私が小学生だった頃のことです。
幼なじみの里子ちゃんは食が細くて、給食が全部食べられず、いつも昼休みの時間になっても食べさせられていました。

友達と遊ぶこともできず、泣きながら食べている姿を見て幼心にもかわいそうに思いました。
いまでもその光景を覚えています。

「給食指導」という名前のもとに、このような理不尽な暴力・虐待が長年行われてきました。
近年ではこれほどひどい「指導」は減りましたが、それでも給食のことで悩み苦しんでいる子は驚くほどたくさんいます。

その悩みには2種類あって、食事量の問題と好き・嫌いなどの偏食の問題です。
はじめに前者について考えてみます。

まず、ある男の子の例を紹介します。
その子は3年生まで学校が大好きで毎日元気に登校していました。
ところが、4年生になってしばらく経った5月の頃から、学校に行くのを嫌がるようになりました。

お母さんは、原因を知りたいと思って子どもの話をじっくり聞いてみました。
同時に、クラスの他の子やその保護者にも話を聞きました。
すると、その子だけでなく他にも、クラスの中で給食のことで苦しんでいる子が少なからずいることがわかりました。

後でわかったことも含めていうと、その子の担任の先生は「給食指導」に熱心だったのです。
日ごろから、次のようなことを子どもたちに言っていました。

1,栄養士さんが、4年生に必要な栄養を計算して作ってくれている。
食べ残すと栄養不足になるから、がんばって食べよう

2,食べ残すなんて、せっかく給食を作ってくれる人に申し訳ないと思わないの?野菜を作ってくれた農家の人や魚をとってくれた漁師さんにも申し訳ないと思わないの?

3,世界には食べたくても食べられない人たちもたくさんいる。
食べ残すなんてそういう人たちに申し訳ない。
食べ物を粗末にしてはいけない。
もったいないことをしてはいけない

さすがに給食時間が終わってからも食べさせるなどいうことはなかったのですが、上記のようなことを給食の度に言っていたのです。

そして、子どもがもう食べられないと訴えても簡単には許してくれず、「もうちょっと食べられるでしょ」とか「あとひと口食べなさい」などと執拗に言うのでした。

先生がこれだと子どもはたまりません。
楽しいはずの給食の時間が、苦痛でおそろしい時間になってしまいます。

当たり前のことですが、大人でも子どもでも、人によって食事量はかなり違います。
たくさん食べる人もいれば小食の人もいます。
体の大きさ、代謝、体質、生活環境、ライフスタイル、運動量などが違うからです。

また、同じ一人の人であっても、そのときどきの体調や精神状態によって食事の量は変わってきます。

計算で割り出した平均的な量を押しつけられて、全部食べるように言われても、苦痛なだけです。
理屈以前に生理的に不可能なことなのです。

先ほどの先生が言っている3つのことは、まことにもっともな論理であり正論です。
先生にそう言われれば、子どもが異を唱えることは不可能です。

でも、これらの論理はあまりにも一面的です。
もっと別の面からも考えて欲しいと思います。
つまり、一人の子どもの立場に立って考えてみて欲しいのです。

そのために、ちょっと想像してみてください。

これを読んでいる人はみんな大人ですが、自分が子どもだった場合を想像してみてください。
もう食べられないのに、食べなければならないと言われたら、ものすごく苦痛なはずです。

「世界には飢えている人たちもいる。
食べ残すなんてもったいない」と、いくら自分に言い聞かせても、無理なものは無理なのです。
もう体も心も受け付けないのですから。

それとも、あなたは無理矢理にでも口に入れて強引に飲み込みますか?お腹が痛くなっても、気持ちが悪くなっても、吐きそうになっても、それでもあなたは義務を果たしますか?いえいえ、そんな人はいないはずです。

たとえそれが一般論的には正しい「正論」であっても、相手の状態を無視して強制した途端に間違いになってしまいます。

この場合、ただの間違いどころか、もう食べられない相手に食べさせようとするのは明らかに人権侵害です。
はっきり言えば、暴力・虐待の類です。

また、先ほどの先生ではありませんが、給食のときに「今日のが完食は25人です」などと発表する先生もいます。
これをやられると小食な子はたまりません。

先生がこれだと、子ども同士で「○○ちゃん、残しちゃダメだよ。がんばって食べようね」などという言い方がされるようになります。
言われた子は涙を流しながら一生懸命食べることになります。

先生は、完食を強制してはいないと言うかも知れません。
でも、直接的に強制していなくても間接的で巧妙な強制がそこにあるのです。
食べないと周りが許さないという雰囲気を作る、これは先生たちの常套手段です。

こういったことにさらに拍車を掛けているのが給食の残量調査です。
これは、給食を食べ終わった後でどれだけの残量があるかを調べる調査です。
そして、クラス、学年、学校ごとに残量の多い・少ないがグラフ化されたりします。

この残量が少ないクラス、学年、学校ほど給食指導がよくできている、などという勘違いをしている先生たちがかなりたくさんいて、それが子どもたちを苦しめています。
残量調査のときには、特に完食への圧力が強まるからです。

もちろん、残量調査は子どもを苦しめるためにやっているわけではありません。
子どもたちの心身を健全に育てたいという善意が土台にあります。

でも、善意で行われるのでよけい始末が悪いのです。
善意がもとだから、悪いことであるはずがない、子どものためなんだ、という思い込みがあります。

ですから、本当に個々の子どもの立場に立って、その苦しみを思いやってあげることができなくなってしまうのです。
給食が苦痛でたまらない、毎日密かに泣いている、学校に行くのもつらい、そういう子どもたちの弱々しい声に耳を傾けられなくなってしまうのです。

初出『教職課程』(協同出版)2014年9月号

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