ある知人がこう言いました。




「自分たちが大学受験をした頃、試験会場に親が付きそうなどということはあり得なかった。大学の入学式に親が出席するなどということもあり得なかった。ところが、今はごく普通にこういったことが行われている。それどころか、入社式に親を招く会社もけっこうあるようだ」。

 

保育園、幼稚園、小学校、中学校の先生たちは口を揃えて言います。

「以前と比べて手がかかる子が増えた。子どもたちが年々幼くなっているように感じる」。

 

高校の先生たちは「今の高校生は昔の中学生と同じ」と言い、大学の先生たちは「大学生のレベルが昔の高校生並みになってきた」と言います。

 

企業の年長者たちも言います。

「近ごろの新入社員はまるで子どもで使いものにならない。30才くらいになってようやく使えるようになる」。

 

とにかく今の子どもや若者は全体的に幼くて手がかかる。

未成熟で自立していない。

昔はもっとしっかりしていて、15才くらいで元服して大人だった。

それに比べて今の子どもや若者には困ったものだ。

こういう話をよく耳にします。

 


でも、私はこういった考え方に賛成できません。

私はこれは一概に悪いこととは言えないと思います。

なぜなら、生物が高等になればなるほど成熟するまでに手がかかり時間もかかるからです。

 

例えば、昆虫は卵を産みっぱなしにするだけで子育てなどしません。

これが魚類になると昆虫に比べて子育てに手がかかります。

もちろん魚類といってもいろいろですが、中には孵化した稚魚を親が自分の口の中でしばらく守り育てる魚もあります。

これは昆虫ではあり得ないことです。

 

鳥類になるとさらに手がかかります。

卵を温めて孵化させ、ヒナにエサを運びます。

飛び方やエサの取り方を教えるものもあります。

魚類では、子どもに泳ぎ方を教えたりエサの取り方を教えたりすることはありません。

 

哺乳類になると、かなりの手間と時間をかけて狩りの仕方を教えたり、仲間集団におけるコミュニケーションの取り方や守るべきルールを教えたりします。

中でも飛び抜けて手間と時間がかかるのが人間の子育てです。

 

このようなことから、生物が高等になればなるほど成熟するまでに手がかかり時間もかかるといえるのです。

ということは、今の子どもや若者が手がかかるようになったということは、人類がよりいっそう高等生物になりつつあるということなのかも知れません。

 

 

しかも、寿命も延びています。

日本の平均寿命は、女性が約87才で男性が約80才です。

人生50年といわれていた頃よりも30年も長くなっていて、約1.7倍の寿命になっています。

ということは、成熟までの時間も1.7倍になるのが自然というものです。

 

例えば50センチのゴムひもを80センチに伸ばすとしたら、右側も真ん中も左側も同じように伸びます。

真ん中だけたくさん伸ばそうと思ってもそうはいきません。

人生も同じです。

人生の最盛期である真ん中だけ伸ばすことはできないわけで、成長期も老年期も伸びるのです。

 

ところで、この最盛期が伸びるということはとてもすばらしいことです。

例えば、一人科学者が最先端で研究できる期間が10年延びれば、大きな成果が得られるはずです。

科学の進歩は今まで以上に加速します。

 

芸術家や職人にしても同じです。

それぞれの道をより深く極められるようになり、人類の宝物といえるような物をたくさん生み出してくれるはずです。

 

教師にしても同じです。

たいていの場合若い頃は力が入りすぎて空回りし、20年、30年とやっているうちに余分な力が抜けてきて円熟の境地に達します。

子どもたちを長い目で見られるようになり、懐の深い教師になります。

今までは、せっかくその境地に達したところですぐ退職となっていたのが、もう少し子どもたちと一緒に過ごせるようになります。

これによって多くの子どもたちが救われます。

 

 

もちろん、仕事を続ける気力が保つのが大変とか、若者の雇用に影響が出るなどの問題も解決しなければなりませんが、基本的にはよいことだと思います。

それに、最盛期が長ければ新しい仕事や生活にチャレンジすることもできます。

なによりも、せっかく生まれてきたのですから、できるだけ長く元気に生きられるようになればありがたいことです。

 

あるいは、最近よく耳にする言葉に「50代の美魔女」などというものもあります。

美魔女コンテストなるものもあるようで、みなさん大変美しいです。

人生50年の時代だったら老婆と呼ばれていたであろう年代ですが…。

 

こういうよいことがあり、その一方で子どもや若者の未成熟というものもあるわけです。

一方で美魔女が増えれば、もう一方で若者たちが未成熟になるのは当たり前です。

これはコインの裏表であり、表だけもらっておくということはできないのです。

 

 

「昔は15才くらいで元服して大人だった。昔の人はしっかりしていた。それに比べて今の若者は…」。

こういうことがよくいわれますが、私はこれにも賛成できません。

 

確かに中世の武家では15歳ころに元服していました。

でも、その頃は、ある意味単純な世の中で、武士の子は武士になり、百姓の子は百姓になり、商人の子は商人になるのが当たり前でした。

「拙者は父上のような立派な武士になります」と言っていればいいわけで、何の迷いもありません。

誰でも仕事に就けて大人になれたのです。

 

ところが、現代では自分が何になるべきか迷いに迷います。

複雑な社会の中で非常に多くの選択肢があるからです。

さらには、競争も厳しく思うようにはいきません。

社会のあり方が違いすぎるのですから、一概に昔の人はしっかりしていたとはいえないのです。

 

さて、NHKスペシャル「寿命はどこまで延びるのか」(2015年1月4日放送)によると、これから30年後の2045年ごろになると、平均寿命は100才になるということです。

そのときは、2015年の頃を振り返りながら、「30年前の若者はもっとしっかりしていた」と言っていることでしょう。

 

このようなわけで、今の子どもや若者が未成熟で手がかかるといって嘆く必要はありません。

一部だけ見て嘆くのではなく、ことの全体を見れば喜ばしいことなのです。

 

ですから、いたずらに嘆いているのではなく、子どもや若者に手をかけ愛情を注いであげましょう。

一人一人を本当に大切に育てていきましょう。

それは、つまり一律の対応ではなくできるだけ個別の必要性に応じた過不足のない対応をしていくということです。

文明の発達とはそういったことができるようになることだと思います。

 

初出『月刊サインズ・オブ・ザ・タイムズ(福音社)20151月号』

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