私は、ある日、歯の治療のために歯医者に行きました。
治療が終わって、支払いのために待合室で座っていました。
すると、治療室の中から幼児と思しき男の子の鳴き声が聞こえてきました。

「うわ~~ん!いやっ、いやっ、いやっ、いや~っ!」

すぐお母さんの声が続きました。
「泣いちゃダメって言ったでしょっ!」
そして、歯医者さんの声が続きました。
「すぐ終わるからね~」
キュイ~ン、キュイ~ン、キュイ~ン、キュイ~ン
「いやっ、いやっ、いやっ、いや~っ!」

そして、お母さんの声。
「なんで分からないのっ!がまんしなさいって言ってるでしょっ」
「うわっ、うわっ、うわっ、いや~っ!」
「なんでがまんできないのっ!約束したでしょっ!」

私も含めて、待合室の人たちの間に何ともいえない重い空気が漂いました。
それは、明らかに、子どもの泣き声に対してではなくそのお母さんの対応に対してです。
ある人が「そんなこと言ってもね~」とつぶやきました。
それは、そこにいたみんなの声を代表しているようでした。

小さな子どもにとって、歯の治療はたまらなく怖いものです。
経験が少ないので、何が起こるか分からず不安でたまらないのです。
あの機械の音だけでもたまりませんし、大人ほど自制心も働きません。

そこで、親がいくら「泣いちゃダメって言ったでしょっ!」と言ってもムダなのです。
ムダどころか、全くの逆効果です。
子どもは、「まだ自分の怖さが分かってもらえないらしい」と感じて、より一層大きな声で泣き出すことになります。
子どもにしてみれば、そうしないではいられないのです。

このときの子どもの深層心理を言葉にすればこうなります。
「まだ分かってくれないの!?」
「これだけ泣いてもまだ分かってくれないの?」

このとき、子どもは、まず第一にどれだけ自分が怖いのか分かって欲しいのです。
そして、その気持ちを受け入れて共感して欲しいのです。
そして、共感しつつ安心させて欲しいのです。

その歯医者に行った数日後に、私は自分の母親の付き添いえ総合病院に行きました。
その待合室で、ある母子を見ました。
もうかなり長い時間待っているようで、子どもはもう待ちくたびれていました。

「もう帰ろうよ~」
「帰ったら診てもらえないでしょ」
「帰ろうよ~」
「そんなこと言わないの」
「もう疲れちゃったよ」
「何度言ったら分かるの!混んでるんだからしょうがないでしょ」
「お腹空いちゃったもん」
「もう!しっかりしてよ。困らせないの!」
「もう帰りたい!!」
「わがまま言うんじゃありません!!」

子どもは、自分がどんなに帰りたいと思っているかお母さんに分かってもらえていないと感じています。
それで、分かってもらえるようによけいにぐずるのです。

こういう会話が続いた後、その子は待合室の長椅子の上に寝そべって、お母さんに大目玉をもらいました。

このようなときも、お母さんが子どもの待ちくたびれた気持ちを受け入れて共感して、さらに安心させてやることが大切です。
でも、実際に帰ることはできないのです。
これを、私は、「イエス、イエス、バット」と呼んでいます。
「イエス、イエス」と受容共感しつつ、「バット(しかし)」できないこともあるのです。

「もう帰ろうよ~」
「本当に、帰りたいよね~」
「もう疲れちゃったよ」
「そうだよね。お母さんも待ちくたびれちゃったよ」
「お腹空いちゃったよ~」
「そうだね~。お母さんもお腹ぺこぺこだよ。早く呼ばないかね~」
「早く呼んで欲しいね」
「待ってる人が少なくなってきたから、きっともうすぐだよ。終わったらすぐおいしいもの食べようね」
「すぐ食べたいね」

このようになって、叱る必要などなくなるのです。
絶対このようになります。
子どもの気持ちを受け入れて共感して安心させてやれば、子どもは気持ちが満たされて素直になれるからです。

多くの親は、「気持ちを受け入れていたらわがままになる」と考えているようです。
それで、先ほどの2人のお母さんのように対応しているのです。
でも、実際はその反対で、「気持ちを受け入れてもらえないからわがままになる」というのが本当のところなのです。

初出「エデュメリー」(バンタンデザイン研究所)2006年~2007年

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