若い頃の私は、ひと言で言うと教師として肩に力が入りすぎていました。
例えば、次のような気持ちがかなり強かったと思います。

子どもたちが自主的に活動できるクラスにしたい。
当番や係活動はもちろん、学校生活全般において積極的に生き生き活動できるクラスにしたい。

生活習慣もしっかりしている規律あるクラスにしたい。
発表がたくさんできて活発な授業ができるクラスにしたい。
などなどです。

このような目ざすべきイメージが強すぎるとろくなことになりません。
子どもの実情を理解したり気持ちを汲んだりすることができなくなり、ひたすら自分が勝手に思い描いたイメージに突き進むことを優先するようになるからです。

これらのイメージはよく教師の「願い」と言われています。
「願い」と言えばきれいな言葉ですが、はっきりいうと「欲」でもあるのです。

なぜかというと、それによって教師としての自分の評価を高めたいという気持ちがその裏にあるからです。

つまり、「先生のクラスはすばらしいです。
子どもたちが自主的によく動いていますね。
よく協力していて雰囲気がいいですね。
先生の指導力はすごいです」などの言葉が欲しいのです。

さて、このような欲の強い私が、ある年、指導力があることで有名な2人の先生と同じ学年を受け持つことになりました。
負けてはいられないということで、私は大いに張り切りました。

やる気満々でした。
両隣のクラスに負けないすばらしいクラスにしなくては、と思いました。
自分のクラスが何でも一番であってほしいという気持ちです。

そして、それはつまり自分がすばらしい教師であることを証明したいという気持ちでもあるのです。

それで前述のような欲がさらにたくさん出てきました。
そして、その達成に向けてあれこれ奮闘しました。

もちろん、それに向けての努力は惜しみませんでした。
若かったので、自分が使える時間がたっぷりありました。
そのほとんどを仕事に向けていたと言っても過言ではないと思います。

教材研究と授業の準備、子どもの書いたものを読んで赤ペンを入れる、クラスの諸活動についての準備など、どれもがんばりました。

それと同時に子どもたちにもかなり発破をかけました。
こちらがこれだけやっているんだから、という思いもありました。

そして、うまくいかないとき、つまりこちらの思うようにいかないときは、かなりきつい言葉で叱りつけました。

「なんで○○しないんだ!」「ちゃんとやらなきゃダメだろ」「こんなことでどうする」「何度言ったらできるんだ」「やる気があるのか!」「隣のクラスを見て見ろ」日々こんな言葉のオンパレードでした。

よく覚えているのは9月の運動会シーズンのことです。
運動会の練習が始まるころ、私は子どもたちに話しました。

「みなさんは5年生です。5年生といえば高学年です。高学年の運動会は”やらされる運動会”ではいけません。みなさんが主体的に取り組む運動会でなければいけません」こんな感じの話です。

要するに、休み時間にも遊んでばかりいないで自主的にグランドを走るなどの練習をしなさいよ、ということを言いたいわけです。
でも、子どもたちはなかなかこちらが思うようには動きませんでした。

ところが、ふと気づくと、1組と3組の子どもたちは休み時間にもグランドを走ったりリレーの練習をしたりしているではありませんか。

わが2組はドッジボールなどで遊びまくっているだけで、一向に自主的に練習する気配がありません。

運動会に向けて自主的にがんばるクラスとはほど遠い状態です。
しかも、自分のクラスだけ…。
それで、私は焦って子どもたちに発破をかけました。

「あなたたちは何をやっているんですか?自主的にがんばる運動会はどうなったんですか?1組と3組を見てみなさい。みんな自主的に走ってるよ。あなたたちはやる気がないんですか?これから自主的にがんばるって約束しなさい」まあ、こんな感じの嫌みな言い方で叱りつけたのです。

それで、子どもたちは次の休み時間に一応走るわけですが、その効果も1日か2日ですぐにもとに戻ってまた走らなくなります。
それで、今度は学級委員に矛先を向けて叱りつけます。

「学級委員は何をしているんだ?みんなを引っ張る声を出しているのか?そもそも学級委員は自分がすすんで走らなきゃダメだろ。
それがリーダーというもんだろ」

でも、一向に変化はありません。
ある日、業を煮やした私はこう言いました。
「そんなことでどうする! もう1時間目が始まっているけど、10分やるから、今からみんな自主的にグランドを5周走ってこい」

「自主的に走ってこい」などという意味不明なことを平気で言っていたのです。
今考えれば愚かの極みですが、そのときは平気でした。
子どもたちをなめきっていたのです。

このようなことを、運動会だけでなく、当番や係活動、授業などあらゆる場面でやっていました。

その結果、どうなったか? 運動会が終わる頃、秋風が吹き始めました。
それは、運動場だけでなく教室の中にも吹き始めました。
ふと気がつくと、なんとなく子どもたちの様子が変なのです。

私に話しかけてくる子がいなくなりました。
みんなよそよそしいのです。

そして、子どもたちが私の言うことを聞かなくなりました。
だんだん言うことを聞かなくなり、3学期にはまったく言うことを聞かなくなりました。

3学期になってやっと私は理解しました。
感情的に叱るたびに、子どもたちが言うことを聞かなくなっていくという事実にです。

でも、その時にはもう遅すぎでした。
私が何を言っても子どもたちは聞かなくなっていました。
それで、「私は○○しないと□□だぞ」というように罰で動かそうとしました。

すると一瞬の効き目はありましたが、その後はさらに言うことを聞かなくなりました。

それでもっときつい罰でおどして、その後子どもたちの心がさらに離れていく…。
こういう悪循環におちいりました。

私は毎日学校に来るのが苦痛で仕方がありませんでした。
毎日、朝起きるのが本当に大変でした。
クラスに向かう足取りも重く、出るのはため息ばかりでした。

クラスの子どもたちとの人間関係が崩れてしまったのですから、教室にいても裸の王様状態でした。

そのような状態であることを学校長は何一つ気がつかないようでした。

両隣の先生たちが気づいていたかどうかわかりません。
ある程度は気づいていたかも知れませんが、「あまりうまくいってないようだ」くらいだったかも知れません。

それでもなんとか3学期が終わりました。
終わったときはホッとしました。

ところが、両隣の先生たちは自分のクラスを6年生に持ち上がりたいと言い出しました。
そして、私にも「学校長に頼んで持ち上がろうよ」言うのです。

私はとても無理だと思いました。
こんな状態で持ち上がるのは不可能です。

でも、それは自分のプライドが許しませんでした。
両隣が持ち上がるのに自分だけ持ち上がらないなんて、負けを認めたようなものです。

と同時に、このまま終わりたくないという気持ちもありました。
子どもたちとの人間関係がめちゃくちゃになってしまったこの状態で終わりにしたくない。

もう一年掛けて子どもたちとやり直したい。
いい人間関係を取り戻したい。
そういう気持ちもありました。
それで、私も持ち上がりたい旨を学校長に伝えたのです。

初出『教職課程』(協同出版)2012年9月号

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