首都圏を中心に異常とも思える中学受験ブームが起きている。なかには中学受験しないと子どもが「負け組」になると思い込んでいる親も多い。
負け組、勝ち組というのも嫌らしい言葉だが、いったいなぜ私立中学に入らないだけで負け組と言われる状況になっているのだろうか。


一つには公立中学が世間からバッシングを受けている事実がある。
もちろん、批判するべき点は批判しなければならないが、教育予算や人員の増加などの具体的な支援がないまま、ただバッシングするだけでは問題は解決しない。

 
もう一つは、受験産業のプロパガンダだ。
塾を筆頭に、受験産業にかかわる人たちが陰に陽に公立中学を批判する。
彼らは私立中学への受験者が減ると商売に影響が出るので、極力、多くの人を中学受験に誘導したい。

 
入塾説明会やパンフなどでは、直接的に公立中学の批判はしないが、私立中学や中高一貫教育のよさを強調し、相対的に公立中学をおとしめている。

 
明らかにこれは受験産業のプロパガンダなのだが、意外と気づいていない人が多い。




●誰が中学受験をあおっているか
 

受験を目指す多くの親が「小学校4年生から受験勉強を始めないと遅い」と言う。
しかし、どこからそんな話が出たか考えてみたことはあるだろうか。
言うまでもなく、これも受験産業のプロパガンダなのだ。

 
それは私立中学校が言っているわけではない。
なぜなら、彼らは入学試験の成績のいい子を上から採っていくだけでいいので、何年生から受験勉強を始めようが関係ないからだ。

 
だが、受験産業にとってはそうはいかない。
彼らは子どもたちにできるだけ早くから受験勉強を始めてもらわないと困る。
困るというよりも、それは彼らにとって死活問題なのだ。

 
少子化による経営危機の到来を何年も前に見越して、「子どもが減るなら同じ子どもたちに何年も通ってもらえばいい」ということで、長期的な戦略の下にプロパガンダを繰り返してきたのだ。

 
既に、「4年生でも遅い」と言っている人もいる。
毎年、毎年、それはエスカレートするばかりだ。
おそらく、数年のうちに2年生になり、やがては1年生になるかもしれない。
その方が受験産業にメリットがあるからだ。

 
しかし、お母さんやお父さんたちにはちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
誰が受験競争をあおっているのか、あおった結果、誰が得をするのか、ということを。

 
遊びたい盛りの子どもたちに受験勉強を強いるリスクもあるということを分かってほしい。

 
偏差値が50しかないのに60の学校に行かせたいと思っても、そう簡単に実力は上がらない。
すると、親は焦ってくる。


子どもは遊びたいし、学校の勉強もある。
塾の勉強と板挟みになり、葛藤が出てくる。
親の思い通りにはなかなかやらないし、成績も上がらない。
親は次第に煮詰まり、子をしかり、怒鳴り、場合によっては手を上げる。

 
なかには、「うちの子は何も言わないのに自主的に取り組んでいます」と言う親もいるが、子どもは知らず識らずのうちに親の願いを自分の願いに変えていくものだ。
本当は受験も勉強も辛いのに、親が喜ぶ姿を見たいために自分の心を偽り、ストレスがたまってくる。本心から受験したいと思っている子はそう多くはないだろう。




●受験を機に親子関係の崩壊が進む
 

わたしのところにも受験する子を抱えた親から相談が寄せられる。
その多くは、「毎日勉強する約束をしたのに守らない」とか「言うことを聞かず、頭にきてたたいてしまった」などだ。

 
偏差値は親が望むようにそう簡単には上がらない。
親が焦って子どもをしかりつければ、子どもは自信を失い、ストレスをため、親子関係に亀裂が入ってしまう。

 
実際、受験を機に、親子関係の崩壊が進む傾向がある。
ストレスをため込んだ子どもは弟や妹、ペットをいじめたり、学校でもトラブルを起こしたりするようになりやすい。

 
本来、小学校時代は学習の基礎をつくるとともに、親子関係の土台を築くときだ。
受験、受験で最も重要な親子関係を忘れてしまうと不信の根が育ってしまう。

 
わたしは中学受験をすべて否定するつもりはないが、こうしたリスクがあることに無関心な親が多い。

 
もう一つのリスクは、不合格時の子どもの挫折感だ。
受験で失敗した子が恥ずかしくて地元の公立中学校へ入学できなくなるケースもたくさんある。

 
そのため、あまり望まなかった第5志望の私立中学などへ進学したり、学区を変えて公立中学に行ったりする子もいる。

 
その挫折感をずっと引きずり、「本当はこんな学校に来たくなかったのに」と、中学時代の3年間を悶々(もんもん)と過ごす子もいる。

 
なんとかギリギリで志望校に合格したとしても、余力がないと後が大変だ。
もともと同じレベルの子たちが集まっているので、ほんのちょっとつまずいただけで、たちまち最後尾ということになりかねない。

 
すると、学校側から塾に通ってくれとか、家庭教師をつけてくれとか要請され、受験勉強中に勝るとも劣らない勉強漬けの日々が繰り返される。
それでもついていけず、場合によっては不登校や転校という結果になることもある。

 
塾の先生たちは、自分の教え子がどの程度の実力があるか一番よく分かっている。
「この子はこの学校に入ってもついていくのが難しい」ということも分かっているのだ。

 
だから、「この学校には、もしかしたら受かるかも知れませんが、入ってからが大変ですよ」と一言、子どもや親に伝えてやるべきだと思う。

 
わたしは、ある受験掲示板に「塾の先生がそう言ってくれたので、志望校を変えた」という親のコメントが載っているのを見たこともある。
こういう塾の先生もなかにはいるようだ。
だが、このような良心的な例は極めてまれだろう。

 
無理やりでも偏差値の高い学校に入れた方が自分や塾の実績になるのだろう。
だが、いやしくも子どもの教育に携わる立場ならば、入学後の子どものことにも配慮して欲しい。




●キャラを変える機会を失う中高一貫
 

最近は中高一貫校もブームになっているが、いい点ばかり強調されていて、そのリスクはまったく取り上げられていない。
だが、中高一貫校にはある避けがたいリスクがあるのだ。

 
それは、中高一貫校の本質にかかわるリスクだが、なかなか大人には分かりにくい性質のものだ。
というのも、統計的な数字になって表れることもないし、目に見える形で表に出てこない性質のものだからだ。

 
具体例を一つ挙げる。


わたしの知っているある子は、小学校のときとてもおとなしく消極的で、名前を呼ばれても返事ができないほどだった。
先生に名前を呼ばれると固まってしまってしばらく動かなくなるので、先生はうっかり名前も呼べないというほどだった。

 
その子は、小中学校でずっとそういう状況だったが、高校で大変身し、積極的になって、3年生の時に生徒会長になったというのである。

 
話を聞くと、その子は、小学校・中学校時代、ずっと自分で「キャラ(性格)を変えたい」と思っていたが、周囲は同じ友だちが多く、周りの目が気になって変えることができなかったという。

 
ところが高校に入ると、顔見知りの友だちはほとんどおらず、一念発起して性格を変えたのだという。その子は、「同じ中学からその高校に進学した子が2人しかいなかったおかげで、周りの目を気にしないで新しいキャラに生まれ変われた」と言っていた。

 
中高という思春期の6年間は大人の6年間に比べて、2倍も3倍も価値があり、さまざまな可能性を秘めているのだ。

 
人は簡単に人にレッテルを張り、イメージをつくってしまうものだ。
中高一貫校だと、中学1年生の1学期に決まったイメージやキャラがそのまま6年間続く恐れがある。その子がいくら新しい自分になりたいと思っても、周りの期待するイメージを打ち破ることは難しい。

 
6年間メンバーが替わらないということは、6年間同じ人間関係が続くということだ。
それは、一度出来た力関係や上下関係も変わらないということなのだ。

 
もし、弱いキャラ、いじめられるキャラに決めつけられたら、それがそのまま固定化されて6年間続くという可能性が強い。
いじめの構造が6年間続くということだ。


しかも、この時期のいじめは、小学生のそれとは比べものにならないくらい巧妙だ。
親や教師が目を皿のようにして見ていても見抜けない部分は絶対にある。

 
いじめられている子自身も、そのことを親や教師に知られたくないと考えることが多い。
だから、中高一貫校では、誰にも知られないところで6年間いじめられ続ける子が出てくる可能性が非常に高い。

 
中高一貫校に進む子が必ずそうなると言っているのではない。
そうしたリスクがあることを親も塾の教師も分かっていてほしいと思う。

 
次回も、中学受験に潜む危険性についてお話ししたい。

初出「親力養成講座」日経BP  2008年6月27日



加熱する中学受験のリスク (つづき)

無理な中学受験を正当化するひとつのいいわけとして、「不合格になっても、その間の努力は無にならない」という言葉がある。
確かに、学力面からいえば、その間の努力は役に立つだろう。
だが、代わりに何を犠牲にしているかも考えなければならない。

その間に親子関係をしっかりと固めることができたかもしれないし、子どもが何か熱中できることや、自発的に興味を感じる勉強に出合えたかもしれない。

ある、塾の先生がこんなことをいったという。
「6年生の夏休みは一生に1回のことなのだから、せみ取りなどをしていたら、負け組になるぞ」

その通り、6年生の夏休みは一生に1回だ。
だからこそ、せみ取りをしてほしいと私は思う。
小学校時代に友だちと走り回って、せみ取りに興じた楽しい記憶は一生残るだろう。

お母さんたちが参加するインターネットの掲示板に、こんな書き込みがあった。
「夏休み明けの9月に塾で知り合いのお母さんと話したら、1日も夏休みを取らずに勉強したと聞きました。我が家は3日ほど休んでしまって、とても焦りました」

このお母さんは冗談ではなく、真剣な調子で後悔していた。
夏休みに1日も休まないことの方がどれほど異常なことかわからなくなってしまうのだろう。

●「職業の選択肢を広げる」は大錯覚

お互いが競争の中にいると、自然とエスカレートし、どれほどエスカレートしたのかわからなくなる。
「休みたいという気のゆるみが油断を呼ぶのだから、この時期ぐらいは1年間だけでも心を鬼にして子どもの尻を叩き続けろ」という塾関係者や親もいるだろう。

大人にとってたった1年間だが、そんな異常なことを強制する1年間は十分すぎるほど長い。
明らかに子どもは知らずにストレスをため、心に傷を作るだろう。
「1年間だけだ」と無理してがんばっても、子どもの一生は“中学合格”という大団円で終わるドラマではないのだ。
その後が続かなければ意味がない。

夏休みも十分に休み、遊び、そして集中的に勉強して入れる学校に入ればいいというだけのことだ。
なぜ、無理して偏差値の高い学校に入れさせようとするのか。
よく聞く親の理由が「偏差値の高い中高から有名大学に入学できれば、将来の職業の選択肢が広がる」というものだ。

これは親の錯覚の中でも「最大の錯覚」である。
ここで言う「選択肢が広がる」ということは、いざ進路を決める段階になって、「さあ、あなたはなんでも選べますよ。弁護士、中央官庁官僚、銀行員、医者、なんでもやれますよ」と言えるということだ。

だが、これは裏を返せば、その子には特にやりたいものがないということなのだ。
これでは、結局、「どれにしようかな?う~ん、じゃあ、医者になろうか」ということになりかねない。
大事なのでもう一度言うが、選択肢がいっぱいある子にするということは、特にやりたいことがない子にするということなのだ。

これでいい医者になれるのだろうか?
なれるはずがないし、患者の方こそいい迷惑だ。
こういうやり方でも医者にはなれるし、弁護士にもなれる。
だがいい医者やいい弁護士になることはできない。

どんな仕事も、なったときがゴールではなくそこがスタートなのだ。
ずっとやりたいと思っていたとか、本当になりたくてなったとか、強い使命感を感じてなったとか、そういう仕事なら、そこからがんばれる。
今まで以上の勉強や努力を惜しみなく続けていけるので、一流になっていくのだ。

だが、いっぱいある選択肢からなんとなく選んだ仕事では、そういうがんばり方はできない。
それまでの20数年よりもはるかに長い時間を、たいした意欲もなくその仕事に従事し続けることになるとしたら、周囲も迷惑だし本人も不幸だ。

●過去問が解けても仕事はできない

中高大と、ずっと受験勉強に追われ、ずっと与えられた過去問題を解くだけで、自分のやりたいこともできず、見つける時間もなかった子が、いざ社会に出たときに自分でやりたいことを見つけることは難しい。
与えられた課題を効率よく処理することはできるようになるかもしれないが、自分で課題を見つけたり、提案したり、企画を立て、人を動かし実行する力は育たないだろう。

実際、有名大学を出たエリートのはずなのに、会社に入るとまるで役に立たないという人の話はよく聞く。
私の知っている出版社のベテラン編集者も、「学歴はきらびやかだが、企画を考える力のない人が多い」と嘆いている。
一般の企業でも同じだろう。

子ども時代に何かに熱中したり、遊んだ経験がないと、自発的に関心や興味を抱いて、実行する力が育ちにくい。
親がいくら「職業の選択肢を広げる」ことを金科玉条のごとく考えても、当事者に選択の動機がなければ猫に小判だ。

昨年の話でこういう例がある。
小学校6年生の子が博物館で開催されているインカ・マヤ・アステカ文明展を見に行きたいといったが、親は「そんな時間があるなら、過去問をやりなさい」と行かせなかったそうだ。

もし、展覧会に行っていたら、その子は古代文明への関心を自分の中で大きく育てていくことができただろう。
もちろん、その分野の研究者になるとは限らないが、一時期でも自分が熱中した経験はその子の中に宝として残る。
何かに熱中して自分で深めることのおもしろさを味わい、その方法も身に付けるだろう。

このような自ら伸びる芽をつみ取り続け、小中高大学というように子どものころから受験受験で追いまくり、やりたいこともやらせずに育て続けて、成長した暁に「なんでもやれるよ。何を選んでもいいんだよ。」と言っても、もう遅い。

●均一集団は人間関係力を弱める

難しい中学入試を突破し、入学してきた集団はほぼ均一の能力を持っている。
優秀な友人たちに囲まれて自分もがんばるというメリットはあるが、一方で、中高時代を均一の集団に属するデメリットもある。
人間の付き合いの幅が狭くなり、いろいろな人間との関係を構築する力が育たないのだ。

公立学校はいろいろな生徒が集まってくる。
優秀な子もいるし、逆にかけ算もできないような子もいる。
その両極端がいる方が大事な人生勉強になる。

ところで、私の母は糖尿病と高血圧に悩み、私は母に付き添っていつも病院に通っている。
これまで3ヶ所の病院にかかったが、そのうちの2ヶ所の医者には驚いた。
まともに患者と対話ができないのだ。

ある医者は、75才の母が病状を説明しようとしても、話を遮り自分のいいたいことだけをいう。
しかも、患者と目を合わせることも少ない。
パソコン上の検査データを見つめて、勝手に自分のいいたいことをいっているだけだ。
「そうですか、それはつらいですね」という共感の一言さえない。

その医者がパソコンを見ながらいった一言には、本当に驚いた。
その医者はかなりの早口でこういったのだ。
「しこうてきにけいこうとうよざいはどうでしょうか」

何のことかわからず、母はポカーンとしていた。
私の方も、「歯垢?蛍光灯?・・・あっ、そうか!」という感じで、彼が「試行的に経口投与剤はどうでしょうか」といっているのだとわかるまでに、1,2秒かかった。
文字にすればわかるが、日常的に使わないそんな言葉を早口でいわれたら、年寄りでなくてもわからない。
なぜ、「試しにこの薬を飲んでみましょうか」といえないのか。

彼は幼小中高大とエリートコースを歩み続けてきて、これまで「試行的に経口投与剤」というような言葉がすぐわかる均一集団の中だけで過ごしてきたのだ。
小中時代にも、かけ算ができなかったり漢字が読めなかったりする友達と勉強したり遊んだりした経験は全くない。

彼は、目の前の75才のおばあちゃんが「試行的に経口投与剤」といったとき理解できるかどうか考える必要性する理解していないのだ。
もしかしたら、こういう言葉がわからない方がダメだという傲慢な考え方も無意識で働いているのかもしれない。

彼がどれほどの知識をもっているのかは知らない。
だが、臨床医としては、まず患者の訴えを十分聞き、問診をして、相手がわかる言葉で病状や治療方法を説明するのが当然ではないか。

つい3日前、母の白内障の検査のために目医者に行ったが、そこでも同じようなことがあった。
医者の問診力、つまり患者とのコミュニケーション力にはほとほとあきれることが多い。

●私立中学には志を持って進め

医者や弁護士だけでなく、あらゆる仕事が人間関係力やコミュニケーション能力を抜きには成り立たない。
このことは働いたことがある者ならば誰もが知っている。
学歴や知識だけでは仕事はできないのだ。

そして、世の中には自分たちと違う知識、違う言語環境、違う価値観を持っている人々がたくさんいる。
仕事をするということは、そういう人たちとコミュニケーションしていくということだ。
医者は医療知識のない人を説得して積極的に治療に取り組むように動機付けをする必要があるだろうし、弁護士ならば犯罪を犯した人々と腹を割って話さなければならないときもある。
これは過去問を解くようには簡単にいかない。

私たちは自由の社会に生きている。
だから、自分たちはこういう人間を育てたい、こういう教育をしたい、こういう学校を作りたいということで、独自の建学の精神をもって私立の学校をつくり運営することは当然あっていいことだ。

あっていいどころか、むしろ望ましいことだ。
なぜなら、そこでは、多様な価値観のもとでの教育が可能になるからだ。
そのような多様性が保障されない社会、この場合でいうと公立の学校しか存在しない社会というのは、恐ろしい。

親や子どもの立場から見ても、ことは同じだ。
私たちには、「わが子にこういう教育を受けさせたい」「自分はこういう教育を受けたい」と自由に選ぶ権利がある。
だから、この場合でいえば、私立中学を自由に受験する権利があるのだ。
そして、先ほどと同様、これも望ましいことなのだ。

だが、今の問題は、そのような私立学校の持つ本来の価値とは別のところで、別のモチベーションによる異常な受験ブームが起きているということなのだ。


もう一度、私は親たちにいいたい。


●ブームに流されず、受験産業のプロパガンダに踊らされず、長い目で大局観をもって本当にわが子のためになる選択をして欲しい。
受験のプラスとマイナスを冷静かつ総合的に分析して、場合によっては、無理な志望校の変更や受験そのものからの勇気ある撤退も視野に入れて判断して欲しい。

●わが子の特質や実力をよく見て、もし受験を選択する場合も、決して子どもに無理な要求をしないで欲しい。
健全な日常生活を送りながらの受験勉強で行けるところに行く、これで十分なのだから。

●成績が上がらないからといって、感情的に叱りつけたり罵詈雑言を浴びせたりしないで欲しい。
生涯にわたるいい親子関係をつくる上で、今が一番大事な時期だということを改めて認識して欲しい。


次に、メディア関係者にいいたい。


●ネット、雑誌、新聞などで中学受験に関する記事を取り上げるメディアは多いが、内容は私立中学受験のメリットや「こうしたら合格した」という成功談ばかりだ。
私が今回話したような中学受験のリスクに関する情報はほとんど表に出てこない。
これでは片手落ちというものだ。
なかなか表に出てこない中学受験のリスクも取材して取り上げなければ、メディアと言えないのではないか。


そして、受験産業関係者にいいたい。


●「自分の目の前にいる子どもとその親にとって、本当にいい選択肢はどれか?」と考えるハートを持って欲しい。
そのために、自分のスキルやノウハウを活用して欲しい。

初出「親力養成講座」日経BP  2008年7月

中学受験についてはこちらもご参考にしてください
カテゴリ:中学受験