●私は叱ってばかりの先生だった

 
私は小学校の先生を23年間やりましたが、はじめの10年間と後の13年間ではかなりやり方が違っていたと思います。


ひと言で言って、はじめの10年間は叱ることが多かったです。
 

こういう教育をしたい、子どもたちをこう変えたい、こういうクラスにしたい、などの思いが強すぎて空回りばかりしていました。
 

決められたことがきちんとできる子、責任を果たせる子、目標に向かって自らがんばれる子、友達と協力して取り組める子、そして自分たちで授業を進められるクラス、行事などには自主的に取り組めるクラス、などと理想を描いていました。

 
でも、こちらの思うとおりにいくはずがなく、自然と叱ることが多くなりました。

 
「また○○してない。何度言ったらできるの? ちゃんとやらなきゃダメでしょ」。


「他のクラスは自主的に運動会の練習してるよ。あなたたちは何をしてるんですか? 口ばっかりじゃないですか」。
 

こういう感じです。




●叱りすぎて学級崩壊に至る

 
そして、とうとうあるとき学級崩壊に至りました。その年は、特にたくさん叱っていたからです。
 

というのも、私のクラスの両隣の2人の先生がとても優秀な先生たちで、クラスの子どもたちもしっかりしているように見えて、私は焦ってしまったのです。

 
がんがん叱り続けていたら、たしか2学期の運動会が終わる頃からだったと思いますが、子どもたちがよそよそしくなってきました。

 
子どもたちから話しかけてこなくなりましたし、いろいろ指示を出しても聞かなくなりました。
 

それで、ますます焦ってよけいに叱ることが増えました。すると、さらに子どもたちの心は離れていきました。

 
それで、「○○しないと□□だぞ」という罰で動かそうとしました。これで、またさらに子どもたちの心は離れていきました。

 
完全な悪循環です。




●教室にいても針のむしろ

 
3学期になると、子どもたちは全然言うことを聞かなくなりました。


私と子どもたちとの信頼関係はまったくなくなり、人間関係の崩壊状態、つまり学級崩壊です。

 
こうなると本当に辛いです。教室にいても針のむしろです。
 

子どもたちも辛かったと思います。このとき、子どもたちは次のように感じていたと思います。

 
「先生は私たちのことをダメな子どもたちだと思っている」

「先生はぼくたちを嫌っている」

「自分たちのクラスはダメなクラスなんだ」
 

こう感じている子どもたちが、私の言うことなど聞くはずがありません。もう何を言っても聞く耳を持ちませんでした。
 

私は毎朝起きるのが苦痛でした。
学校に行くのも苦痛でした。
教室に向かう足取りは鉛のように重かったです。