「甘えん坊の子どもを早く自立させたい」という相談は多い。

 
ある7歳の女の子のお母さんから相談があり、外ではしっかりしているが、家の中ではかなりの甘えん坊で、すぐひざの上にのってきたり、寝るときも「添い寝して」という状態で心配しているとのことだった。


特に妹が生まれてからは甘えがさらにひどくなったという。


これは当然のことで、親の意識や愛情が妹の方により多く向いているのを肌で感じているからこそ甘えるわけだ。

 
ところが、子育てに熱心な親ほど、よくやる失敗がある。


「お姉ちゃんだからしっかりしてほしい」と考えることだ。
「お姉ちゃんとしての自覚を育てなければ」「お姉ちゃんらしく自立させなければ」と考えて、少し突き放すようになる。
しかし、これは逆効果にしかならない。

 
というのも、子どもの立場になって考えてみれば簡単に分かることで、親の愛情が自分からほかに向かうことは子どもにとって圧倒的に大きな不安だからだ。


子どもにも「お姉ちゃんになったんだから我慢しくなちゃ」という考えはあると思うが、理屈ではどうしようもない不安に襲われる。

 
だから、このとき親が真っ先にするべきことは、その不安を取り除くことであって、自立を促すことではない。
今まで以上に上の子に愛情を注ぐことだ。

 
無理やり「お姉ちゃん」としての自覚を求めて、がんばらせたとしても、どこかでその反動が必ず出てくる。
陰で妹をいじめるとか、ペットを虐待するとか、友だちの中の弱い子に冷たくするとか、学校でけんかやトラブルを起こすなどの問題が生じる。

 
あるいは、そのときの欲求不満が原因で、大人になってからも兄弟仲がしっくりいかないということになるかもしれない。




●しっかりした子こそ家では甘えたい
 

この7歳の娘さんの話を聞いたとき、わたしは初めて教師になったころに出会ったある女の子、Aさんを思い出した。

 
Aさんはしっかりした子で、当番や係の仕事をてきぱきやり、授業中も集中して取り組み、リーダーシップも備えた子だった。

 
しかし、わたしはAさんの家を家庭訪問して、親の話を聞き、驚いた。
Aさんは家ではとても甘えん坊で、しかも「何をやるにもぐずぐずしていてしょうがない」という。
学校での様子しか知らないわたしには、にわかには信じられない話だった。

 
しかし、その後、Aさんのような子はけっこういることが分かってきた。
というよりも、子どもは多かれ少なかれ、みんなそうだ。

 
教師になったばかりのころは、子どもの生態がよく分かっていなかったが、子どもは学校でとても緊張してがんばっているのだ。


その分、家ではリラックスして素の自分でいたい。
のんびりくつろぎたいし、ぐずぐずダラダラしたいし、たっぷり甘えたい。
みんな、そうだ。

 
大人も職場でがんばったら、家でのんびりしたい。
仕事ではバリバリと働くお父さんも、家ではぐずぐず、ゴロゴロしているだろう。
学校でがんばっている子ほど、家に帰ると甘えん坊になり、そのギャップが大きくなることもある。

 
最近では親がしつけや勉強に厳しくて、家でのんびりできない子が増えているように感じる。
そうすると、その子は家で緊張して過ごすことになり、学校でその反動が出てしまう。




●熟した柿は自然に落ちるのを待つ
 

小学校3年の男の子を持つお母さんからこんな相談もあった。


「息子は小学校3年になってもいまだに親と一緒に寝たがります。最近は自分の部屋もできて喜んでいたのですが、寝るときは一緒です。そろそろ別々に、と思うのですが、どのように促したらいいでしょうか」

 
親子が一緒に寝るというのはすばらしいことだ。
子どもが一緒に寝たいという間はそのまま同じ部屋で寝てやってほしい。

 
子どもにとって夜は大人が思う以上に怖いものだ。
慣れ親しんでいるはずの自分の家でも、全く別世界に思える。

 
夜を一人で過ごすことは子どもにとって大きな不安であり、たとえ無理にがんばって一人で寝たとしても、子どもは一晩中、不安を抱えたまま過ごす。
眠っている間も不安は続き、その子の心に深く根付いていく。


その不安はやがて自分を取り巻く世界全体への不安につながり、その後の人生観や生き方や対人関係に大きな影響を与える。

 
さらに、自分を安心させてくれない親への不満も抱くようになる。
そして、大きな不安から守ってもらえない自分という存在に対しても、「価値のないもの」と思うようになる。

 
早く一人で寝かせたいと親が思うのも、やはり子どもの自立を願うからだ。
「いつまでも一緒に寝ていたら親離れできなくなるのではないか」「甘やかしすぎと言われるのでは」「他の子に比べて自立が遅れるかもしれない」と心配になるし、そういうことを言う指導的立場の人もいる。

 
しかし、そんな心配は全くない。
不安な気持ちをたっぷりと受けとめてもらい、甘えたい気持ちもたっぷりと満たされ、自分の発達課題を完全にこなすことができたら、もう「甘え」はいらなくなる。


「熟した柿は自然に落ちる」のである。
そうなれば、不満や不安が溜まることも、後に反動が出ることもない。




●三者三様、十人十色、百人百様
 

一方、わたしのメールマガジンの読者からこんな話を教えてもらった。

 
そのお母さんが言うには、娘さんは4歳まで母乳を飲み、保健所や家族に早く断乳するように言われながらもかわいそうで拒否できなかったそうだ。

 
幼稚園や小学校に入るときも「行きたくない」と泣き、小学校低学年のときも泣き虫は直らず、とても消極的な子どもで、甘えん坊だった。
しかし、お母さんはそんな娘を突き放さず、思う存分かまってやり、しょっちゅう抱きしめてほおずりしてた。

 
ところが、小学校4年生になると、急に積極的になり、どんどん発言し、運動会の応援団をやったり、見違えるようになった。
成績もよくなり、自分に自信を持ち始めたという。

 
この話を読んで、わたしは子どもはそれぞれ自分のペースで成長することを改めて実感した。
三者三様、十人十色、百人百様という言葉があるが、もっと言えば億人億様であり、待つことがいかに大切かということを感じた。

 
身長の成長が遅いからといって、頭と足を引っ張って伸ばす親はいない。


ところが、精神面ではそれをやってしまう親はけっこういる。
子どもが泣いてすがっても無理やり断乳するとか、抱っこしてもらいたいのに抱き癖がつくと突き放すとか、恥ずかしがり屋で人前で話すことが苦手なのに、無理にあいさつさせるなど、いろいろあるだろう。

 
ときにはそっと背中を押してやることが必要な場合もあるが、無理はいけない。
じっくりと我が子のペースに合わせて、成長を見守る気持ちが大切だ。




●無理に自立させないと自然に自立する
 

幼稚園のとき、毎朝、送迎バスを待つ間、親と離れるのが嫌でずっと泣き続けていた子をわたしは知っている。

 
3年間、ずっと泣いていたが、親はそれをしかりつけたりはしなかった。
そして、小学校1年になった途端、全く泣かなくなった。
それどころか、朝も自分で起きて、どんどん身支度して家を出るようになり、親も周りの人たちも驚いたという。

 
また、ある子はとても面倒くさがり屋で、宿題もなかなかやらないし、やってもいい加減にやる。
小中学校を通してずっとそうだった。


ところが、高校2年になったころから、人が変わったように勉強を始めた。
それは、将来やりたい仕事が見つかって、そのために行きたい大学が決まったからだった。

 
学生時代は何事にもやる気がないと思われていたのに、社会人になったら急に生き生き輝き出す人もいる。
こうした例はいくらでもあるのだ。

 
だからこそ、自立を急がないことだ。「自立、自立」とせかすと、かえって真の自立が遅れる。
一見、自立したように見えても、くすぶったものを残しているので、どこかで何かの形で出てくる。
ここには一つのパラドックスがある。



「無理に自立させると自立できなくなる」
「無理に自立させないと自然に自立する」
「自立させたかったら無理に自立させるな」



子育てや自立の問題に限らず、このようなパラドックスは人生のいろいろなところに登場する。
人生は不可解だが、だからこそ面白いともいえる。

 
しかし、最後に付け加えたいのは「甘えさせることと甘やかすのは違う」ということだ。

 
子どもはもう一人で寝たいのに、親の方が子離れできずに引きずることは「甘やかし」である。
子どもを見ずに、親の都合で甘やかしすぎると、本当に子どもの自立を妨げることになる。
その「区別」をしなければならない。

 
甘やかしを避けるためには、親がよく子どもの様子を見て、いつもその心の状態に気を配り、自立の時期が来たと思ったら、うまく「手放す」ことだ。