先日、ある男の人と話をする機会がありました。
その人は、子育て中のお父さんで、私の本を読んでくれているそうです。

そして、ありがたいことに、なんと、その人はこう言ってくれたのです。

「先生の本は全部読んでます。このごろは叱ることがほとんどなくなって、子どもも私も幸せいっぱいです。でも、うっかりしてるとまた元通りになってしまうので、先生にどんどん本を出してもらって、それを読んでチューニングを続けたいです」

それを聞いて、私はすごくうれしかったです。
と同時に、チューニングという言葉がとても印象深かったです。
チューニングとは、ラジオなどを特定の周波数に同調させることです。

つまり、ある本を読むということは、知識や情報を得るだけではなくその本や著者の持つ周波数に自分を合わせることなのです。
私も経験がありますが、いいビジネス書や自己啓発書を読むと、ものすごく元気になってやる気満々になります。
それは、その本と著者の持つすばらしいエネルギーに、自分の周波数が同調した状態なのです。

でも、しばらくすると、またいつもの自分に戻っていきます。
これではいけないということで、またその本を読んだり、その著者の他の本を読んだりするわけです。
こういう経験があるので、その人が言ったチューニングという言葉の意味するところがとてもよく分かりました。

それで、その人は、続いて次のようなことを話してくれました。

ある日、彼は奥さんが作った夕食を見て腹が立ったそうです。
なぜかというと、ご飯以外に出てきたのが奴豆腐とうなぎの蒲焼きと卵焼きで、野菜はほんの少しの漬け物しかなかったからです。
「タンパク質と炭水化物が多くて、ビタミンやミネラルを摂取するという配慮が何もない」というわけで、腹が立ったのです。

それで、以前だったら、「なんでもっと栄養のバランスを考えないんだ!野菜が何もないじゃないか」と言うところだったけど、彼はそうしませんでした。

その代わりに、こう考えたそうです。
「今度、ちょっとでも栄養バランスがいいとき必ずほめるぞ。今まで、栄養バランスがいいときもほめてこなかった自分には怒る資格なんてない。それについて無自覚だった点でお互い同じレベルだったんだから」

そして、3日後くらいに、奥さんが野菜もたっぷり入った栄養バランスのいい夕食を作ってくれたとき、ここぞとばかりにほめたそうです。

彼は、「これは、先生が子どものしつけについて言っていることの応用なんです」と言っていました。
なるほど、たしかに私は子どものしつけについて、そういうことを本に書いたり講演で話したりしています。
それを短く言うと、こういうことです。

・ほめてしつける
・しつけたいことを取り敢えずほめる
・叱るところからでなくほめるところから入る

詳しく言うと、こういうことです。

例えば、お兄ちゃんが弟をいじめて困るという悩みがあるとします。
その場合、普通、親はお兄ちゃんが弟をいじめているところを見つけて、次のように言います。
「なんで、また弟をいじめてるの!いい加減にしなさい。弟をいじめるのはやめなさい。なんでお兄ちゃんらしくできないの!」

さらには、次のように余分なことまで言ってしまうこともあります。
「なんでそんなに意地悪なの!あんたみたいなお兄ちゃんじゃ、弟がかわいそうだよ」
怒りのあまり、このような人格を否定するような言葉をぶつけてしまうこともあるわけです。

でも、このように叱っても兄弟仲をよくすることはできないのです。
なぜなら、叱られた方には必ず恨みが残るからです。
その恨みは、いつかどこかで晴らされることになるのです。

実は、これよりもっといい方法があるのです。
それは、叱るところからではなく、ほめるところから入る方法です。

もちろん、お兄ちゃんが弟をいじめているのを見たら、親は止めなければなりません。
でも、そこで、逆効果になるような余分なことは言いません。
その分、親は、自分の心に次のように言い聞かせます。

「よし、ほめて兄弟仲をよくしてやろう」「ほめるところから入ろう」「兄弟仲をよくする合理的な工夫を考えよう」

そう言い聞かせて、何日間か目を皿のようにして機会をうかがいます。
そして、例えば玄関でお兄ちゃんが弟の靴を出してやったとか、弟の落としたお箸を拾ってやったなどというときに、「おにいちゃん、ありがとう。助かるよ」とすかさずほめるのです。

親はいつもこういうよい姿を見落としています。
ほめるべきところで見落としておきながら、望ましくないことをしたときだけ敏感に反応するのです。

「ほめるところから入ろう」と決意して、ほめることを見つけようと意識していれば、けっこう見つかるものなのです。
それを見落としてせっかくのいい機会にほめずにいたなら、子どもができないときにも叱る資格はないのです。
それは、さきほど紹介した男の人が言ったとおりです。

このように、私たちは、まず、「ほめるところから入ろう」という発想を持つことが大事です。
そして、さらに、それを実現するために、この発想を私がいつも言っている「叱らないシステム」と組み合わせて考えるいいと思います。
叱らないシステムとは、子どもが自然にできるように合理的な工夫をすることです。
この2つを組み合わせれば、すばらしい効果があります。

たとえば、いつも歯を磨き忘れるという場合は、お箸と一緒に歯ブラシを並べておくだけでも効果があります。
親にお便りを渡し忘れるという場合は、玄関に大きな箱を置いておき、学校から帰ってきたらかばんの中身を全てその箱の中に出すようにします。

身だしなみに注意を払わなくてだらしがなく見える場合は、玄関に大きな姿見を置いておきます。
片づけができない場合は、タイマーで決まった時刻に音楽が流れるようにして、その音楽が流れてきたら10分間お片づけタイムというようにします。

朝なかなか起きられない場合は、目覚ましライトが顔をだんだん明るく照らすようにしておきます。
目覚ましを5つ用意して、1メートルずつ離してセットしておくのもいいでしょう。
目覚ましを5つ止め終わったときは、もう5メートル歩いています。
5メートル歩けばそこはもう洗面所です。

お兄ちゃんが弟をいじめる場合は、お兄ちゃんと弟が仲良く写っている写真を大きく引き伸ばして目に付くところに貼っておきます。
たとえば、生まれたばかりの弟をお兄ちゃんが愛しげに抱っこしている写真。
または、お兄ちゃんと弟が一緒に遊んでにっこりしている写真。
こういう写真を日ごろから目にしていれば、「弟が生まれたときかわいかったな。うれしかったな」「一緒に遊んで楽しかったな」「ぼくたち仲がいいんだな」という気持ちになります。

このような叱らないシステムで、子どもが自然にできるようにしてやることが大切です。
そして、少しでもできたらほめるのです。
実は叱らないシステムのおかげなのですが、それでいいのです。
叱らないシステムは、ほめるシステムでもあるのです。

ほめられることで子どもは自信を持ち、だんだんできるようになっていきます。
そうしたら、お箸と一緒に歯ブラシを並べなくても磨けるようになります。
もしそれで磨けなくなったら、またお箸と一緒に歯ブラシを並べるようにすればいいだけのことです。

このように、「ほめるところから入ろう」という発想を叱らないシステムと組み合わせることで、実際にほめる機会が増えるのです。
ぜひ、この方向でいって欲しいと思います。

でも、ここで私は、敢えてもう一歩進めてみたいと思います。
それは、「ほんの少しでもできたらほめる」だけでなく「まったくできなくても取り敢えずほめる」があってもいいということです。

つまり、「まったく変わっていなくても取り敢えずほめる」「あたかも成長したかのようにほめる」「事実がなくても、しつけたいことを取り敢えずほめる」ということです。
つまり、いい暗示にかけるわけです。

ときには、これも必要です。
なぜかというと、こうしないとなかなかほめられないこともあるからです。

でも、いつもいつもこれでは、子どもに見抜かれてしまいます。
目を皿のようにしてほんの少しの事実を見つけてほめる、叱らないシステムで事実を作るのを手助けしてほめる、これらと平行してやることが大事です。

とにかく、「叱るところから入る」のではなく、「ほめるところから入る」という発想を持ちましょう。
私たちは「できたらほめる」という発想でいるから、永久にほめられないのです。
本当は、「できたらほめる」よりも「ほめたらできる」という発想の方がいいのです。

初出「エデュメリー」(バンタンデザイン研究所)2006年~2007年

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