少年鑑別所に務めている職員が書いた本を読んだことがある。
その本には、収容されている子どもたちが親のことについて話すとき、「うちの親は何を言ってもムダ」「うちの親父は聞く耳を持たない」「うちの親は話にならない」「オレのことを全然分かっていない」といった言葉が多いと書いてあった。
つまり、彼らは親が自分たちの話を受け入れて共感してくれないと思っている。
どんな子どもも親に話を聞いてもらいたい、自分のことを分かってもらいたいと思っている。
ところが、多くの親は「しつけなければ」という意識が強すぎるために、子どものありのままの姿や気持ちを受け入れて共感することができない。
あるとき、わたしは総合病院の待合室で、ある親子が待っているのを見た。
もうかなり長い時間待っているようで、子どもは待ちくたびれていた。
「もう帰ろうよ~」「疲れちゃったよ」と子どもは騒いでいる。
母親は「帰ったら診てもらえないでしょう」と言うが、子どもはぐずる。
母親はついに切れて、「何度言ったら分かるの! わがまま言うんじゃありません!!」と怒鳴り、子どもが泣き出した。これは、よくある光景だろう。
●まず受け入れて共感する
実はぐずる子どもは自分の気持ちに正直なだけだ。
どんなに帰りたいと思っているか、お母さんに分かってもらいたいから騒いでいる。
それを強圧的に抑えつけて、がまんしろと言っても、特に小さな子はがまんできない。
そこで、このようなときは、お母さんが受け答えの仕方をちょっと変えてみてほしい。
「もう帰ろうよ~」
「本当に、帰りたいわね」
「疲れちゃったよ」
「そうだね、お母さんも待ちくたびれちゃったわ」
「お腹空いちゃったよ」
「お母さんもお腹ぺこぺこだわ。でも、待っている人がだいぶ少なくなってきたから、もうすぐ順番が来るわよ。終わったら、おいしいものを食べようね」
「うん」
まず、子どもの気持ちや言いたいことを受け入れて共感してやる。
すると、子どもは自分の気持ちを分かってもらえたことで、かなり満足する。
そうすれば素直になるので、しかる必要などなくなる。
実は子どもだって、いま帰れないことは分かっている。
分かっているけど、いま思っていることを言いたいのである。
それを頭からはねつけられてしまうと、不満ばかりがたまってしまう。
そして、冒頭のように「うちの親は何を言ってもムダ」と思うようになる。
わたしはこうした受け答えのやり方を「イエス、イエス、バット」と呼んでいる。
子どもの言葉を「イエス、イエス」と受容して共感し、その後で、「バット(しかし)」できないこともあると教えてあげるわけだ。
●しかるからわがままになる
多くの親は「子どもの気持ちを受け入れていたらわがままになる」と考えているようだ。
その上、メディアなどで最近、盛んに「しからないダメな親が多い」とか「ダメなものをダメと言えない親が多い」と報道されるので、自分はしっかりとしつけなくてはと思っている。
しかし、その“まじめさ”は反対の結果を生んでしまう。
子どもは気持ちを受け入れてもらえないからわがままになる。
子どもの願いや気持ちを頭からはねつけて門前払いし、ちゃんと話を聞かない態度を繰り返すと、子どもは「親に何を言ってもムダだ」と思うようになり、不信感さえ抱くようになる。
大人だって同じだ。
部下の話や要求をちゃんと聞かずに「そんなのはダメだ」といつもはねつける上司が信頼されるだろうか。
あの人に何を言ってもムダだと部下は思うようになるだろう。
子どもが「新しい自転車がほしいよ」と言ったとき、「ダメ、ダメ。わがまま言うんじゃない」といきなりはねつけるのはやめよう。
まずは、「確かに古くなってきたな」「新しいのがほしいんだね」などとたっぷり共感してやる。
そして、その後に「でも、もったいないからもう少し乗ってみようよ」「今買うと中途半端だから、もう少し我慢しよう」などと言えばいい。
決して、子どもの言いなりになる必要はないが、まず要求を聞いて、受け入れることで、子どもの気持ちはある程度、満たされ、わがままどころか我慢を学ぶことになる。
●親子関係が人間関係の基本
一時、成人式で大暴れする若者たちが社会問題になったことがあった。
いわゆる識者と呼ばれる人たちの多くが、「大人の毅然とした態度を示せ」とか「親がダメなものはダメと言わないからだ」などと言うばかりだった。
だが、それらの論調はすべて上から目線のものだ。
なぜ若者がそういうことをしてしまうのかを、彼らの立場に立って考えてみようという発想が全くない。
実は、こうした若者の反社会的行動の裏側には、積もり積もったストレスが隠されていることが多いのである。
彼らは、親からずっと「ダメなものはダメ」と頭ごなしに言われ続けてきたのだ。
自分たちの気持ちや要求に対して親の共感を得ることができずに、その積もり積もったストレスや怒りが反社会的な行動になって表れるのである。
子どもにとって、親の受容と共感は愛情の証である。
親は子どもへの愛情からしかるのだろうが、子どもは受容と共感なしにしかられることが続くと、自分は愛されていないのではないかと不信感を抱き始める。
親子の関係はすべての人間関係の基本である。
親に不信感を持つと、友だちや先生など周囲との関係でも信頼感を築けなくなり、最後には社会に対して反感を抱くようになる。
親は理想の子ども像を持ち、それに近づけようとしつけ、しかるのだが、子どもには子どもの個性がある。
勉強や整理整頓、あいさつが苦手な子どもだっている。
それを「ダメだ、そんなことではダメだ」と言い続けていたら、自信をなくしたり、親に不信感を抱くようになる。
まずは子どもを「イエス、イエス」とありのままに受け入れて、必要であれば、最後に「バット」と教え諭してやれば、子どもは必ず親の思いに応えてくれるだろう。
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