私は1983年の4月から教壇に立ちました。
その頃のことを振り返ってみると、当時は当たり前だったことでも、今となっては首を傾げたくなるようなことがたくさんあります

例えば、毎年、夏の終わり頃に日焼け大会というものがありました。
これは、日焼けして色が黒くなった子がほめられて表彰される大会です。
1986年に2年生を受け持ったときもやっていたというはっきりした記憶があります。

これは、夏休みに学校のプールに通って一生懸命泳いだ子は、日焼けして色が黒くなっているはずだという論理のもとに行われていました。

大会では、水着の子どもたちをプールサイドに並べて、先生たちがその色というか日焼け具合を審査します。
そして、「黒くなったね。一生懸命泳いだね」とほめたり、「何でこんなに白いの?水泳の練習してないでしょ」と叱ったりします。

もともと肌の色が黒っぽい子は絶対的に有利でした。
逆に色が白っぽい子は肩身の狭い思いをしたものです。
今考えるとバカらしい話ですが、こんな事を当時は大まじめでやっていたのです。

その後、紫外線の浴びすぎは皮膚の老化を早めたり皮膚ガンのリスクを高めたりするということが言われ始め、日焼け大会も自然消滅しました。

私のいた地域では、運動会の各競技の入退場は笛の合図で行うという不文律がありました。
今は、先生がマイクで「入場の白線まで出てぇ」「右向け、右」「その場、駆け足始め」「前へ進め」などと指示しますが、当時はこれを全て笛の合図でやっていました。

ですから、どの笛でどういう行動をするかを、先生も子どもも覚えなければなりません。
これがけっこう大変で、そのために練習時間が余分に必要でした。

私はこれを覚えるのが苦手で、全体練習のときにもうまく笛が吹けませんでした。
それで、「自分は先生に向いていないのかも…」と思ったりもしました。
今思えば、べつに笛で動かす必要など全然なかったのですが、当時はみんなこれが重要なことだと思い込んでいました。

当時は朝礼が頻繁にあり、月に1回あったと思います。
一年では10回ほどです。
これとは別に始業式と終業式も各学期にあり、これが一年では4,5回になります。
朝礼と合わせると、一年に15回ほどにもなりました。

雨の日以外は屋外でやっていました。
しかも、座って話を聞くことは少なく、ずっと立ちっぱなしということも多かったと思います。

ですから、長期休み明けのときや暑い日などには、体調を崩したり貧血で倒れたりする子も出ました。
こういう子が出ないクラスはしっかりしたクラスで、その担任は立派な先生という雰囲気がありました。

また、校長先生の話が長くて、おまけに子どもには意味不明なものがほとんどでした。
この点は今も同じで、子どもたちを引きつける話ができる校長先生は極めて少ないです。

従って、毎回の朝礼で、何百人もの子どもたちが何十分も無駄な時間を過ごということになります。
極めて退屈ですから、当然のことながら子どもたちは、屋外の場合は手や足で砂いじりをしたり、屋内なら手いたずらをしたりということになります。

当時は、各クラスの先生たちが子どもたちの列に分け入って、そういう子たちの頭を小突いたり、手を叩いたり叱りつけたりしていたものです。

あるいは、列が曲がっている、姿勢が悪い、話をしている人の方を見ていない、などについても叱って回っていました。
“熱心”な先生は朝礼の間中ずっとこれをやっていました。

なぜなら、砂いじりや手いたずらが少ない、列がまっすぐで姿勢がいい、そういうクラスの先生は指導力があるということになっていたからです。

本当は、意味不明な話を延々と聞かされている子どもたちが、砂いじりや手いたずらをするのは極めて自然かつ健全なことです。
それを叱って回るなどという“指導”は無意味です。

叱って回れば子どもたちは行儀よく前を向いて座っているようになるでしょうが、それで果たして子どもにどのような力がつくのでしょうか?

それよりも、まずは校長先生が努力して、子どもたちがしっかり聞いてくれる話をするべきです。
何十年も先生をやってきたプロなのですから、それくらいのことはやって欲しいものです。

私は12人の校長先生と同じ学校で勤務しましたが、そういう努力をしていたのはたったの1人でした。
その校長先生は、毎回入念な準備をして、子どもたちを引きつけるための物を用意したり、級外の先生と寸劇をしたりなど、とてもがんばっていらっしゃいました。

当時は、朝礼や式の場所にはクラスごと並んで音楽に合わせて行進して集まる、という決まりもありました。
これは、朝礼や始業式などが体育館で行われるようになってからもしばらく続きました。

朝礼開始の15分前くらいから、子どもたちは自分のクラスの前の廊下に整列します。
そして、行進して体育館に向かい、体育館に入ってからも行進して自分たちの場所に移動します。

体育館に入ってからは担任の先生から檄が飛びます。
「もっと胸を張って」「顔を上げて!下を見ない!」「手をしっかり振る。肩の高さまで上げなさ~い」「もっと足をしっかり上げなさい」「縦と横の列を揃える!」。

とまあ、こんな感じで、退場もまた同じようにやります。
このとき、立派な行進ができるクラスの担任は指導力のある先生ということになっていました。

ですから、先生たちも一生懸命です。
行進する子どもたちの横に付きっきりで熱烈な“指導”をする先生もいました。

もちろん、こういうことが極めて苦手で、縦や横の子と列を揃えて行進することができない子もいました。
そういう子は朝礼の度に叱られていました。
かわいそうな話です。

客観的に見ると異常な光景でしたが、みんなその中に入り込んでしまっているのでわからないのです。
朝礼や式がある前の日辺りに、こっそり行進の練習をする先生もいました。
これによって子どもたちが立派な行進をしてくれれば、先生は鼻高々というわけです。

まだまだありますので、次回も続きを書きます。
これを読むことで、「今当たり前と思ってやっていることも、実は異常かも」という視点を持っていただけたら幸いです。

初出『教職課程』(協同出版)2014年6月号

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