ただ今子育て中の親のみなさん、毎日ご苦労さまです。
そして、ありがとうございます。

もともと、子育ては、いつの時代にどこで誰がやっても大変です。
ましてや昨今のいろいろと厳しい条件の中では、なおさらです。
日々、子どものことで悩んだり頭を抱えたりしている方も多いと思います。
今回は、そんなみなさんに、いくつか参考になるエピソードを紹介したいと思います。

作家の城山三郎さんが亡くなったとき、私はテレビで追憶番組を見ました。
そのとき映し出された城山さんの机がとても印象的でした。
城山さんは整理整頓がすごく苦手で、いつも机の上にはいろいろな資料や原稿が山のように積み重なっていたそうです。
そして、1つの作品を書き終わると机の上を片付けるのではなく、別の机を用意してそちらで新しい仕事を始めていたそうです。

NHKの「プロフェッショナル」という番組を見ていたら、アメリカのシリコンバレーで活躍する渡辺誠一郎さんという人が出ていました。
渡辺さんは、デジカメを開発するベンチャー企業を立ち上げて、最新技術でその分野をリードしている人です。
その仕事場にテレビカメラが入ったとき、彼の愛用のパソコンが映し出されました。
そのとき、パソコンの周りに小さな紙切れが何枚も散乱していました。

そこで、渡辺さんが照れながら「おれ、領収書の整理とかが苦手で・・・」と言いました。
彼はそのような事務的なことが苦手らしいのです。
それもあってか、得意な技術開発に専念するため、起業者なのに敢えて社長にならなかったそうです。
自分は技術責任者という立場にいて、別の人に頼んで社長になってもらい、事務的なことや経営に関することは全てやってもらっているそうです。

次は、青島幸男さんのエピソードです。
青島さんは、「いじわるばあさん」で一世を風靡し、小説「塞翁が丙午」で直木賞を取り、東京都の知事も務めました。
青島さんは、若いころ、放送作家として「いじわるばあさん」の台本を書くことになりました。
でも、書き上がった台本を他の人が誰も読めません。
そこで、彼は、自分が読んで聞かせました。
ところが、その読み方が大変面白いということになり、急遽自分がいじわるばあさんを演じることになったそうです。
その結果いじわるばあさんは大人気になり、青島幸男さんもブレイクすることになったのです。

このようなエピソードは、とても大切なことを教えてくれます。
誰にも苦手なことはあるものです。
でも、彼らは苦手なものはそのままでありながら、すばらしく輝いています。
彼らは、苦手なものを直して大成したのではありません。
彼らは、苦手なものに構わず、ひたすら自分の好きなことや得意なことを伸ばしたのです。

整頓が下手でも、字が下手でも、彼らは輝いています。
とてもすばらしく輝いているので、整頓や字の下手さなど全く問題になりません。
太陽の光がまぶしくて、余分なものなど見えないのです。
人が光り輝いているとき、苦手なものなど見えなくなるのです。

これは想像ですが、彼らの親たちは、苦手なことを直すように毎日叱るなどということはしなかったと思います。

次は、アインシュタインの有名なエピソードです。
アインシュタインは後年20世紀最高の頭脳と謳われた人ですが、子ども時代にはその片鱗も見られませんでした。
なかなか言葉が出なくて、いつまでたっても話し出さないので、親は心配になって医者に診察してもらったくらいです。
話せるようになってからも、うまく言いたいことが言えず、同級生からバカにされていました。

文章を読んだり書いたりするのがずっと苦手で、計算や暗算も苦手でした。
さらに苦手なのが、いろいろなことを頭で覚えることで、ラテン語や歴史など暗記の必要な勉強は全くダメでした。
いつもぼんやりしている様子で、先生からも怠け者と言われ退学を勧告されました。
成人してからも単語のスペルを間違えたり、必要な数字を忘れてしまったりすることが多く、今で言う学習障害だった可能性が高いそうです。

次は、私の中学校の同級生Y氏のエピソードです。
Y氏は、小学生のとき全く勉強ができなくて、5段階評価の成績でいつも1,2,1,2でした。
中学生になって、10段階評価の成績になっても、1,2,1,2でした。
かといって、体育や音楽や図工ができるわけでもありません。

中学3年生のとき、1/2+1/2=1の意味が分からなかったので、見かねた担任のS先生が説明してくれました。
先生が、「いいか、りんごが半分あって、こっちにも半分あって、合わせたら1になるだろ」と説明してくれた瞬間、「なんだ、そういうことか」と合点したそうです。

その後、地元の高校をやっとで卒業し、卒業式の次の次の日にお兄ちゃんにもらった3万円を頼りに上京しました。
東京駅に降り立ったとき、就職先はおろか、その日泊まるところも決まっていませんでした。
「さて、どうしようか・・・」と思っているところへ、1枚の新聞が風に飛ばされて来ました。
何気なく手に取ったところ、2つの求人広告が目に留まりました。
住み込みのパチンコ従業員募集と住み込みの新聞配達員募集の2つでした。
彼は、その足で新聞配達の店を訪ねました。

30年後の今、彼はIT関連の3つの会社の社長で、近々さらに2つの会社を立ち上げるそうです。

まだまだあります。
坂本龍馬は子ども時代泣き虫で、おまけに14才までおねしょが直らず「よばいたれ」と呼ばれていじめられていました。
12才で楠山塾という塾に入りましたが、勉強に全くついていけなくて退学させられました。

進化論の創始者ダーウィン、「ハックルベリー・フィンの冒険」を書いたマーク・トウェイン、発明王エジソンなども、子どものころ、いわゆる「勉強」が全くダメでした。
世の中には、これに類する話がどれだけあるか分かりません。

このようなエピソードは、とても大切なことを教えてくれます。
一言で言えば、子どものころの成績など関係ないということです。
子どものころ勉強ができなかったとしても、そんなことは大したことではないのです。
人生は長いのです。

子どもには自分の成長のペースというものがあるのです。
最初はゆっくりスタートして、だんだん追いついていき、最後はすごいことになるという例はとても多いのです。
大器晩成ということわざは、昔から実感を込めて伝えられてきたのです。

親がそういうことを頭に入れて、子どもを長い目で見ていれば、まずだいじょうぶです。
その反対に、目先の成績に捕らわれすぎて、「勉強、勉強」と言いすぎると逆効果です。
また、「勉強ができない」とか「頭が悪い」などの言葉をぶつけるのは、もってのほかです。
子どもに、「自分はできない」という自己イメージを植え付けるだけです。
こういうことをしていると、本来は大器晩成でだんだん伸びていけるはずの子も、伸びていけなくなってしまいます。

子どもの勉強について親子で一応努力することは、もちろん大事です。
でも、決してやりすぎないでください。
そして、結果を望みすぎないで、そのこと自体を楽しみながらやってください。
絶対、先ほどのような逆効果になることはしないことです。

子どものころにいわゆるできる子だったとしても、後々伸び悩むという例はとてもたくさんあります。
いわゆる「勉強」をやりすぎ、というより、やらされすぎで、そのあげく燃え尽きてしまうということは実際よくあるのです。
夏休みに蝉取りもしないで中学受験の勉強をしている子などは、本当に気を付けた方がいいでしょう。

子どものころ遊びまくっている子、やりたいことを思い切りやっている子、子どもらしい子ども時代を送っている子、そういう子が後々伸びてくるということは大いにあるのです。

初出「エデュメリー」(バンタンデザイン研究所)2006年~2007年

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