親が子どもに向かって「なんでやらないの!」「なんでできないの!」と問い詰めている姿を見ることがあります。


そして、子どもが黙っていると「なんで黙ってるの!黙ってちゃわからないでしょ」となります。

 

子どもが「だって、○○なんだもん」と答えると、「なんで言い訳するの!」「言い訳はやめなさい」となります。

 

 私としては、「『なんで』への答は『だって』でしょ」と突っ込みを入れたくなるところです。

 

親が感情的に「なんで」と問い詰めるときは、理由を聞いて理解したいわけではありません。

 

頭に血が上っていて、普通に叱るだけでは物足りないのです。

そこで、「なんで」と問い詰めて相手を窮地に追い込み、溜飲を下げたいという気持ちが無意識に働いているのです。

 

頭に血が上った親ほど子どもにとって理不尽な存在はありません。

 

親だから許される、しつけのためだ、この子のためだ、という錦の御旗があるので、ブレーキがかからなくなります。

暴君のような親の前で子どもは実に弱い存在です。

 

本当は、「なんで」という問いは親が自分に向けて発するべきものです。

親が「なんでこの子はこれができないのだろう?」と問うて、冷静に考えることが大事なのです。

 

大人が真剣に考えることで、初めてその原因や理由がわかろうというものです。

それがわかれば合理的な解決策を思いつくことも可能になります。

 

例えば、食事中に食べ物をこぼしてばかりの子どもがいました。

親はいつも「なんでこぼすの!」と叱るだけでしたが、あるとき「本当になんでこの子はこぼすのだろう」と冷静に考えてみました。

 

すると、食器の縁の形に問題があることや子ども用の椅子が高すぎることなど、いくつか原因が見つかり、そこを改善したらこぼすことが減りました。

 

これは1つの例ですが何事にも同じことが言えます。

子どもにできないことがあるとき、「なんで」を感情的に子どもにぶつけるのではなく、それを親自身への冷静な問いかけにして欲しいと思います。

 

初出『聖教新聞』(2012年3月23日から連載)

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