世の教育ブーム、そして少子化を受け、子どもに全力投球する親が増えた。
特に、首都圏では幼稚園から教育が加熱している。
子どもの「促成栽培」が行われているのだ。

 
勝ち組・負け組、格差社会などといわれるなかで、我が子を小さなころから優秀に育てたいという親心は分かる。
だが、子ども時代に優秀な子が大人になってからもずっと優秀とは限らない。
なかには子ども時代がピークだったという人もいる。


わたしの小学校時代の同級生を見ても、昔、能力が高かった子が大成しているわけではない。
子どものころ、パッとせずぼんやりしていた子が伸びている例はたくさんある。

 
小さなころから促成栽培を急ぐあまり、本人の器ができあがる前に知識を詰め込もうとして子どもが対応できず、トラウマや自信喪失につながる、あるいは親子関係の崩壊につながることもある。

 
いまの子どもが大人になるときには平均寿命が100歳になるという説もあるほど、人生は長いのだ。
子ども時代にぼんやりしていても、それほど心配することはない。
逆に子どものころが絶頂だったというのではつまらないではないか。




●偉人に多い子ども時代の学習障害
 

歴史上の有名人でも子ども時代、情けなかった人はいっぱいいる。

 
例えば坂本龍馬は泣き虫の弱虫で、13、14歳ごろまで寝小便をしていたそうだ。
おねしょしては近所の子にからかわれて泣いていたという。

 
椋鳩十(むく はとじゅう)という有名な小説家・児童文学者も11歳までおねしょがやまず、『ねしょんべんものがたり』という本まで書いた。

 
トマス・ウェストの『天才たちは学校がきらいだった』(講談社)には多くの有名な芸術家や作家、科学者が失読症や学習不能などの学習障害を持っていたことが書かれている。

 
作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン、シェークスピア、ギュスタフ・フロベール、詩人のイェイツ、科学者のダーウィン、アルバート・アインシュタイン、トマス・エジソン、芸術家のオーギュスト・ロダン、レオナルド・ダ・ヴィンチなど、みなLD(学習障害)児だったのだ。

 
エジソンは算数ができず、小学校に入って、「1+1=1」と答えたことで有名だ。
「1+1=2」が理解できず、学校でばか呼ばわりされ、怒った母親が登校させずに家で教えた。

 
アインシュタインもなかなか言葉がしゃべれず、心配した親が医者に診せたほどだった。
小学校時代は他の子と遊ぶのが苦手で、運動など身体を動かすこともせず、暗記がほとんどできなかった。読み書きが困難な失読症で、うまくしゃべることもできなかったという。


アイルランドの詩人、イェイツは空想癖を持ったぼんやりした子どもだったが、後年、それが偉大な詩人としての土台になった。

 
同書の作者ウェストは「(取り上げた偉人たちは)障害があったにもかかわらず成功した、のではなくて、障害があったからこそ成功した」と述べている。
LDというものを見直すきっかけになる本だ。




●大器晩成型の有名人も多い
 

わたしの子ども時代の同級生にもそうした例はいくつもある。

 
第33回目の「算数ができない子にどう対応するか」でも書いたが、小中学校で算数・数学がまったくできなかった友だちがソフト開発会社など5社を経営する社長になった。

 
もう一人の同級生は子ども時代、驚くほどだらしなく、いつも彼の上履きが教室に落ちていた。
あるときなど、教室の東西南北の隅っこと真ん中に合計五つの靴が落ちていて、担任もさすがに激怒していた。
その子は長じて土木の専門家になり、今活躍している。

 
人生は長い。
子どものころから立派である必要などないのだ。
大器晩成の人は山ほどいる。

 
ファーブルは60歳を過ぎてから有名な『昆虫記』を書き始めたし、伊能忠敬も平均寿命の短かった江戸時代にあって、婿養子に入った家を建て直し隠居して、51歳になってから江戸で天文学を学び始めた。全国を巡り歩いて地図を作り始めたのは、なんと56歳から74歳までの間だ。

 
ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースは15歳から働き始め、さまざまな職業を転々とした果てに、40歳でガソリンスタンドの一角にテーブルを置いて食堂コーナーを始めた。

 
その食堂のフライドチキンがおいしいと評判になり、繁盛して大きなレストランに発展する。
ところが、高速道路ができて車の流れが変わり、店は閉鎖に追い込まれた。
このとき、サンダースは既に60歳過ぎ。

 
そこから、ワゴン車にフライドチキンを積んで各地を回り、気に入ってくれたレストランにフランチャイズになってもらって、レシピを教えマージンを取るという商売を始めた。
これがケンタッキー・フライドチキンに発展したのだ。


もし店の閉店であきらめていたら、全世界に広がるほどのフライドチキン・チェーンは生まれなかったかもしれない。
何歳になってもあきらめなければ人間はいろいろなことができるのだ。




●促成栽培より親子の信頼関係
 

子どものころにぼんやりしていても人生はどう転ぶか分からない。
何も取り柄がないように見えた子が、自分の才能を生かして将来花開くこともある。

 
子どもの促成栽培に躍起になっている親も多いが、優秀であることを求めすぎて、子どもに自信を失わせたり、親子関係が壊れたりする事態になることはやめてほしいものだ。

 
将来をあまり心配せず、子どもとの今の時間を大切にして、親子関係をよりよくしてほしい。
幸せな人生は知識よりも親子の信頼関係がベースだ。

 
親子の信頼関係があると友だちなど他の人との人間関係作りもうまくなり、その上で才能や人生が花開く。

 
促成栽培によってこのベースを台無しにしてはいけない。
ときには親子関係の崩壊が子どもの反社会的行為に結びつくこともある。

 
焦らず、じっくり育てて、子どもの大器晩成を待とう。