子どもたちはみんな、「叱られたくない。毎日明るく楽しく過ごしたい」と強く願っています。
そのことにようやく気づいた私は、「叱らない環境とシステム」を工夫し始めました。

その具体例として前回までに2つ紹介しました。
1つは、「叱らなくても宿題が出せる環境とシステム」によって宿題提出のことで叱らなくても済むようになったことです。
もう1つは、「1日1分お片づけタイム」によって片づけのことで叱らなくて済むようになったことです。

この他にもいろいろ細かい工夫をしました。
それらについてはこの連載で追々触れたいと思いますが、そういった工夫の甲斐があって叱らなくても済むようになりました。

その結果、子どもたちといい人間関係が作れるようになりました。
すると、子どもたちがこちらの言うことを素直に聞いてくれるようになりました。

また子ども同士の人間関係も良くなり、明るいクラスが作れるようになりました。
万事いい方に回転し始めたのです。

それで、改めて気がついたのは、教師である私の否定的な言葉が全ての悪循環の始まりだったということです。

例えば、「また○○してない」「なんで○○しないんだ!」「ちゃんとやらなきゃダメだろ」「こんなことでどうする」「何度言ったらできるんだ」「やる気がないならやらなくていい」などです。

このような否定的な言い方が、本当によくないのです。
「子どものため」ということで発せられるこれらの言葉が、全てを台なしにしているのです。

それがわかってから周りを見ると、かつての私と同じようなことをしている教師や親が実に多いということに気づきました。

世間一般では、「近ごろの先生や親は子どもを叱らないからダメなんだ」などということを言う人がよくいます。
テレビを見ていると、コメンテーターと言われる人たちが何人か出てきて、教育や子育ての話題のときにこのようなコメントをします。

私はそういうコメントを聞く度に、「この人は現実を知らないな」と感じざるを得ません。
現実を知らないまま、みんなが言うことを何の疑いもなくそのまま紋切り型で繰り返しているのです。

現実はまさにその逆で、子どもたちは毎日よく叱られています。
家で親に叱られ、学校で先生に叱られ、スポーツ少年団で監督やコーチに叱られているのです。

家では、親に「ちゃんと片づけなきゃダメでしょ。何度言ったらできるの」「歯を磨かなきゃダメでしょ」「なんでちゃんと勉強しないの」と叱られます。

学校では、先生に「時間を守らなきゃダメでしょ」「おしゃべりしてちゃダメでしょ」「なんで進んで発表しないの」「もっと自主的に動けないの?」「もっとていねいに書かなきゃダメでしょ」「掃除中ふざけるんじゃありません」と叱られます。

スポーツ少年団では、監督やコーチに「もっときびきび動かなきゃダメだろ」「集合が遅い。やる気があるのか?」「靴を整頓しなきゃダメだろ。何度言ったらできるんだ」「挨拶の声が小さい。大きな声で言わなきゃダメだ」「集中力がな~い」「なんど同じエラーをするんだ。体で止めなきゃダメだろ」と叱られます。

家でよく叱られ、学校でもよく叱られ、その他の場でもよく叱られるという子がたくさんいます。
そういう子は本当にかわいそうです。

私は、先ほど否定的な言い方が全ての悪循環の始まりと書きましたが、ここは大事なところなのでもう少し詳しく書きます。

このような否定的な言い方をされると、誰でも”自分”が批判され否定されたと感じてしまうのです。
すると、頭ではそれが正しいとわかっても、心の窓が閉じてしまい素直に聞く気になれなくなります。

例えば…、想像してみてください。
日曜日の朝、いつもより早く起きてモーニングコーヒーを飲んでいたとします。
すると、そこへ家族の誰かがやってきました。
そして、ひと言「なんでカーテン開けないの。
ちゃんと開けなきゃダメでしょ」と言ったとします。

言っている方は、特に”相手”を批判しよう、否定しようと意図しているわけではありません。
ただ”カーテン”のことを言っているのです。
そして、ただ否定的な言い方が口癖になっているだけのことなのです。

もしかしたら、相手のことを思って、カーテンを開けた方が気持ちがいいことを伝えてあげたいという一種の思いやりから言っているのかもしれません。

でも、言われた方は”自分”が批判され否定されたと感じてカチンと来るのです。
そして、素直に言うことを聞く気になれなくなります。

言った方と言われた方の、この意識のギャップがすごく大きいのです。
これが否定的な言い方の恐ろしさです。

先生や親も”子どものため”と思って言っているはずです。
でも、それが否定的な言い方であった場合、子どもは全く別のものを受け取ります。

もちろん、先生や親が恐いので一応は言うことを聞きます。
でも、心から納得して聞いているわけではありません。
こういうことが度重なると、素直に聞くどころかむしろ逆のことをやりたいという気持ちすら出てきます。

そして、さらにそういう言葉を浴び続けていると、子どもの中にある疑惑が生まれてきます。
それは、「自分はこの人によく思われていないのではないか?」という疑惑です。

「自分はこの人に好かれていないみたいだ」「嫌われているんじゃないか?」「少なくとも受け入れられていないのは確かだ」。
こういう思いが出てきてしまうのです。

つまり相手に対する愛情不足感であり不信感です。
これが非常にまずいのです。

特に、親子の間でこの愛情不足感がある場合はかなり心配です。
親の愛情を実感できていない子は、まず何事もやる気をなくします。

そして、なんとかして愛情を実感したくなります。
すると、やってはいけないことをやるようになります。

それは危険なことや禁じられていることです。
敢えて危険な場所で遊ぶとか、店の物をこっそり取ってしまうなどです。
それによって親がうろたえたり心配して泣いたりする姿を見て、「ほら、やっぱり愛されているんだ。よかった」と安心したいのです。

もちろん、こんなことを意識してやるわけではありません。
自分の中の満たされない部分が衝動的に本人を駆り立ててしまうのです。
それはふつふつとたぎるマグマのようなものです。

先生との関係でも同じです。「自分はこの先生によく思われていないのではないか?」「嫌われているんじゃないか?」と感じている子はかなりの割合でいます。
つまり、先生に対する愛情不足感であり不信感です。

こんな状態でいい指導ができるはずがありません。
子どもは先生の言うことを素直に聞く気になれませんし、さらに困ったことに勉強でも何でも万事やる気をなくしてしまうのです。

先生の愛情を実感できて、自分も先生が大好きという状態だと、子どもはどんどんやる気がわいてきます。
勉強でも何でも一生懸命取り組むようになります。

気持ちが満たされているので友達にも優しく接することができます。
クラス全体が温かく和やかな感じになってきます。

実際、以前はまるでやる気がなかったのに、担任がかわってたくさんほめられるようになったらやる気が出て、急にぐんぐん伸び始めたという子の話はいくらでもあります。

この反対に、先生によく思われていないと感じ、先生に対する愛情不足感・不信感を持ってしまうと、子どもは万事においてやる気をなくします。

そして、気持ちが荒れてクサクサしてくるので、友達とのトラブルも増えます。
そして、クラス全体がぎすぎすしてきます。

このように、先生たちが子どものためと思って言っている「また○○してない」「なんで○○しないの」「○○しなきゃダメでしょ」などの否定的な言葉が、全ての悪循環の始まりなのです。

いい循環にするにはこういう言葉をやめることが大切です。
そのために、私は「叱らない環境とシステム」を工夫したのです。

初出『教職課程』(協同出版)2013年3月号

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