子どもたちとの信頼関係が完全に壊れ、学級崩壊に至って初めて気がつきました。
人と人との信頼関係が壊れるということが、どれほど辛く苦しいことなのかということに。
口でいくら立派なことを言っても、もう何ひとつ受け入れてもらえません。
同じ空間にいること自体が苦しくて、教育どころの話ではありません。
苦しい中で私は考えました。
「なぜ、こんなことになってしまったのか?」と。
思い当たることはいくつもありましたが、最大の理由は叱りすぎでした。
自分が勝手に思い描いた「あるべき姿」をもとに、「こうしろ。ああしろ。何度言ったらわかるんだ。なんでできないんだ。ちゃんとやらなきゃダメじゃないか」と叱り続けていた結果がこれだったのです。
●人間同士としてのリスペクト
私には、子どもたちのことを理解して寄り添うという気持ちが欠けていました。
上から目線の一方的な押しつけばかりで、人間同士として一人一人の子どもをリスペクトし、思いやるということが足りなかったと思います。
これが子どもにできるのか?
無理なことを求めているのではないか?
子どもたちはどう思っているのか?
子どもたちの願いは何なのか?
こういったことはまったく考えず、とにかく自分の考えを一方的に押しつけて、できないからと言って叱り続けていたのです。
その当然の結果としての学級崩壊です。
●合理的な工夫で叱らなくても済む
学級崩壊をきっかけに猛反省して、次の年から私は生まれ変わりました。
とにかく、まずは、子どもを否定的に叱り続けるのをやめようと決意しました。
それで、私は、叱らなくても済むように合理的な方法を工夫することにしました。
例えば、毎朝学校に来たら自分のアサガオに水をやる、というルールを守らせたいとします。
以前だったら、忘れた子に「まだアサガオに水をやってない。ちゃんとやらなきゃダメでしょ。何度言ったらできるの!」と叱っていました。
でも、猛反省の後は、そんなことにならないように合理的な工夫をしたのです。
●叱らないシステム
まず、前の日に下校するとき、脱いだ上靴の中に水やりのためのペットボトルを入れておくようにしました。
すると、朝登校したときに上靴を履く前に水をやることができます。たったこれだけのことで、ほとんどの子ができるようになりました。
それでもやらない子はいました。
いつも決まった数人の子が水やりを忘れていたので、その子たちに声をかけて水やりを誘うしっかり者の子たちを数人決めておくことにしました。
これで、みんなできるようになりました。
このように、ちょっとした工夫をすれば、叱らなくても済むようになるのです。
私は、いろいろな場面で叱らないで済む工夫を考えるようになりました。そして、これを「叱らないシステム」と呼ぶようにしました。
すると、だんだん考えるのが楽しくなってきました。
工夫してうまくいかないときも、「なるほど、そうくるのか。これならどうだ?」という感じで、知恵比べのようにチャレンジ精神を掻き立てられました。
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