●親子の気持ちはすれ違う

 
ただ今放映中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」を面白く見ています。
毎日見られるというわけでもないので、ときどきストーリーがわからなくなることがありますが……。

 
そんな中で思ったことがあります。
それは、親という存在は本当によく子どもの行く手を遮るものだということです。

 
主人公のあさの子ども時代は、自分がやりたいことをどんどんやっていきたいという、やる気満々の女の子でした。
親にやらせられる琴や裁縫は嫌いで、そろばんや学問をやりたいと思っています。
親に決められた許嫁(いいなずけ)との結婚には納得できません。

 
そんなあさに対して、母親は「おなごに学問は必要ない」と言い、父親は「こらあ、あさ~」と叱ってばかりです。

 
母親も父親も、あさには夫を支えて家を守るという昔ながらのおなご(女子)の人生を生きて欲しいのです。


あさの唯一の理解者がおじいちゃんで、自分のやりたいことをどんどんやるようにと、あさを励ましてくれます。

 

 
●ばりばり働く? 夫を支える?

 
成人してからのあさは、いろいろな逆風はありつつも、けっこう自分のやりたいことをやっています。
やりたいと思った炭鉱や銀行の事業も実現しましたし、今は女子大学を設立するために邁進しています。

 
そして、あさは、娘の千代にも自分のようにばりばり働く女になって欲しいと思っています。
そのためにも、自分たちの勉強会で勉強して欲しいと思っています。
ところが、千代は昔ながらのおなごの生き方をしたいと願っています。

 

 
●自分の親と同じ「いけず」をわが子にもしてしまう

 
千代の理想は、伯母・はつや祖母・よののような夫を支えるおなごであり、「おなごに学問は要らない。勉強なんかしたくない。花嫁修業をしたい」と思っています。

 
その根っこには母親であるあさへの反発があり、ばりばり働くあさのようなおなごにはなりたくないという気持ちがあるのかも知れません。

 
同時に、もって生まれた気質もあるのかも知れません。
ですから、自分の価値観を押しつけてくるあさに対する反発は強まるばかりです。

 
あさは、自分が子どもだった頃、やりたいことがやれなくて悲しい思いをしていたはずです。
自分がやりたくないことを親にやらされて反発していたはずです。
それなのに、自分が親になった今では、自分の親と同じ「いけず」なことを千代に対してやってしまっています。

 

 
●祖父母は子どもの心の安全基地でいい

 
悩める千代にも理解者がいて、それは祖母のよのです。
あさにとっては祖父が理解者でしたし、千代にとっては祖母が理解者なのです。

 
子どもの気持ちを受け入れて、共感してくれる祖父母は本当にありがたい存在です。

 
「ちびまる子ちゃん」にも友蔵というおじいちゃんがいます。


友蔵は、まる子を百パーセント受け入れてくれます。
友蔵がどれほどまる子の支えになっているかわかりません。
友蔵は、まる子の心の安全基地なのです。
友蔵がいなければ、まる子はただのひねくれ者になっていたかも知れません。

 
こういう共感的な理解者がいるかいないかで、子どもの人生は大きくかわってくると思います。

 

 
●子どもの人生を奪う親

 
あさの姉のはつには、藍之助という息子がいます。
藍之助はあさの銀行で働きたいと強く願っています。

 
ところが、母親のはつは大反対します。
愛する夫・惣兵衛と必死の思いでつくりあげてきた、自分たちのミカン農家を継いで欲しいからです。
そうでないと、夫の惣兵衛に申し訳ないという気持ちもあるようです。
その気持ちもわからないではありません。
 

でも、その親の気持ちを通せば、子どもが本当にやりたいと願っていることをできなくさせてしまうことになります。
それは、はっきり言って、子どもの人生を奪ってしまうことです。

 

 
●子どもの人生は子どものもの

 
子どもの人生は子どものものです。
子どもが自分の人生を思い切り展開できるように応援してあげて欲しいと思います。

 
ところが、子どもが自らやりたがることを応援する親は、ドラマでも現実でも少ないようですね。

 
子どもには自分がやりたいことを自分で見つけて自分でばりばりやっていく、そういう人生を生きさせてあげて欲しいと思います。

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