できの悪い新採ということで見放されて、指導的立場の先輩たちからあまりうるさいことを言われなくなった私は、これ幸いということで自分のやりたいようにやるようになりました。

私はそれ以前から作文や日記の指導に興味があって、本を読んだりいろいろな実践例を調べたりしていました。
それで、受け持っている3年生の子どもたちにも日記を書かせることにしました。

日記には子ども一人一人の内面的な個性がとてもよく表れます。
学校で表面的に見ているだけではわからないその子の感性と思考が文章の中に表れるのです。

いつもいばってばかりでがさつに見える男の子が、新しい季節の花のつぼみをいち早く見つけて書いてきたのには感動しました。

いつも気まじめな女の子が、日記の中ではかなりのひょうきん者で驚いたこともありました。

また、日記は赤ペンのコメントを通して一人一人とコミュニケーションができるという面もあります。
クラスの中ではおとなしくてあまり話をしない子と、赤ペンのコメントを通して心の絆ができることもあります。

日記に取り組むと、「え、この子がこんなことを感じているの?」「こんなことを考えているんだ!」という新鮮な驚きがあり、子どもを見る目が変わります。

教師はどうしてもクラスの子どもたちを集団としてとらえがちです。
でも、本当は集団である前に非常に個性豊かな内面を持つ一人一人の存在であるわけで、日記に取り組むとこういうことがよくわかります。

私は子どもたちの日記を読む中で3年生の子どもたちの感性の豊かさに日々驚くことばかりでした。
それで、3学期になったとき「詩もいけるんじゃないだろうか!」と思い至りました。

以前から児童詩の本も読んでいましたのでさっそく取り組みました。
すると、すごくリズムのよい詩を書く子や、普通はあまり気づかないことに目を向けている子などもいて感心させられました。
日記とは違う子どもたちのさらに新しい面が表れてきたように思いました。

そして、さらに物語の創作にも取り組みました。
物語はまったく自由に想像を膨らませて書けるので、子どもたちは作文や日記より楽しんで書けるようです。

登場人物は動物、ロボット、小人、昔のひと、男の子、女の子、身の回りの物など実に様々です。
こちらも読んでいて面白く、子どもたちの想像力と創造力が爆発した感じでした。

3学期は毎日詩や物語を書かせて、一人一人をたくさんほめてあげてとても楽しい日が続きました。
それまでは叱ることが多かったのですが、それまでの分を取り返すくらいたくさんほめることができたと思います。

書けばほめられるので、子どもたちはどんどん書いてくれました。
こういった創作には正解・不正解というものがありませんので、子どもをほめるにはまことに好都合だということもわかりました。

そして、その学年の終わりに詩や物語を集めたクラス文集をつくることにしました。
今私の手元にその実物がありますが、懐かしくてたまりません。

私が書いた序文にそのときの気持ちがよく表れているので引用してみます。
『初めて三年二組のみんなの詩や物語を読んだのは、三学期になってからのことでした。
みんなの詩を読ませてもらって、先生はとてもおどろいた。

なぜかって? あのいたずらこぞうやおてんばむすめが、こんなにもすてきな詩を書くなんて思わなかったからさ。

あの子がこんな詩を書いたの?へえ、あの子がこういう詩を書くなんて!ええ、しんじられない!

先生はみんなを見なおしたような気分だった。
それまで先生にはわからなかった一人一人のいいところを、新しく見つけ出したと思って先生はとてもうれしかった。

みんなの書く物語も、先生をおどろかせた。
それまでは、「作文」という言葉を聞くだけでいやな顔をしていたみんなが、どんどん自分からすすんで物語を書いてきてくれた。

これだけでもおどろきなのに、その上みんなの書く物語はどれもこれもおもしろくて、楽しくてドキドキハラハラしてワクワクして、すごくすてきなものばかり。
おどろいたなあ、本当に。

こんなすてきな詩や物語も、そのままにしておくとどこかに行ってなくなってしまう。それは、ひじょうにざんねんなことです。

そういうわけで先生は考えた。
詩は「けっ作集」にまとめよう。
物語は文集にしてのこそう!

こうしてこの文集ができあがったというわけです。
じっくり読んでください。
いつまでも大切にとっておいてください。
そして、これからも、詩や物語をどんどん書いてください。

そして、時々は、杉山先生のことを思い出したりしてほしいな。』
この文集は私が自分で印刷をすべて行い、そのあとで業者さんに製本してもらう手はずになっていました。
B4の紙に印刷して袋とじ製本でB5版の冊子になるはずでした。

ところが、私があれも載せたいこれも載せたいと欲ばった結果、1人当たり6ページにもなってしまいました。

それで、業者さんに「うちの技術ではこの厚さを袋綴じ製本するのは無理」と言われて、「ガ~ン」という感じでしたが、結局B4版のまま製本してもらいました。

それで、できあがりはちょっとかっこ悪かったですが、私は大満足でした。
子どもたちに配ったところ大喜びしてくれて、自分の作品や友達の作品を一生懸命読んでいました。

親御さんたちにも大好評でした。
翌日、ある子が私に教えてくれました。
「うちのお父さんが『カマキリ先生、やったな!』って言ってたよ」「カマキリ先生って誰?」「先生のことだよ」「えっ?」「うちのお父さんは先生のこといつもカマキリ先生って言ってるよ。やせてて顔も体もかまきりみたいだからだって」「…」

さて、このように一年目の最後は日記、詩、物語の創作に夢中になって取り組んだわけですが、これも若さの勢いがあってのことでした。

というのも、このような指導は非常に時間がかかるからです。
何十人もの子どもたちが書いたものを読んで赤ペンやコメントを入れる作業は、楽しいと同時に苦しいものでもあります。

このときは、勤務時間が終わったあとの自分が使える時間の大部分をこれに注ぎ込んでいました。
プライベートの時間などまるでなかったと思います。
だからできたのですが、その状態をずっと維持することはできませんでした。

それに、教師がやるべきことは他にもたくさんあります。
学級経営、教科指導、授業の準備、テストの丸つけ、生徒指導、事務処理、校務分掌、保護者とのコミュニケーションなど、限りなくあります。

何よりも、子どもたちとの触れ合いと授業の準備は最優先すべきものです。
休み時間に子どもが話しかけているのに、日記に赤ペンを入れたりテストの丸つけをしたりするのに忙しくて生返事しかしないという先生もいますが、これでは本末転倒というものです。
今目の前にいる子どもと真っ正面から向き合うことが教師の一番大事な仕事だからです。

そして、毎日の授業を楽しくて力のつくものにすることも大切です。
そのためには、授業の準備に時間をかける必要があります。
教材を研究して授業展開を考え、プリントや教具など必要なものを準備するにはそれなりの時間がかかります。

つまり、教師にはバランス感覚が大切なのです。

はじめのころ私はこの点についてうとかったと思います。
でも、経験を重ねるうちにその大切さがわかってきました。

とはいっても、すべて平均値というのもつまらないですね。
自分の好きなことや得意なことを活かして夢中になりつつも、同時にバランス感覚も大事にする、というようにやってください。

自分の特長を十分活かしつつバランス感覚もある、これは教師だけでなく社会人にとって大切なことです。

初出『教職課程』(協同出版)2012年6月号

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