空回りしてボロボロの日々はまだまだ続きます。
ある日、気持ちがへこむようなことがありました。

それは放課後に学年会をやったときのことです。

学年会はいつもお茶菓子を食べながらやっていたのですが、その日はお茶菓子が用意されていませんでした。
いつも用意してくれている先生が用事があって出かけていて、学年会に出られなかったからです。

私は、その先生が職員室の自分の机の一番下の引き出しにお茶菓子をしまってあることを知っていました。
席も隣同士でしたし、その先生が「学年会のお茶菓子はここに入れてある」と言っているのを聞いていたからです。

それで、私は「お茶菓子のあるところを知っているので持ってきます」と言って職員室に行きそのお茶菓子を持ってきました。
それで、学年会はいつものように無事終わりました。

ところが、学年会の後でその先生が出先から帰ってきて、私は「勝手にひとの机の引き出しを開けるとはどういうこと?」と叱られてしまいました。

言われてみれば確かにその通りで謝るしかありませんでした。
でも、ちょっと釈然としない気持ちも残りました。

いろいろな面で私が悪戦苦闘している一方で、同じく新採で入って4年生を担任していたT先生はとても優秀でした。

彼女は学級経営も授業も私よりはるかに上手で、二人が同じ日に新採研修の公開授業をおこなったときなどその差は一目瞭然でした。

事務処理も的確で、出席簿のことで叱られた私とは大違いでした。
また、人柄も素直で明るく子どもたちにも人気がありました。
当然のことながら、職員室でも先生たちに好かれていました。

私がとくに彼女と比較されて誰かに何か言われたということではありませんでしたが、自分の方ではどうしても比較してしまいました。
比較すると自分の至らなさがさらに際立つものです。

そんなこんなで、だんだん私はできの悪い方の新採という感じになっていたと思います。
指導的立場の先輩たちは、諦めたのかあるいは気を遣ったのか、あまりああだこうだと叱らなくなりました。

でも、ありがたいことに、ちょっと先輩の若い先生たちはみんなとてもよくしてくれました。
仕事のあと、喫茶店でのおしゃべり会にもよく連れて行かれました。
女の先生たちが多かったのでおしゃべり会はかなり頻繁に行われていました。

私は、正直なところ、そんな時間があったら子どもの日記を読んだり次の日の授業の準備をしたりしたいという気持ちもありましたが…。

それと、もう一つ、私の教室の隣が保健室だったのですが、ありがたいことに保健の先生がとても親切にしてくれました。

失敗して叱られたときなどは、いろいろと慰めてくれたり励ましてくれたりしました。
明るくて、豪快かつ繊細な姉御肌の先生で、ずいぶん助けられたと思います。

当時は、今と違って若い教師がとてもたくさんいました。
ですから、食事会、スポーツ大会、旅行などのイベントもけっこうありました。
私も誘われるままに参加していましたが、けっこうストレス解消になりました。

ところが、ある日こういうことがありました。
これは私が新採2年目のことなので少し話が飛びますが、忘れられない出来事なので書いておきたいと思います。

確か夏休みか何かで、比較的時間の余裕があった日のことです。
その日、若い先生たち全員がレストランで食事会をすることになっていました。

ところが、私はそれをすっかり忘れていて、気づいたときはかなり時間が過ぎていたので結局行かずに学校で食事をすませました。

そして、その日は午後に職員会議が予定されていました。
でも、いつまで経っても若い先生たちが学校に戻ってきません。

職員会議が始まる時刻になっても誰一人戻ってきません。
それで校長先生が怒り出しました。
私は気が気ではありませんでした。
しばらくして若い先生たちがみんな大慌てで続々と戻ってきました。

あとで聞いたところによると、レストラン側に手違いがあって食事が出てくるまでずいぶん長く待たされてしまったそうです。
それで、みんな大急ぎで食べて戻ってきそうです。
そこへ、交通事故による車の渋滞も加わったそうです。

校長先生は怒り心頭で、職員会議に遅れた若い先生たち全員を職員室の後と横に立たせました。
先生が子どもを立たせるように、校長先生が若い先生たちを立たせたのです。
滅多に見られない異様な光景です。

ところが、若い先生たちの中で私一人だけは普通に座っていたのです。
針のむしろとはこういうことを言うのだと思います。
ぼんやりしていて食事会をドタキャンした私だけがのうのうと座っているわけですから…。

それで、ついに耐えきれなくなって私も立ち上がりました。
みんなと一緒に立っていようと思ったのです。

ところが、横にいた年輩の先生が「あんたは、いいんだよ。座ってるさ」と言いました。
私は「絶対立ってるぞ」という強い意思もなく、言われるままにまた座りました。

私は、立たされている若い先生の中で血の気の多い某先生が、逆ギレして校長先生に怒り出すのではないかということも心配でした。

職員会議の半ばくらいで、やっと校長先生からお許しが出てみんなが自分の席に座ったときは本当にホッとしました。
そのあと私がみんなから仲間はずれにされるということはありませんでしたが、そのときの自分の在り様はなんともお粗末でした。

ある若い先生に後で聞いたところによると、遅れそうなことが分かったとき校長先生にそれを伝える電話をしたそうです。
彼は、「そのとき校長先生は『わかった。だいじょうぶだから気をつけて戻ってきなさい』と言ってくれたのに、おかしいな…」と言っていました。

話は戻りますが、とにかく1年目の前半はボロボロの日々が続きました。
トイレで「また月曜日か…」「まだ水曜日か…」とため息をついていた情景が今も目に浮かびます。

でも、できの悪い方の新採ということになって指導的立場の先輩たちからあまりああだこうだと叱られなくなり、それでかえって自分がやりたいようにやれる範囲が広がってきました。

客観的に見れば見放されたといえなくもない状態ですが、これが私にはとてもよかったと思います。
やりたいことが自由にできるようになってきて、気持ちが楽になり、そして前向きになってきました。

分からなくて困ったときは自分が質問しやすい先輩に聞きましたし、「この人は!」と思える先輩には自分から聞いて吸収するようにしました。
ああしろこうしろと言われてやるより、この方がよほど自分の性に合っていました。

それと、日頃から私は教育や授業についての本を自腹で買ってけっこう読んでいたので、そこから学んだこともいろいろ試してみました。
今思い返しても、これが本当によかったと思います。

各教科の授業展開の本はもとより、学級作り、学級指導、板書、作文教育、日記指導、児童詩、音読と朗読の指導、演劇教育、算数の水道方式、学級レクレーションの本など、いろいろ読んでいました。

もちろん、読んだだけで実行しなかった本もたくさんありますし、そもそも買っただけで読まなかった本もたくさんあります。
でも、タイトルや目次を読むだけでもそこそこの勉強にはなりました。

休日にはよく本屋に行って本を選びました。
その過程で、買いはしなくてもぱらぱらめくっているだけでもかなり勉強になりました。

教育や授業に関する本を読むことのよさはいろいろありますが、根本的な理論を知ることができることと多種多様な実践例に触れることができるのはとても大きなことだと思います。

初出『教職課程』(協同出版)2012年5月号

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