●歌人・島秋人を支えた先生のひと言


「遺愛集」という歌集を残した島秋人(しまあきと)という歌人がいました。
彼が13才の時、貧乏な生活の中で最愛の母がなくなりました。
その後は、父親に疎まれ邪魔者扱いされ、他人からはバカにされて少年時代を過ごしました。
中学校卒業後に家出して放浪生活に入り、やがて窃盗や放火などを起こすようになりました。


そして、とうとう強盗殺人を起こして逮捕され、昭和37年に最高裁で死刑が確定されました。
それから、昭和42年に死刑によりこの世を去るまでの間、拘置所で過ごしました。
彼は拘置所から一通の手紙を書きました。
宛先は吉田好道(よしみち)という人で、その人は島が中学校の時の図画の先生です。


彼は子どもの頃から人にほめられたということが全くなくて、いつもバカにされて過ごしてきました。
でも、吉田先生にたった一度だけほめられた思い出がありました。
本人によると、ほめられたのは「自分の一生のうち、その一度だけだった」そうです。


その手紙が縁となって吉田先生夫妻と交流が始まり、奥さんのすすめで短歌を始めました。
毎日歌壇に投稿するようになると、選者の窪田空穂(うつぼ)に見いだされ、たびたび掲載されるようになりました。


やがて彼を理解し愛情深く接してくれる人たちもあらわれ、そしてキリスト教の信仰にも
救われながら歌境を深めました。
そして、最期には感謝と祈りの心で死を迎えるに至りました。


彼の歌を2首紹介します。


温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛しむ


許さるる事なく死ぬ身よきことのひとつをしきりと成して逝きたし


島秋人の罪は簡単に許されるものではありませんでしたが、その人生の最期はよきものに向かっての精進の日々となりました。
そのきっかけになったのは、中学校時代にたった一度先生にほめられたという記憶でした。
本当に、先生のひと言の持つ大きさというものを考えずにはいられません。


●先生にほめられたことを80才になっても思い出す


次は私の叔父さんの話です。
あるとき私が叔父さんの家にいきますと、叔父さんは居間の真ん中に座って、額に入った一枚の賞状を見ながらニコニコしていました。
叔父さんは今80才近い年齢ですが、子どもの頃を思い出して次のような話をしてくれました。


叔父さんは子どもの頃いたずら小僧で、叱られてばかりでほめられたことがなかったそうです。
でも、あるとき先生にほめられて、みんなの前で賞状までもらいました。
(おじさんは何でほめられたのかも話してくれましたが、私が忘れてしまいました)


そのようにほめられて賞状をもらったのはたった一度だけで、うれしくてうれしくてたまらなかったそうです。
大人になってからも、よくその賞状を眺めながらそのときのことを思い出して、うれしい気分に浸っていました。


ところが、たぶん家を新築したときらしいのですが、その賞状がどこかにいってしまいました。
ずいぶん探したけれど、とうとう見つけることができませんでした。
それで、叔父さんは字が上手な人に頼んで、同じように賞状を書いてもらうことにしました。


いつもよくその賞状を見ていたので一言一句しっかり覚えていました。
おかげで、まったく同じように書いてもらうことができたそうです。
80才近くなった今も、叔父さんはその賞状を見ながら、そのときのことを思い出してニコニコしているというわけです。

 
この話を聞いて、私は「へえ、そこまでする?よほどうれしかったんだ」と思いました。
子どもの頃先生にほめられたことが、80才になろうとする今も心の支えになっているというのですから驚きました。


●美術の先生に「個性的で良い」とほめられた


私がお世話になっているある教育関係サイトのIさんは、次のように言っています。

高校の美術の時間に自画像を描いたとき、一人だけ顔の色を紫に塗ったのですが、美術の先生が「個性的で良いですね」と褒めてくれたことを今でも覚えています。
このことは私の中で「人と違うことをしても良い」という価値観として今も活きていると思っています。

つづく
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