先日、私は、銀行のATMの前で並んで順番を待っていました。
すると、3才くらいの子どもを連れたお母さんがATMを操作していました。

けっこう時間をかけて何やらやっていましたが、その間子どもはもちろんじっとしてなどいません。

まず、すぐ横の備え付けのごみ箱を覗き込むために背伸びして、よろけて転びました。
そこでお母さんに、「もう、何やってるの?おとなしくしてなさい」と叱られました。
その後、2メートルくらい離れたところに落ちていた布切れを拾いに行き、それを持ってきてお母さんに見せました。
それで、また、お母さんに「何うろちょろしてるの?あっちこっち動いちゃダメでしょ!約束したでしょ!」と叱られました。
その後、お母さんの足に抱きついて、またお母さんに叱られました。

そのお母さんはATMの操作が終わってから、子どもの手を引っ張って銀行の隅に行きました。
そして、お説教を始めました。
子どもと同じ目の高さになるように座って、子どもの両手を握り、子どもの目を見て叱り始めました。

「○○ちゃん、なんでおとなしく待ってられないの!?」
「・・・・・」
「いつも言ってるよね、お母さん。遊ぶときは遊ぶ。待つときは待つ。がまんのときはがまん。そうでしょ?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「これからはしっかりできるよね」
「・・・うん」

お説教が終わって、やっと解放されるのが分かったときの「うん」が健気でした。
私はこの様子を見ながら、「むりだよな~」「かわいそうだな~」という気持ちでいっぱいでした。
この程度のことで、長々と叱る必要などあるはずがありません。
いったいこのお母さんは、わが子をどういう子にしたいのでしょうか?

そもそも、こんなとき、3才くらいの子が何もしないでおとなしくじっと待っているはずがありません。
好奇心に駆られてうろちょろ動き回るのが当たり前です。
これこそが子どもの生きる意欲の表れなのです。

ごみ箱を覗き込もうとして転んだなら、「だいじょうぶ?気を付けて」と言えばいいのです。
布切れを拾ってきたら「ついでにごみ箱に入れておいてくれる」とでも言い、子どもが入れたら「ありがとう」と言えばいいのです。
もし、あまり動き回らせたくなかったら、「もう少しだから、離れないで待ってて」と穏やかに言えばいいのです。

お母さんの足に抱きついてきたら、「もうちょっとだから、ぎゅーっと抱きついて待ってて」と言えばいいのです。
そして、ATMの操作が終わったときは、「ごめんね。お待ち遠様。上手に待っててくれてありがとう」と言えばいいのです。

もちろん、本当に何か危ないときや誰かに迷惑がかかるときは、手を握って離さなくしたり言葉で説明しておとなしくさせたりすることが必要です。
でも、この場合は、全くそのような状況ではありませんでした。
それなのに、このお母さんの過剰とも言えるしつけ主義は、いったいどうしたことでしょう?

その日の夜、私が家でテレビを見ていたら、またしても気になる場面が出てきました。
何かの集まりで、7,8人の子どもとその親たちが一緒におやつを食べるところでした。
大きなテーブルにおやつが並べられて、子どもたちが席につくところでした。
と、そのとき、既に座っていた4,5才くらいのやんちゃそうな男の子が、待ちきれなくておやつを一粒口に運びました。
それを見つけたお父さんが、そこにすっ飛んで行ってその子を叱りつけました。

「おまえ今何した!」
「・・・・・」
「何したか言いなさい!」
「・・・・・」
「自分の口で何したか言いなさい!」
「・・・・・」
「自分で言えないならお父さんが言ってやろうか」
「・・・・・」
その後、そういうことをしてはいけない理由とか、我慢が大事だとか、こういうとき待っていられない子はどうだとか、いろいろなお説教を始めました。
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「○△□$%#&¥@#$%&$#$%&?!」
「・・・・・」
「もう2度とこういうことはしちゃダメだよ。もうしないって約束してくれる?」
「・・・うん」

こういうまとめがあって、ようやくその子はお説教から解放されておやつにありつけました。
私は銀行で見たことも思い出しながら、何とも悲しい気持ちになりました。
いつもこのようにされているとしたら、本当にかわいそうです。

こんなことを続けていたら、子どもの気持ちはどんどん離れていってしまいます。
今は、親が最後のまとめで「約束してくれる?」と言えば、「うん」と言ってくれます。
でも、何年かしたら「ふん」と言うようになるのは確実です。

そのとき、多くの親は「なぜこうなるのか、わけが分からない」と感じるようです。
「しっかりしつけてきたはずなのに、なぜこうなるのか?」「ダメなものはダメと言ってきたし、叱るべきときには叱ってきたのに、なぜこうなるのか?」と感じるだけで、その理由に思い当たる人は少ないようです。

こういうときは、「もうちょっとだから待ってなさい」と軽く言えば十分なのです。
または、せっかくの楽しいおやつタイムですから、「よい子は待てます」「立派な少年少女はガツガツしません」「おやつは待てば待つほどおいしくなります」「においだけなら食べていいよ」「みんなで10からカウントダウンしよう。10,9,8・・・」などとユーモアを交えて言えば、みんなで楽しく待つことができます。

では、なぜ、多くの親がこのような過剰なしつけ主義に走ってしまうのでしょうか?
1つには、「人に迷惑をかけない子、どこに出しても恥ずかしくない子にしたい」という考えが強すぎるからです。
これが子育てのモットーになっている親は、どうしても減点主義になり、叱ることが多くなります。
その反対に、「子どもの興味関心を大切にしてやろう。子どものいいところを伸ばしてやろう」という考えがモットーになっている親は、加点主義でほめることが多くなるのです。

前者は、自分がしっかりしつけのできない親だと思われたくないという気持ちが強いということもあります。
ましてや、このごろは世間一般で子育てや教育といったことへの関心が高まっていて、「親が子どもをしっかりしつけるべきだ」という話があちこちでされるのでなおさらです。

・叱るべきときに叱れない親が多すぎる
・ダメなものはダメと言うべきだ
・親がしっかり叱らないから、子どもの問題行動が増えるのだ

こういった話が、テレビや雑誌などのメディアに溢れています。
でも、これらは本当にナンセンスです。
ナンセンスなだけでなく、まったく有害です。

私ならこう言います。
・叱らなくていいのに叱る親が多すぎる
・ダメなことをダメと言うだけではダメ。ダメと言わずに導くことが大事だ
・しつけとは叱ることだと思っているから、子どもの問題行動が増えるのだ

つまり、叱らないで、ダメと言わないで導くことが大切なのです。
叱られることが多いと自分に対するいいイメージが持てなくなります。
それだけでなく、自分は愛されていないのではないかという気持ちが、どうしても出てきてしまいます。
ダメという言葉をぶつけられると、誰でもいい気持ちはしません。
それが度重なると、自分がダメと言われているように思えてきてしまいます。

大事なのは言い方です。
感情的に叱らなくても、おだやかな指摘や注意で十分なのです。
「そんなことしちゃダメでしょ!静かに待ってなさいって言ってるでしょ!」ではなく、「もう少しだから待っててね」で十分なのです。

また、アイ・メッセージで言えば、相手を非難しないで願いや要求を伝えることができます。
「うろちょろしちゃだめでしょ!」ではなく、「お母さん心配だから、近くにいてね」の方の方が子どもは素直に聞けるのです。

また、プラスイメージの言い方で言われれば、「やってみようかな」という気持ちになるものです。
「上手に待ってなさいって言ってるでしょ!」ではなく、「上手に待てる子は賢く見えるんだよ」の方が、子どもは「やってみようかな」という気持ちになるのです。

また、少しでもよくなったことをほめたり、または、全く変わっていなくても、あたかもよくなったほうにほめたりすると、子どもはけっこうその気になるものです。
「いつになったら上手に待てるようになるの?!」ではなく、「上手に待ててるね」「待つのが上手になったね」の方が、はるかに効果があるのです。

このような言い方をすれば、叱らないで、ダメと言わないで導くことができます。
言い方は本当に大事です。
言葉遣いが人間関係を決めるのです。
それは、会社における人間関係でも家庭における親子関係でも同じです。

そして、親子の人間関係をよくして、子どもが親に受け入れられ愛されていると実感できるようにさせてやることが子育てで一番大事なのです。
それによって、子どもは自分の存在そのものに対する愛と信頼感を持ち、自分を取り巻く周囲への愛と信頼感を持てようになるのです。
そういう子は全ていい方に行きます。

今、少しくらいわんぱくで落ち着きがなくても、きちんとしてなくてだらしがなくても、やることが遅かったりできなかったりしても、挨拶ができなかったり勉強ができなかったりしても、そんなことは全然心配いらないのです。
一番大事な幹がしっかりしていれば、そういう枝葉は後でどうにでもなるのです。

その反対にあるのがしつけ主義です。
しつけ主義は、子どものときから枝葉を整えることに躍起になります。
枝葉を整えると見た目がよくなるからです。
観賞用の盆栽を作るにはそれでいいでしょう。
でも、子育ては盆栽作りではありません。
こぢんまりとしてお行儀のいい、大人受けする子どもにしてどうするのでしょう。

子育てでは、まず、まっすぐ大きく伸びる幹を育ててやることが第一です。
そうすれば、大空に向かって思い切り枝葉を茂らせることができます。

しつけ主義の内側には、「わが子が人にどう見られるか心配だ」「人によく思われたい」という気持ちがあります。
そして、それは、結局、「その子を育てている自分がよく思われたい」ということなのです。
これは誰にでもあるものであり、全くなくすことは不可能かもしれませんが、決して最優先事項にしないことです。

今これを読みつつ「なるほど」と思っている人も、いざ実際の場面になるとどうしてもそういう気持ちは出てくると思います。
いろいろな人がいろいろな目で見て、いろいろなことを言ってくるからです。
「もっとしっかりしつけろ」というようなプレッシャーを、たびたび受けることでしょう。
未だに、世の中にはしつけ主義の人がたくさんいますから。
先生、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚、近所の人、知り合い、いろいろな人がいろいろな価値観で言ってくるでしょう。

でも、そんないろいろな人のいろいろな価値観に付き合うことはありません。
いろいろな人のお眼鏡に適う盆栽みたいな子にする必要など、全くないのです。
そういうときは、「どう見られてもいい」「うちの子のことは私が分かっている」「一番大事なところをしっかりやっているから大丈夫」と思っていればいいのです。
そして、相手の言うことにはうまく相づちを打って、聞くような振りをして聞き流していればいいのです。

その意味で、親こそ、わが子のための防波堤となる必要があるのです。
世の中に蔓延するしつけ主義からの防波堤、それが必要なのです。

初出「エデュメリー」(バンタンデザイン研究所)2006年~2007年

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