授業研究論文

教論 杉山桂一

 


1. 研究題目

 


『対比』を読みとれば主題がわかる

―国語科・文学教材を中心に―


2. 研究目的


―文学教材の主題に迫る一つの方法として『対比』

を取り上げ、その有効性を検証する―


3. 研究方法


文学教材の鑑賞において、対比について考えさせ、その有効性を検証する。


4. 研究経過


    仮説


文学教材の多くは、内在的に対比構造を持っており、対比を検討することで、主題を読み取ることができる。

また、対比という概念を身につけた子どもは自分で文学作品を読む際にも、その主題の読み取りのために、対比を一つの技術として駆使することができる。


    事例1 たんぽぽ()


たんぽぽ

三好達治

たんぽぽ

たんぽぽ

なが咲けば春の風ふき

青き霞は丘をこめ

小鳥らはこの間にうたふ

のどかなるかかる佳き日の

路のべに咲けるたんぽぽ

たんぽぽ

年ごとになれは咲けども

その春に我はいくたびめぐりあふ命なるらん

たんぽぽの花


この詩の中で一番大切なのは、たんぽぽと(われの)命の対比である。

たんぽぽは、年ごとに、春が来るたびに咲くことができる。

一度は枯れても、種として生き続け、また次の年も、また次の年も、永遠に咲続ける。


それにひき比べて、(われの)命は、その春にいまいくたびめぐりあうことができるかわからない、一回限りのまことにあはれな命などである。


つまり、主題は、永遠に咲続けるたんぽぽに比べての、われの命のはかなさである。


さて、授業は、次のように進めるた。


(1)  たんぽぽの呼び方の変化の確認

(2)  前半と後半に分けるとしたら、どこか?

(3)  前半と後半を比べて気づいたことは?

(4)  この詩の中で対比されているものは?


子供たちは、なれ⇔われ、たんぽぽ⇔われ、の二つの対比にはすぐに気が付いたが、肝心な、年ごとに⇔いくたび、たんぽぽ⇔命、の対比はなかなか読みとれなかった。


だが、この対比を読み取らなければ、この詩の主題を理解することはできない。


たんぽぽと対比されているものがもう一つあるよ、というヒントによって、ようやく気がついた。

だが、その対比の意味はあまり深くわかってはいない。


そこで、たんぽぽとわれの命は、どういう違いが?と発問した。


たんぽぽは、年ごとに咲く、種を飛ばしていつまでも咲く、永遠に咲く。

われの命は、その春にいまいくたびめぐりあうことができるかわからない、一回限りの儚い命。

子どもたちは以上のように、たんぽぽとわれの命の対比の意味を読み取ることで、この詩の主題を理解することができたのである。


    事例2 俳句


菜の花や 月は東に 日は西に 与謝蕪村


見渡す限りの菜の花畑()、東の空に輝き始めた月()、西の空に沈みかけた夕日()

この三つが大きな空間の中に対比されて、まことに雄大で、しかも茫洋とした美しさを持つ俳句である。

菜の花畑と月と日の三つが、色と位置において対比されていることを、是非とも読み取らせたいところである。


さて、授業は次のように進めた。


(1)  読者に見えているものはなんですか?

(2)  一日の内のいつごろの話ですか?

(3)  菜の花はどれくらいありますか?

(4)  話者に見えているものを図で表して、話者の見ている位置も描きなさい。

様々な図が出たが上の図に落ち着いた。

始め①で菜の花を見、②で月、③で日というように視点が移動している。

三つのものの位置関係もイメージできた。

(5)  この俳句の中で対比されているものは?

子どもたちは月日、東西、月太陽など二つずつの対比にすぐ気が付き、続いて、菜の花日の三つの対比に気づいていった。

そして、これらが色と位置において対比されていることを読みとっていったのである。

(6)  目を閉じさせ、菜の花の畑(黄・地面一面)(白・東の空)⇔夕日(赤・西の空)の三つを対比的にイメージさせる。


三つのものの対比を読み取ることで、この一句の持つ雄大な美しさを豊かに生き生きとイメージすることが可能になったと考える


    事例3 白い風船(物語)


夢をなくしてしまった大人の象徴としての母親と夢の世界に生きる子どもの象徴としての凡太の対比。

同じ凡太でも、二年・四年の頃の夢にあふれた凡太と六年になってもはや夢を失くしてしまった凡太との対比。

忍者・円盤・宇宙人という、あるはずもないのに子どもの凡太には見えたものと昔は何か別のものに見えたのに今はそうは見えない白い風船の対比。

以上のように、この物語のなかでは、登場する様々な道具立が対比的に配置されることによって、物語の主題を効果的に表現している。

しかも、その対比関係は複雑である。


(1)  物語のなかで対比されているものは?

それらは何故対比と言えるのか?


母親(夢がない大人)⇔六年の凡太(夢をなくした)

凡太(夢がある子ども)⇔二年・四年の凡太(夢をもっていた)

母親(凡太に無理解)⇔白い風船(昔はもっと夢のあるものに見えた)

父親(凡太を理解する)⇔忍者・円盤・宇宙人(ないのに見えた

)


以上のように対比されているものを読み取ることで、夢にあふれた子どもだった凡太がやがて夢を失くし、大人になって行くという主題に迫ることができた。


授業後考えたことだが、二年・四年の凡太⇔六年の凡太という対比と、母親⇔凡太の対比は、どちらが重要か考えさせてみれば、さらに深く読み取ることができたかもしれない。


その場合答えは前者である。

それは、この物語は大人と子どもの違いよりも、子どももやがて夢をなくして大人になっていくということを、凡太の変化を通して描いているからである。


    対比を意識して


授業のなかで何度か対比を扱った後新しい教材に出会ったとき、子どもたちが自分から進んでその技術を使って発見的に読みとろうとする姿が見られた。

白い風船の時も、こちらから発問する前にその対比構造を意識しながら読み進める姿が見られたのである。


5. 研究成果と今後の課題


ここに挙げることのできた事例はわずかであるが、先に挙げた仮説は、自身の実践の中でその有効性が検証されたと考えている。


今後は、子どもたちが対比という概念を、個々の読書の中でさらに使いこなして行けるように指導を工夫していきたい。

各々がより一層豊かな文学体験を、積み重ねていけるように。