日本では、「しつけのためなら叩いていい」「言ってもわからないときは叩いてわからせる」などという考えが未だに根強いようです。
叩くことによって一時的かつ表面的によくなったように見えることがあるので、この考えから抜け出せないのです。
でも、これは長い目で見ると非常に大きな弊害があります。
それは、世界中で行われている数多くの精神医学の実証的な研究によって明らかになっています。
子どもは叩かれるのが恐いので、親の言うことを聞きます。
でも、それは恐怖心から従っているだけであり、心から納得しているわけではありません。
ですから、叩かれる心配がない状況では、その反動が倍返しになって出てきます。
また、叩かれることで、子どもは親の愛情を疑うようになります。
「自分は親に大切にされていない。愛されていないようだ」と思うようになるのです。
親の愛情を実感できない子は、愛情を確認したいという衝動に駆られます。
すると、危険なことや反社会的なことなど、親に心配をかける行動に走ります。
親が心配する姿を見て、「ほら、こんなに心配してくれている。愛されている証拠だ」と実感したいのです。
もちろん、そこまで意図してやるわけではありませんが、満たされない不満と不安のマグマに突き動かされてしまうのです。
また、叩かれることで、「自分以外の人間は敵だ。自分を守らなければ」という被害妄想的な意識が強くなり、それによって攻撃性が強くなります。
さらに、叩かれることで、子どもは屈辱を感じ、自分自身への自己評価が低くなります。
なぜなら、自分という存在は、親に叩かれるようなその程度の存在に過ぎないからです。
これは、言い換えると、自尊感情が傷つき自己肯定感が持てなくなるということです。
子どもは、「自分はダメな子だ」「どうせダメな子だよ」という結論に達するのです。
すると、子どもは何事においても「できる」と思えなくなり、「やってみよう」という気がなくなります。
つまり、チャレンジ精神や向上心がなくなり、無気力になるのです。
親は「叩くのは愛する子どものため」と思っているのかも知れません。
でも、それは子どもには伝わりません。
暴力、苦痛、恐怖などという良からぬもので、愛情を伝えることは決してできないのです。
初出『聖教新聞』(2012年3月23日から連載)
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