家でも学校でもよく叱られている子がいます。
「また○○してない」「なんで○○しないんだ!」「○○しなきゃダメでしょ」というように否定的に叱られている子がたくさんいるのです。

親や先生にこのように叱られることの弊害として、前回次のようなことを書きました。
まず、子どもは「自分は嫌われているんじゃないか?」という不信感、つまり愛情不足感を持つようになります。

その結果素直になれなくなります。
そして、万事においてやる気をなくします。
さらには、気持ちが荒れるので子ども同士のトラブルも増えます。

今回はもう1つの弊害について書きます。
それは、このように叱られることが多いと、子どもは自分に自信が持てなくなるということです。

つまり、「ぼくってダメだな。私ってダメな子だ。どうせオレなんかダメだよ。自分にはできっこない。がんばれないよ…」と思うようになってしまうのです。これがまた非常にまずいことです。

もちろん、親も先生も「お前はダメな子だ」などと言ったつもりはありません。
そんなことはひと言も言っていません。
人格否定などしてはいないのです。

教育関係の本や雑誌にも、「子どもの人格否定をしてはいけません。
物事について叱りましょう」と書いてあります。

ですから、親も先生も「また宿題やってない。ちゃんとやらなきゃダメでしょ」「なんで片づけしないの! 自分でやらなきゃダメでしょ」というように、物事について叱っているのです。

でも、ここに大きな勘違いがあります。
子育てや教育においては、大人たちの長年にわたる集団的な勘違いというものが非常に多いのですが、これもその1つです。

どういうことかといいますと…。
まず、人格否定とは相手の人格を丸ごと否定する言い方です。
例えば「また片づけてない。ちゃんとやらなきゃだめでしょ。まったくずるい子なんだから」と言った場合、その中の「ずるい子」という言い方が人格否定です。

この他にも、「お前はずるいなあ」「ひきょうだね」「だらしがない子だ」「情けないやつだ」「頭が悪いんじゃないの」などの言い方も同じです。

親や先生にこのような言い方をされると、子どもはひどく傷つきます。
心の傷、つまりトラウマになって長く引きずることになります。

物理現象ではないので、すぐに影響が目に見えることはありません。
言われてもにこにこ笑っているかも知れません。
傷ついたようには見えないかも知れません。

でも、心の深い部分が傷つくのです。
本人も気がつかないうちに、無意識のうちに傷つくのです。
だからこそ、トラウマになって引きずるのです。

でも、たいていの親や先生は気をつけていて、こういう人格否定の言い方はしないものです。
しかしながら、そういう気をつけている人ですら、物事についての否定的な言い方ならオーケーと思っています。

ところが、これが勘違いなのです。
子どもの立場になってみてください。
いくら物事についてでも、それら全てを言われ続けているのは自分以外の誰でもないのです。

ですから、そういう言葉を浴び続けていれば、「ぼくってダメだな。私ってダメな子だ。どうせオレなんかダメだよ。自分にはできっこない。がんばれないよ…」という結論に至ってしまうのです。

つまり、物事についての否定的な言い方も、結局は人格否定と同じ結果になるということです。

この逆はあり得ません。
こういうことを言われ続けている子が「ぼくってけっこういいかも。
私ってなかなかやるじゃん。オレならできる。絶対できる。がんばれるはずだ…」などと思うようになるはずがありません。

そして、自分に自信が持てなくなるということは、言い換えると自己肯定感が持てないということであり、いい自己イメージが持てなくなるということでもあります。

人は誰でも「自分とはこういう人間だ」という自己イメージを持っています。
そして、それは人生に大きな影響を与えます。
なぜなら、それは人間が自分自身をつくっていく上での設計図になるからです。

人間は自分自身をつくっていく唯一の生きものです。
そのとき、ただ闇雲につくっていくわけではありません。
もとになる設計図、青写真があるのです。
それが自己イメージなのです。

では、その自己イメージはどのようにしてつくられるのでしょうか?それは自分に向けられる他人の評価、つまり他人の言葉によってつくられます。

親や先生や友達の言葉によって、いつの間にか、本人も気がつかないうちにできあがっていくのです。
つまり、自覚のないまま無意識の中でできあがっていくのです。

無意識の中ですから、本人のコントロールが効きません。
それはそうですよね。
もし自分でコントロールできるなら、誰でも最高にいい自己イメージが持てるはずです。

大人になってからなら、いい自己イメージを持てるように意識的な努力をすることも可能ではあります。
そのためのノウハウを本やネットで手に入れることもできます。

でも、子どもが自我を形成していく途中においては難しいことです。
今まさに自我を形成していく途中の子どもたちにとって、親や先生の言葉は圧倒的に大きいものなのです。

子どもが自分に自信が持てるようになって、自己肯定感が持てて、いい自己イメージが持てるようになると、自分でぐんぐん伸びていけるようになります。

反対に、自信がなくなって、自己肯定感が持てなくなり、いい自己イメージが持てなくなると、伸びていくことはできません。

実は、子どもたちの日々の生活の中に人生のちょっとした分かれ目がいくらでもあります。
たとえば学校の授業で、3時間目が理科だったとします。

先生が教室に入ってきて、「さあ、3時間目は理科室で実験をやるよ」と言ったとします。
そのとき、子どもたちの心の中の反応には大きく分けて2つの方向性があります。

「お、実験だって。やった、オレそういうの得意。オレできる」と思える子もいます。根拠はなくても、なんとなくできそうと思える子もいるのです。

つまり自己肯定感がある子、いい自己イメージを持っている子です。
「できる」と思えば手を出して積極的にやりますし、実際にだんだんできるようにもなります。

でも、中には、「え、実験? 私はそういうの苦手かも。なんか自信ないな。できないかも」と思ってしまう子もいます。

やればできる能力はあるのに、そう思ってしまう子もいるのです。
つまり自己肯定感が持てない子、いい自己イメージが持てない子です。

そして、「できない」と思ってしまえば、手を出しませんし、実際にだんだんできなくなってしまいます。

学校の勉強だけではありません。
運動、生活、遊び、いろいろな場面で、こういう分かれ目は毎日いくらでもあります。
その延長線上に子どもの人生はできあがっていくのです。

ですから、親や先生が最優先でやるべきことは、子どもたちが自分に自信を持てるようにしてあげることです。

つまり、自己肯定感を持てるようにしてあげて、いい自己イメージを持てるようにしてあげることです。
そうすれば、自分でどんどん伸びていけるのです。
これこそ教育における最優先課題です。

ところが、これを台なしにしているのが、他ならぬ親や先生たちの物事についての否定的な言い方なのです。
「また○○してない」「なんで○○しないんだ!」「○○しなきゃダメでしょ」などの言い方です。

これは言葉で子どもを叩き続けるのと同じであり、言葉の暴力です。
子どものためと思って言っているのかも知れませんが、それが全くの逆効果だということをはっきり認識する必要があります。

前回と今回で2つの弊害について書きましたが、いずれも非常に大きなものです。
ところが、先生たちの多くがこのことに全く気づいていません。

私は、もっとこういう面での研修をする必要があると思います。
授業方法についての研修は多いのですが、子どもに向ける言葉についての研修はほとんど行われていないのが現状です。

初出『教職課程』(協同出版)2013年4月号

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