「教職課程」(協同出版)という教員志望者のための雑誌で、インタビューに答えました。内容は、親野智可等の子ども時代、学生時代、新任教師のころ、そして最後に教員志望者へのメッセージです。


■英語と読書の学生時代


● 学生時代に印象に残っている先生はいらっしゃいますか。

小学校の5,6年と受け持ってもらった,飯塚楽太郎先生が印象に残っていますね。“楽太郎”という名前なのですが,非常に厳しい先生でした(笑)。

今でもよく覚えているのですが,4年生の終業式に,グラウンドに生徒が集合して,5年時のクラス発表をしたんです。

まず「5の1は○○先生,5の2が飯塚先生,5の3は○○先生」と担任の発表がされて,みんな「2組にだけはならないように」と願うわけです。飯塚先生が厳しいのは,有名でしたからね。

それで,5の1から順に子どもの名前を発表し,呼ばれた生徒は新クラスの列に並んでいくわけです。1組の発表が終わって,2組の発表も終わりに近づいて,安堵の気持ちが芽生えてきていたら,あろうことか,2組の最後の1名で,私の名前が呼ばれてしまったんです(笑)。

「はい」って返事をして,5の2列の一番後ろに並んだ時の絶望的な気持ちは,今でも覚えていますね。


● 具体的にどのように厳しかったのですか。

例えば算数の授業で,子どもの理解が悪かったりすると,次の時間も算数の授業をやるんです。その日はもう一日中算数の授業なんて日もありました。

あとは「体力を付けなきゃいかん」という独特の教育理念があって,10キロの砂袋を持ってのヒンズースクワットを,休み時間に毎日やらされていました。

ものすごく厳しい先生でしたが,子どもながらにも「すごい先生だなあ」「ありがたいなあ」と感じていましたね。

6年生の時の謝恩会で劇をやることになった時にも,一所懸命指導してくれたおかげで,とても充実した達成感を味わことができました。


● 学生時代の事を教えて下さい。

小学生の時は,3月生まれで体が小さいということもありまして,運動も苦手,勉強もそイマイチといった,鳴かず飛ばずの状態でした。

それで「このままじゃいけないな」と子どもながらに思って「中学になったら,英語を頑張るぞ」と決意したんです。

なぜ英語かといいますと,当時は6年生で英語を習っている子なんて,一人もいなかったんです。それで「みんなゼロからのスタートならチャンスだぞ」と思ったわけです。

そこで私が極端だったのは「ほかの勉強を万遍なくやってたら,できる子には絶対かなわないから,英語だけをとことんやろう」と決意したんです。その結果,10段階評価の10をとれたんです。

非常に嬉しくて,自信も付いたのですが,反対に数学ができなくなってしまって(笑)。-2×-3が+6になるという理屈が,当時はまったく理解できませんでした。

英語はクラスの一番で国語と社会はまあまあったのですが,数学と理科ができないという,完全な文系体質になってしまい,高校受験をどうしようかと悩んでいたのですが,ちょうど中学2年の時に,県立吉田高校という新しい高校ができて、そこに英語科もできたんです。

それで「僕のためにできた学校だな」と思って,そこに入学しました。

ただ,そこで英語力がさらに伸びるとよかったのですけど,なぜか英語に対しての興味を無くしてしまって(笑)。当時の文庫ブームにどっぷりとつかって,本ばかり読んでいました。

大学受験の時期になっても,就職のことはなにも考えずに「とにかく4年間でたくさん本を読むぞ!」という動機と,哲学が好きだったという理由で,日本大学哲学科に入学しました。

在学中も読書三昧でしたね。それで“いざ就職”ということになった時に,哲学科だから就職先が全くないんですよ。

「さあ,困った」ということで,親戚のおじさんに相談したら「公務員がいいじゃないの」と言われ,県庁と市役所を受けたんです。が,何も勉強していなかったので見事に不合格,そのまま卒業してしまったんですね。

「さあ,また困った」と,もう一回そのおじさんに相談したら「教員がいいんじゃないの」と言うんですね。それで玉川大学の通信教育で免許を取り,平行して受験勉強を始めました。


● 教員採用試験では,一般教養で数学も出ますが,苦手だった数学の勉強方法はどうされたのですか。

独学で,中1の数学の教科書や,参考書から始めたのですが,不思議な事に,すんなり理解できたんです。


● すごいですね。なにかきっかけがあったのですか。

そこで私は2つのことが分かったんです。やはり1つはモチベーションですね。もう後がないから是が非でも受かるしかない。そのモチベーションの大きさが理由の1つです。

もう1つは,数学的思考を受け入れる脳の器が出来あがった,というのがありますね。例えば,ある人は“言語能力の目覚めが遅いけど数学的能力は早い”,またある人はその反対といったように,伸びるスピードも時期も,人によってバラバラなんですね。

私のように,小さい時に数学的な思考能力が育っていなくても,大人になるまでの間に自然成長で器ができることがあるんです。私はそれを,身をもって体験しましたね。


■「叱る」指導から「褒める」指導へ


● 教員時代の話を聞かせてもらえますか

「でも,しか」で教師になりましたが,実際に仕事を始めると,すごく楽しくて,やりがいがありました。最初の数年間は,メモ程度の学習指導案を毎時間書いていましたね。


● 本誌の中でも「学習指導案のつくり方」というページがありますけれども,先生方の書いたものを見せていただくと,ものすごい熱意で書いているということが,非常によく伝わってきますね。

そうですね,私にもエネルギーはすごくありました。ただ,そこで1つ問題が出てきてしまったんです。教員はみな「こういう指導をしたい」という理想を持つのですが,この理想が高すぎて痛い目に遭ったんです。

5年生を受け持った時です。その時,5年生は3クラスあって,私は2組の担任を受け持ったのですが,1組と3組の担任の先生がすごく実力のある先生方だったのです。

私も「負けちゃあいられない」と意気込んだまではよかったのですが,ふと気が付くと,やはり1組と3組の子と差が出てきてしまった。

例えば「自主的につくる運動会にしよう」という指導をした時の話なのですが,1組と3組の子は,休み時間に自主的にグランドを一所懸命走っている。ところが、私の2組の生徒は誰もグラウンドを走っていないんです。

こうなると私も焦ってしまって,ついつい怒ってしまう。そうなると子どもも反発しますから,さらに言うことを聞かなくなる,それに対してさらに怒るという悪循環が始まってしまったんです。


●一度そうなってしまうと,関係修復はなかなか難しいのですか。

一度壊れた信頼関係は取り戻すのが難しいですね。私の場合、学級崩壊に向かって一直線でした。一番辛かったのは,持ち上がりで6年生に上がった時の始業式でした。

担任発表の際に「6-1,○○先生」と発表されて,子どもが「やったー!」って声を上げるんですよ。で「6-2,杉山先生」と発表がされたら,全くの無反応。「えー」とも言わないんです。言ったら後で怒られると生徒は思ってますからね。

で,また「6-3,○○先生」で「やったー!」という声。これはいたたまれなかったですね。


● そういった経験から現在の「褒める」指導法が生まれたのですね。

そこで初めて,今までの「怒る・叱る」指導法について反省したんですね。

現在の私が考える「いい先生」に必要なのは,自分の理想とか,イメージを優先するのではなく,一人一人の子どもの,ありのままを受け入れて,共感し,できないことは許す,そういった姿勢なんです。その姿勢があって初めて,方法や言葉の工夫が実を結んでくるのですね。


■工夫ひとつで空気は変わる


● 具体的な工夫の方法について教えていただけますか。

当時の指導方法の工夫で,一つ印象的なものがあります。私のクラスでは,朝,登校したら,宿題物を出すことに決めていたのです。

ひどい目にあって懲りる前は,宿題を出してない子を朝の会で叱っていたわけです。そうすると,やはりクラスの雰囲気は一日中悪くなってしまう。

そこで考えたのは,まず,クラスの小黒板に,「花に水をやる」「宿題を出す」といったように,朝やるべきことについて書いておいたのです。この黒板を,生徒の目に見えるところに立てかけておく。

それだけでも効果はあったのですが,それでも,やらない子もいる。以前はそこでまた怒っていたのですけどね。

次は,係の子に朝の読み上げをさせました。「さぁ,読みましょう,“宿題を出す”“花に水をやる”」といった感じで,クラスにいる子どもはみんな黒板を読むわけです。

そうすると,耳から入るので,黒板を見ない子でも気が付くのですね。これで,かなり解決するわけです。

しかし,それでも出さない子がいるんです(笑)。3つ目の工夫は,「宿題を出そう」と書いた紙を,係の子が前の日に宿題を出さなかった子の机の上に置いておくんです。これで,9割がた解決します。

でも,それでもまだ出さない子もいる。そこで最終手段にでます。ある子を呼んで「Aさん,B君のところに行って,宿題を出すように言ってきてくれるかな?」「B君が出すまで離れちゃ駄目だよ」と頼むわけです。

Aさんは朝,B君が登校すると「宿題,出して」と,言いに行くんです。たとえB君が「出さないよ」と言って遊びに行ったとしても,ずっと付いていく。そうすると,さすがのB君も提出してくれる。

このスペシャルミッションを担当してもらう子は2人くらいいたのですが,癒し系の子に限りましたね(笑)。角が立つ子だとけんかになってしまうので。これで万事解決です。


● 四重策ですか。すごく行き届いた指導法ですね。

この指導法を,ある時,職員室で話したのですが,ある若い先生に「そんなのは教育じゃありません。サービスです」と言われたんです。

でも、サービスでもいいんですよ。この方法でB君が宿題を出せるようになったことが重要なんです。そして何より,宿題を出せるようになったB君を「このごろ自分で出せるね」と褒めてあげると,嬉しそうに「うん」って言うんですよね。


● 子どもとしても,褒められると嬉しいですよね。

そうなんです。最初はサービスかもしれませんが,できるようにしてあげて,褒める。そうすると次第に,サービスがなくても,できるようになる。レベルアップさせてゆくことが一番大事なんですね。


● 言葉の工夫についても教えていただけますか。

言葉の工夫で大事なのは,“否定形を使わない”ということです。「何々しなきゃ駄目だよ」とか「何で何々しないの?」という言い方は,やはり言われた方はすごい不愉快になって,ストレスも溜まるんですね。

やはり「何々すると,うまくいくよ」といった肯定語がベストです。肯定語が難しいときはせめて単純形で言うようにします。「3分で何々するよ。ようい,どん!」とか,そういう言い方にするんです。とにかく,否定語さえやめれば,雰囲気は格段によくなります。

もう一つ“共感”の工夫というものもあります。例えば子どもが「先生,僕,何々ちゃんとけんかしちゃった」とかいってきますよね。そういうとき,教師も親も「けんかしちゃ駄目でしょう」とか言ってしまうわけです。

そうじゃなく,まずは,子どもの話をたっぷり聞いてあげる。子どもは自分に都合のいいことばっかり言うから,「嘘だろう」と思っても,それはグッとこらえて,とにかく最初に吐き出させて「そうだよねえ。そんなこと言われたの? 頭に来るよねえ」と共感してあげる。

そして最後に「相手はどう思ってるかなあ?」って聞いてあげるんです。そうすると,たっぷり言いたいことを言って,先生に共感して分かってもらえると,子どもは素直になるんです。

「ううん,相手も怒ってるかも」とか「実は僕から蹴っちゃった」といった言葉が,すんなり出てくるようになるのですね。

最初に「ノー」を突きつけると,子どもは何にも言えなくなりますから。最初はとにかく共感してあげる。「ノー」と言わなければならない場合でも,たっぷり共感して,最後に「ノー」を言う。

子どもにとって信頼できる大人というのは,自分のことを分かって,受け入れてくれる人なんです。ありのままを受け入れて,許す,共感する,たっぷり聞きつつ,言うべきことは最後に言う。こういったスタンスが大事になってきますね。


● そういった教員になるための,心構えはありますか。

どんな仕事でもそうなのですが,イメージの押し付けにこだわりすぎないことが重要ですね。

やはり教師として生きていく以上「子どもが育ってるねえ」とか「○○先生のクラスの子どもたちは,生き生きしてるねえ」とか,言ってほしいわけです。先生にとってはそれが最高の褒め言葉なんです。

しかし,それを求めた途端に,それは子どもという存在が,自分の評価を高めるための手段になってしまうんです。

そうなると,本当に子どもを理解して,受け入れることがおろそかになり,やはりイメージにこだわるようになる。たとえ言葉を工夫しても,たとえ方法を工夫しても,すべては,自分のためになってしまう。

この気持ちを,ゼロにすることは大変難しいんです。だけど「今,わたしがこういうことをやってるのは,本当に子どものためなのか?自分のためなんじゃないのか」ということを常に吟味していることが大事だと思います。


■発する言葉からポジティブに


● 最後に,教師志望者へのメッセージをお願いします。

まずは,今のうちにたくさん本を読んでおくべきだと思います。教師になると忙しくて,読む機会がなかなか作れないですからね。

読むことによって,ものの見方も多角的になりますし,選択にも幅が出ます。子どもを相手にする教師という職業は,丸ごとの人間力が問われるものですから,レベルアップを常に心掛けてください。

そして,先にも述べましたが,言葉というものは非常に大切です。教員志望の方は,自分の言葉に肯定語が多いか,否定語が多いかということに対して,いつも気を付けていてください。

そして否定語が多い人は,肯定語に替えてください。ポジティブな言葉を発するようになると,発想自体もプラスの方角から見るように変わってくるんです。反対に,否定語が多い人は,やはり見方自体が否定的になるんですね。

そして最後に,教員という仕事は,とてもいい仕事です。未来のある子どもたちと日々生活して,エネルギーをもらえるし、子どもにも学校自体からも,すごく学ぶことが多い。

あと,よく世間では「教師は世間のことを知らない」ということがよく言われていますが,わたしは正直「逆だなあ」と思いますよ。だって,これほどの多種多様な職業の人と,付き合う仕事ってないと思いますよ。


● そうですね。各子どもさんの家族全員が,付き合う対象になるのですからね。

本当にいろんな分野の人がいますからね。医者の家庭,公務員や芸術家の家庭,占い師の家庭まで,いろいろ見てきました。

紋切型で言われているイメージなど気にしないで,いろいろな人との付き合い楽しみ,自分の世界を広げていってほしいですね。

初出「教職課程」2011年(協同出版)

親野智可等のメルマガ
親野智可等の本
遊びながら楽しく勉強
親野智可等の講演
取材、執筆、お仕事のご依頼
親野智可等のお薦め
親野智可等のHP