先生や親たちが、子どもを「また○○してない」「なんで○○しないんだ」「○○しなきゃダメでしょ」などの否定的な言葉で叱り続けることの弊害は本当に甚大です。

「自分は嫌われているんじゃないか?」と感じて先生や親に不信感を持つようになり、気持ちが荒れて素直になれなくなり、友達とのトラブルも増えます。

また、「どうせぼくなんてダメだよ」と感じて自信がなくなり、自己肯定感が持てなくなります。
何事にもやる気をなくし、挑戦したり努力したりするエネルギーを奪います。

このような否定的な言い方は、子どもの持っているよいところや伸びる芽を全て破壊してしまう、暴力以外の何ものでもありません。

先生たちは教育の専門家のはずなのに、このことにあまりにも無自覚です。
「子どものため。教育のため」という錦の御旗のもと、日々雨あられのように子どもたちに「否定語」の毒を撒き散らしている先生が大勢います。

私は、もっと先生たちが子どもに向ける言葉について真剣に考える必要があると思います。

存在否定や人格否定の言葉を絶対に言ってはいけないのは当たり前ですが、物事についての否定的な言い方も金輪際ナシにするべきです。

一番いいのは肯定的な言い方にすることです。
たとえば、「○○するといいよ」「○○しておくと気持ちいいよ」「こうするとうまくいくよ」「さあ、やってみよう。絶対できるよ」などです。

これらは、「○○しなきゃダメだろ」などの否定的な言い方より、よほど気持ちのいい言い方です。

あるいは、「取りあえずほめる」という方法で、やるべきことを上手に促すこともできます。
つまり、特に顕著な事実がなくても取りあえず先にほめるのです。

例えば、「字をしっかり書かなきゃダメだろ」というかわりに「書き取り帳の字がしっかりしてきたね」と取りあえずほめるのです。

子どもは「またまた、先生ったら…。やらせたいからほめてるんでしょ」と思うかも知れません。
でも、決して悪い気はしません。

そして、メッセージは十分伝わります。
子どもは「しっかり書いて欲しいんだな」と感じ取りますし、ほめられたのがうれしくてちょっとはその気になってくれます。

また、何回もほめられているうちに、本人も何となくそんな感じがしてくるということもあります。

だいたいにおいて、先生も親も「できるようになったらほめよう」と思っています。
だから、永久にほめられないのです。
先にほめてしまえばいいのです。
ほめたらできるのです。
「できたらほめる」ではなく、「ほめたらできる」のです。

でも、なかなかほめることができないという人も多いと思います。
実はそれを解決するちょっとしたコツがあります。
それは部分をほめるということです。、

たとえば書き取り帳の字が雑な子がいるとします。
その場合、漠然と全体を見るのではなく部分に注目します。

すると、中には比較的よく書けている字が必ずいくつかあります。
それを探し出して「この『春』という字は形がいいね。
この『研』という字も上手だね」というように、それらの字に花丸をつけます。
5個でも6個でも、あるいは10個でもいいのでつけます。

どうしても直させたい字がある場合は、最後に1つか2つ選んで「これとこれだけ直しておこう」と言えば、喜んで直してくれます。

これを毎日続ければ、日ごとに書き取り帳の字はきれいになっていきます。
「こんな字じゃダメ。もっと丁寧に書かなきゃダメだろ」と否定的に叱る必要などまるでありません。

この「部分をほめる」というのは、ほめるための必殺技とでもいうべきもので、あらゆる場面で応用できます。

子どもの日記を見て、「もっとしっかり書かなきゃダメだろ」と言いたいときにもグッとこらえて、部分に注目してほめられるところを探します。

すると、「ここの会話がすごく生き生き書けてるね」とか「このときの様子が目に見えるようだよ」などとほめることができます。

ある先生は、花係の子に「あなたは花瓶の置き場所をよく考えて、安全で目立つところにおいてくれてるんだね。よく気がつくね」とほめました。

すると、それまでは花の水かえをやったりやらなかったりだったその子が、毎日必ず水かえをするようになったそうです。

もちろん、一番いいのは、この連載の13回と14回でも書いたように、環境とシステムを工夫して、実際にできるようにしてあげてからほめることです。

たとえば、片づけが苦手な子も、帰りの会で必ず1分間お片づけタイムを取るようにすればできるようになるので、そうしたらほめます。

でも、全てそのようにするのは難しいので、そういうときは特に顕著な事実がなくても上記のように取りあえず先にほめるようにします。

このように、否定的な言い方のかわりに肯定的な言い方にするのがベストです。
でも、そうはいっても何でも全て肯定的な言い方にするというのは現実的には無理です。

そういうときは、単純な言い方で明るく楽しく促すようにします。
たとえば、「さあ、○○するよ。始め~」「2分でやり終えよう。用意、ドン」「はい、じゃあ、やってない人は今からやるよ。用意、始め」などのような言い方です。

そのとき、「またあなたはやってない。なんでやってないの。やらなきゃだめでしょ」などと余分なことを言わないことがポイントです。

私は、このように明るく楽しく単純に促すということが先生たちは苦手だと思います。
というのも、「何度同じことを言わせるのか?」「同じことを何度も言わなくても、自分たちでどんどんできるようにしなければ」「何度も同じことを言わなければならないのは、指導がまずいということだ」という気持ちがあるからです。

だから、否定的に叱る言い方になってしまうのです。

でも、そもそも、子どもと一緒にいる生活というものは、誰がやっても同じことを何千回も言う生活なのです。
既にこの連載で詳しく書いたように、子どもはそんなにすぐにかわらないからです。

もっといえば、子どものみならず大人でも、とにかく他者と一緒にいる生活とはもともとそういうものなのです。
他者の行動パターンや意識を、そんなに簡単にかえられるはずがありません。

相手には相手の事情があり、もって生まれたものもあり、これまで生きてきた文脈もあります。
3,4回言って、それでこちらが思うように相手が動くようになると考えること自体が僭越なことです。

たとえ相手が子どもでも、同じ人間同士であることにかわりはありません。
どうして自分だけが一方的に高い位置から相手をかえることができるでしょうか?

そもそも、一人の人間をかえようとすること自体がおこがましいことではないでしょうか? 
変えようとする自分は一体何様なのでしょうか?

さらに思い浮かべてみれば、私たちは自分でも自分に同じことを何回も言っています。
これをお読みのあなたも、「これから、毎日必ず整理・整頓をするぞ」「明日から、夜の9時以降には何も食べない」「明日の朝から、あと5分早く起きるぞ」などと、自分に何回も言ってきたことがあるはずです。

それでもなかなかかわれないのが人間なのです。
大人でも、なかなかかわれません。
まして子どもにおいては何をか言わんやです。

ですから、何度でも促してあげればいいのです。
そうすれば、「あっ、そうだった。やらなきゃ」と思ってやります。
そうしたら、ほめてあげてください。

繰り返しになりますが、自然にできるように工夫するなど、必要なサポートはしてください。
そして、たくさんほめてあげてください。
でも、それでもできなければ何度でも明るく楽しく促してあげればいいのです。

ときには、一緒に手伝ってあげることも必要でしょう。
手伝うと自立できなくなるという人もいますが、決してそんなことはありません。

手伝いつつやり方を教え、少しずつ手を離してみる、離しすぎたと思ったらまた手伝う、というようにしてあげればだんだんできるようになります。
その子のペースに合わせて、長い目で見てあげてほしいと思います。

初出『教職課程』(協同出版)2013年5月号

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