道を歩いていたら、突然ある家から子どもを叱りつける声が聞こえてきました。
「何度言ったらわかるの! ちゃん拭かなきゃダメでしょ。だらしがない。まったく情けない子だね」。
そして、このあともひどい言葉が続きました。
このよう言葉は子どもの自尊感情を傷つけ、どうせ自分はダメな子だという確信を植え付け、やる気も向上心も根こそぎ摘み取ってしまいます。
なぜ、世の親たちはこのような暴力的な言葉を子どもにぶつけてしまうのでしょうか?
おとな同士だったら絶対つかえないようなひどい言葉や、よその子には決して言えないような罵詈雑言も、わが子には平気でぶつけてしまいます。
1つには、親だから許されるという思い込みが無意識のうちにあります。
「私は親だよ。自分の子に何の遠慮がいるの?」というわけで、親という権力に甘えているのです。
しかも、「子どものために言っているのだ」という思い込みもあります。
これが錦の御旗になっているのでひどい言葉も平気です。
でも、こういう思い込みはすべて勘違いです。
たとえ親子といえども一人の人間同士であることにかわりはないのです。
もちろん、子どもは親を通して生まれてきて、今は完全にお世話になっています。
でも、この世の中に、この宇宙の中に、一人の人間として生まれてきた、その掛け替えのない絶対的な価値において大人である親とまったく対等です。
その存在には唯一無二の独自性があり、その内側に秘められた可能性は無限大です。
そのようなかけがえのない一人の人間を親は預かっているのです。
子どもは天からの授かりものという言葉がありますが、これがそもそも勘違いです。
一人の人間が別の一人の人間を授かる、つまりもらうなどということがあり得るでしょうか?
本当はもらったのではなく、天からお預かりして育てさせていただいているのです。
しかも、これから何十年にもわたる人生を生きていくための、その土台をつくる一番大切な時期を親はお預かりしているのです。
それを思えば、ただの一度でさえひどい言葉などぶつけられるはずがありません。
初出『聖教新聞』(2012年3月23日から連載)
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