教員時代も講演などでも、よく受ける相談や質問が「うちの子は算数ができない」だ。
生活力もあって国語もできるのに、算数となるとまるでダメな子がいた。
足し算や引き算も2ケタになると途端にできなくなる。
その子のお母さんはいい人なのだが、ついイライラして「どうしてできないの!!」と子どもを怒鳴ってしまう。
1年生で8+7ができない子がいた。
マンツーマンで、ていねいに教えると理解できる。
7を2と5に分けて、8と2を足して10。
残りは5で、答は15と分かるのだが、「じゃあ、一人でやってごらん」と言うとできない。
人間には算数や抽象的思考力、言語能力、空間把握力などいろいろな能力があって、それぞれ発達のスピードが違う。
言語能力が発達していても算数能力が遅れている子もいる。
逆に算数ができても、絵をうまく描けない子もいる。
親としては我が子の能力が友だちと比べて劣っていると不安になるだろうが、発達の仕方は子どもによって違うということをまず知ってほしい。
まだ数学的理解力が目覚めていないだけかもしれない。
●数学の意味が分からずお手上げの中高時代
実はわたし自身も数学が苦手だった。
小学校の算数はある程度できたが、中学に入って、「マイナス×マイナス=プラス」になる意味が全く分からず、数学ができなくなった。
なぜ、「-2×-3=6」なのか、イメージできなかったのだ。
マイナスとマイナスを掛け合わせればプラスになるものだと理屈抜きで覚えてしまえばいいのだろうが、わたしは意味が分からないと次に進めない性格なので、そこで立ち止まってしまった。
また、ルート(平方根)も同様に意味が分からなかった。
いくら意味が分からなくても授業はどんどん進み、周りはどんどん問題を解いているが、わたしには何が何だか全く分からない。結局、中学3年間はまるで数学ができなかった。
運悪く、中2~3の担任が数学の先生で、呼び出されて「この数学のテストの平均点は80点なのに、お前は20点だ。何をやっとるか」と言われた。
英語だけはよくできてクラスのトップだったし、国語も普通程度だったのに、数学だけはまるっきりできないものだから、担任は許せない。
「やればできるのに、数学をバカにしているのだろう」と思われていた。
しかし、分からないものは分からないのだから、いくらしかられてもどうしようもなかった。
その状態がずっと続いて高校の数学もお手上げ状態で、大学は数学と無縁な私立大学を選んだ。
●数学ができなくても5社の社長
わたしの友だちも算数、数学ができず、小学校は5段階評価でいつも「1、2」。
中学になると10段階評価になるので、せめて「3、4」ぐらいになるかと思いきや、やはり「1、2」だったそうだ。
中3のときに哀れと思った担任がリンゴを持ってきて、二つに切り、2分の1と2分の1を足したら1になると教えて初めて分数の足し算の意味が分かったという。
そんな状態なので、高校もやっと入学でき、就職にも苦労したが、30数年経った今、50歳でソフト開発会社など5社も経営する社長になった。
算数はできなくても営業力やプロデュース能力が高かったのだろう。
数学が「1、2」でも何とかなるものだ。
一方、わたしは数学のない幸せな大学4年間を過ごしたが、教師になると決めて、はたと困った。
教員採用試験には数学があるのだ。
そこで、中1の数学の教科書から勉強を始めた。
すると、驚いたことにあれほど分からなかったものがスラスラと分かる。
高校の数IIBまではあっけなく理解できた。
実に不思議な気分だった。
これには二つの理由があるのではないかと思う。
まず、モチベーションの高さ。できないと採用試験に受からないから、取り組む真剣度が違った。
もう一つは大学4年間で、一切数学をやらなかったにもかかわらず、自分の中に数学的思考を受け入れる器ができたのだろう。
器ができたところに数学の中身を入れたから、ためることができたのだ。
●数学的な器が自然に育つこともある
もちろん、小学校時代に算数ができないなら放っておけばいいと言っているわけではない。できない部分をていねいに優しく教えてやったり、繰り返し練習させたりすることは大切だ。
ただし、しからず、怒鳴らず、穏やかに教える。
できないものはできないのだから、いくら感情的に怒ってもできるようにはならない。
まだ数学的な器が育っていないこともあり得るので、長い目で見てあげる必要がある。
それに、その子がもし数学を本当に必要としたときはきっとできるようになる。
中学受験を控えた子どもの親は特に算数の点に神経質になりがちだが、本人にもどうしようもない部分があるのだ。
大人である親にも、どうしてもできないことはあるはずだ。
「やればできる」と口で言うのは簡単だが、そう言っている親自身がなんでもできるのか?
そんなことはあるまい。
人は誰でも、できないことはあるのだ。
どうしてもできないときは、目をつぶってやることが必要だ。
つい先日も、ある講演会場で、子どもの中学受験に神経をすり減らしているらしい母親に質問された。話しぶりから、子どもの偏差値が上がらなくてかなり焦っている様子だった。
話しながら感情が高ぶってしまう様子から、普通の精神状態ではないと察せられた。
「どう言えば、本人のやる気が出るでしょうか? 算数が本当にできないんです。どうすれば、算数ができるようになるでしょうか? もう、このままだと‥‥」と、今にも泣き出しそうだった。
その人の頭の中は、すべてそのことでいっぱいなのだろう。
それがすべて子どもにぶつけられているのではないかと、非常に心配になった。
整理できない、朝早く起きられないなど、生活面もそうだが、勉強においてもどうしてもできない部分はあえて目をつぶることが必要だろう。
それは親としての大切な資質だと思う。
子どもを許せず、しかり続けたり、言ってはいけないようなひどい言葉で子どもを傷つけたりすることはやめよう。
親子関係を壊してまで算数や数学の点を上げる必要はない。
初出「親力養成講座」日経BP 2008年9月19日
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