわけで、わたしはロング昼休みが増えることを願っている。
学校関係の方には、ぜひ実現に向けて取り組んで欲しい。
保護者の方には、ぜひ保護者の声として学校に働きかけて欲しい。
もちろん、ロング昼休みだけですべて解決するというつもりはない。
ほかにもやれる事、やるべき事はたくさんある。
だが、今すぐにでもできることがあるのだから、ぜひやって欲しい。
同時に、子どもが安心して遊べるように、学校内の安全管理も十分やってほしい。
一番いいのは、教育委員会の中に、所管の学校の安全管理のみに従事する(ほかの仕事と掛け持ちでなく)専門職員を置くことだ。
各学校に任せていては、完全な安全管理をすることは絶対にできない。
現場の職員はみんないろいろな仕事を山ほど抱えていて、どうしても「たくさんの仕事の中の一つ」になってしまうからだ。
学校は「勉強する場」だとよくいわれる。
それは、もちろん正しい。
だが、これからは、それだけでは不十分だ。
学校を、「友だちと遊ぶ場」にしていく必要もあるのだ。
子どもが遊びを通して豊かな友だち体験をすることができる場所と時間、それを大人が保障してやる必要がある。
そういう時代になったのである。
親も教師も、子どもの遊びや友だち体験の大切さをもっともっと認識する必要がある。
それは、はっきり言って勉強以上に大切なことなのである。
初出「親力養成講座」日経BP 2009年2月6日
初出「親力養成講座」日経BP 2009年2月6日