子どもをガミガミ叱って、挙げ句の果てに子どもの伸びる芽を摘んでしまう親や教師がたくさんいます。
では、なぜ叱ってしまうのでしょうか?

その理由としてはいろいろなことが考えられますが、1つには「子どものうちなら直るだろう。
子どものうちになんとかしてあげなければ…」という気持ちがあるからです。

親や先生はみんなこう思っています。
「子どものうちに直してあげなければ」「このままでは、ろくでもない大人になってしまう」「大人になってからでは直らない。子どものうちなら直るだろう。直してやるのが親のつとめであり、先生のつとめだ。鉄は熱いうちに打て、だ」。

こういう気持ちが強ければ強いほど、「○○しなきゃダメでしょ。なんで○○しないの。何回言ったらできるの」と叱ることが増えてしまいます。
以前の私もそうでしたし、連載の14回で書いたA先生もその一人でした。

A先生は、整理・整頓が苦手のB君を今のうちに直そうと、毎日叱り続けました。
その結果どうなったかというと、B君は整理・整頓ができるようにはならず、それどころか口数が減り笑顔が消え、子どもらしい快活さもなくなってしまいました。

「鉄は熱いうちに打て」ということわざは、もともと英語の「Strike while the iron is hot.」を翻訳したものですし、似たようなことわざは世界中にあるそうです。
ですから、世界中の親や先生たちが同じように考えているのです。

でも、ここに大きな勘違いがあります。
子育てや教育においては、大人たちの長年にわたる集団的な勘違いというものが非常に多いのですが、これもその1つです。

どういうことか説明します。
たとえば、子どもが将棋を覚えたとします。
すると、子どもはどんどん強くなります。

私は甥に将棋を教えましたが、わずか2カ月後には互角の勝負になり、その3カ月後には私はまったく勝てなくなりました。
10回やれば10回負けるという状態になりました。

また、たとえば、子どもが楽器を練習し始めたとします。
同時期に始めた大人と比べてその進歩は格段に早く、どんどん上手になります。

また、たとえば、親子でアメリカに1,2年行ってきたとします。
帰ってくると、子どもは英語がぺらぺらになっています。
大人は、以前より少しは話せるようになったという感じでしょうか。

こういったことは、子どもはものすごく早いです。
大人は逆立ちしても敵いません。
子どもたちの能力は驚異的です。

だから、苦手なことも子どものうちなら直るだろう、と思ってしまうのです。
子どものうちならダメな性格や行動を直して、しっかりできるようにしてあげることができるだろうと思ってしまうのです。

実はこれが勘違いなのです。
本当はこの2つはまったく別の事柄なのです。
英語が話せるようになるとか楽器が弾けるようになるなどということは、子どもの脳が吸収力抜群だからできるのです。

吸収力! そうなのです、子どもの脳は乾いたスポンジのように吸収力が抜群なのです。
新しいものをどんどん吸収することができるのです。
これが子どもの脳の本質です。

でも、性格や行動をかえる、苦手なことを直す、自己改造するなどというのは、新しいものを吸収するということではありません。

もう既に別のものが入っているのです。
それを追い出して別のものを入れるということなのです。

つまり、これはもって生まれた資質をつくりかえるということです。
資質とは才能と性格のことです。
才能とは、たとえば生まれながらに運動神経がいい、リズム感がある、言語能力に秀でている、数学的才能があるなどです。

性格とは、たとえば、「せっかちでせかせかしている。あるいはマイペースでのんびりしている」ということです。
「神経質で嫌なことも先にどんどんやらないと気が済まない。あるいは図太くて嫌なことは後回しでも平気で遊べる」「外向的。あるいは内向的」「社交的でものおじしない。あるいは引っ込み思案でおとなしい」こういったことが性格的なことです。

このような才能と性格を合わせて資質といいます。
みんな、もって生まれた資質というものがあるのです。
あなたももっているはずです。

それをつくりかえるということです。
どうですか? 
そんな簡単な話ではありませんよね。
本当に、これはとても難しいことなのです。
こんな難しいことが子どもにできると思いますか? とてもじゃないけど、無理な話です。

実は、子どもよりもかえって大人の方が自己改造というものは可能性があるのです。
具体例として、私自身の例を紹介します。

私は子どものときから整理・整頓が苦手でした。
そして、大人になってからですが、あるとき大切な物をなくして非常に困ったことがありました。

そのときはなんとか解決することができましたが、このままでは将来もっと大事な物をなくして取り返しのつかない事態になるかも知れないという強い危機感を持ちました。

それで、整理・整頓の本を読んで研究したり、便利な収納グッズを買いに行ったり、ラベリングをしたり、自分で収納方法を工夫したりしました。
その結果、少しはできるようになりました。

大人が本気になれば、もって生まれた資質に逆らってまあまあのことができます。
大人にはそういう能力があるのです。

まず、自分ができないことを身につけるために学ぶことができます。
本を読んだり、ネットで情報を取ったり、カルチャー・スクールに行ったりなどできます
。子どもにこういうことはできません。

また、大人は必要なものを買いに行くこともできます。
学ぶための本も収納グッズも自由に買えます。
お金もあり、車もあり、行動力もあり、自由もあります。
でも、子どもには買うことができません。
勝手に買ってきたりしたらすぐに叱られてしまいます。

また、大人は自分で工夫することもできます。生活経験が豊かで知恵もあるので、応用力があるのです。
子どもは工夫して問題解決するということが苦手です。
だから、ウソをついてごまかすことが多くなるのですが…。

このように、大人の方が自己改造の能力があるのです。
子どもにはこういう能力がありません。
子どもにあるのは吸収力だけです。
でも、これは自己改造には役立ちません。

そもそも、子どもには決定的に欠けているものがあります。
それは自己改造したいという強烈な内面的モチベーションです。
なぜ子どもにこれがないかというと、これは真剣に将来を見通したときに初めて持てるからです。

そのきっかけには2種類あって、1つには私のように大失敗をして将来このままでは本当に困るぞと思ったときです。

もう1つは、将来の夢を持ったときです。
将来自分はこういう仕事をしたい、こういう勉強をしたい、こういう生活をしたい、こういう人生を生きたい、などの夢です。

いずれにしても、将来を真剣に考えたときに初めて生まれてくるものなのです。
でも、子どもには将来を真剣に考えるということができません。
これが子どもの本質です。

子どもも一応「将来ぼくは…」などと言うかも知れませんが、そのリアリティというか真剣度は極めて低いものです。

これがもし本気で将来を心配していたら、もう既に子どもではありません。
それはもう子どもとは言えないのです。
考えないから子どもなのです。

だからかわいいのです。
だから美しいのです。
今日一日、今という一瞬に自分を丸ごと注ぎ込んで生き生きと生きています。
将来なんて関係ないのです。
だからかわいいし、だから直らないのです。

これは同じコインの裏・表です。
表だけもらっておくということはできません。
必ず裏もついてくるのです。

私ははっきり言います。
子どもは自己改造が苦手です。
子どものうちなら直るというのはウソです。
これは大人たちの集団的な勘違いに過ぎないのです。

私はこのことを先生や親がわかっていることが大事だと思います。
わかっていないと、子どものためということでいたずらに叱ることが増え、子どもの伸びる芽を摘むことになります。

わかっていればそういうことは減りますし、子どもを許せるようになります。
そして、もっと別のやり方で臨むことができるようになります。

初出『教職課程』(協同出版)2013年7月号

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