小学校の教師にとって一番大切な仕事は何と言っても授業です。
私も新採で小学校の教壇に立ったその日から、楽しくて力のつく授業をしたい、どの子も伸ばしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。

ですから、毎日の教材研究と授業の準備にはかなりの時間をかけました。
そして、どの授業も必ずB5のルーズリーフに授業の流れを書いて臨みました。

もちろん自分用ですから形式にはこだわらず、発問、指示、留意点など自分に必要なことをメモした簡単なものです。
指導案とまではいかない授業メモのようなものです。

でも、意欲だけはあったのですが実際の授業はなかなか思うようにいきませんでした。
ひとりで空回りして結果はボロボロという感じです。

算数や理科は教えることがはっきりしているのでまだ何とかなったのですが、国語は何をどうしていいのかさっぱりわかりませんでした。
子どもたちも退屈そうですし、自分も教えていて楽しくないのです。

それで、先輩たちの授業を見せてもらっていろいろ真似してみたのですが、なかなかうまくいきませんでした。

そればかりでなく、経験不足と指導力のなさはだんだんあちこちに表れてきました。
係活動や掃除などでも、子どもたちはこちらが思うように動いてくれません。

それに引き替え、私の隣のクラスは指導力に定評のある実力派のベテラン教師だったのでなおさらいけません。
どうしても比べてしまいます。

隣のクラスでは授業中も子どもたちがよく集中していますし、発表もたくさんしています。
掃除や給食の配膳・片づけなど何かにつけて手際がよくて上手です。

自分の指導の至らなさがよけいに目立ちます。
二十年も経験があるひととまったくの新米ですから、当たり前と言えば当たり前なのですが…。

学年集会などで3年生の6つのクラスが一堂に会するときなどは、さらにその違いがはっきり出ます。

ベテラン教師のクラスは整列するのがいつも一番早く、しかも定規でも当てたようにまっすぐです。
隣の私のクラスはいつも一番遅くて、しかもグニャグニャ曲がっています。

今はそれほどでもありませんが、当時の学校はこういう点を異常に高く評価する風潮がありました。
ですから、新米の私としてはもうそれだけで指導力のなさがさらけ出されたような気になったものです。

そんなこんなでだんだん疲れがたまってきたところで、家庭訪問の時期になりました。
庭訪問では、毎日7,8件も訪問して保護者たちと個別に話をしていくわけですから、かなり緊張して疲れます。

5日間ほどかけて40件近い家庭を訪問しましたが、けっこう日差しも強かったように記憶しています。

そして、なんとか全家庭を訪問し終わったころ急に高熱が出てしまいました。
そして、病院に入院ということになってしまったのです。
咽頭炎という病名だったと思います。

はっきり覚えていませんが、たぶん10日間くらい入院したと思います。
その間、教務主任のI先生がクラスに入ってくれました。

ある日、子どもたちが作ってくれた千羽鶴を持ってI先生がお見舞いに来てくれました。
I先生は絵の指導に優れていて、たいへん誠実で、なおかつ同僚にも子どもにもとても優しい方でした。

病室でいろいろ私の話を聞いてくれたり励ましたりしてくれて、そして、クラスのことは心配ないから安心してゆっくり休むようにと言ってくれました。

気弱くなっているときに、このように言ってもらえると本当にうれしくありがたいものです。
今どうしていらっしゃるでしょうか? お健やかでいらっしゃることを願ってやみません。

さて、なんとか退院して教室に戻った私ですが、授業や生活指導での悪戦苦闘は続きました。
そこはなかなかうまくいかなかったので、その代わりと言っては何ですが、子どもたちと外で遊んだりおしゃべりしたりする時間は意識的に増やすようにしていました。

また、前回書いたようにお楽しみ会もよくやりました。

授業もつまらない、遊んでもくれない、おしゃべり相手もしてくれないでは、子どもたちもかわいそうです。
やはり若いうちは若さを活かす方がいいと思うわけです。

ところで、私は事務処理能力も低かったので出席簿やいろいろな提出文書の作成でもかなり苦労しました。
学校というところは、本当にいろいろな文書の作成が多いところです。

これが教師の本来の仕事を大きく圧迫しているのですが、改善するどころか年々ひどくなっているようでまったく困ったものです。

私の場合はそもそも書字能力が低かったので、字が下手でしかも雑でした。
事務処理で間違えずに一発で成功するということはまずありませんでした。

おかげで文書作成中に間違えた部分をうまく直す技術だけは上達しました。
当時はパソコンなどというものはなく、一太郎もワードもエクセルもありませんでした。

すべてはボールペンや万年筆で紙に書くわけで、今のように一度書いたものを簡単に取り消すことはできませんでした。
それで、私は、ボールペンや万年筆で書いた字を消すのが上手になりました。

万年筆で書いた字を溶かして消す修正液はどの会社の製品がいいかについても詳しくなりました。

A社のはうまく消えるけどその後の乾きが遅い、だから急がないときにはA社のものがいい。
B社のはちょっと後が残るけどその後の乾きが早い、だから急ぐときにはB社のものがいい。
…といった具合です。

また、ボールペンで書いた字を削って消す技術も向上し、そのために使う消しゴムについても詳しくなりました。
当時はドイツ製のが一番だったと記憶しています。

それで、あまりミスをしない先輩がうっかりミスをしたとき、その技術を私に教わりにくるということもありました。
もちろん丁寧に教えてあげましたし、修正液や特別な消しゴムも貸してあげました。

そして、その技術を一生懸命ほめてくれる先輩や同僚もいました。
ほかにほめるところがないので、ここぞとばかりにほめてくれたのです。
なんと優しい人たちでしょう。
自信のないときは、こんな事でもうれしいものです。

ところが、ある日こういうことがありました。
その月の出席簿を仕上げて提出したのですが、そのあまりの出来の悪さにあきれた校長先生に呼び出されたのです。

いつものようにボールペンを消して直したところもたくさんあります。
おまけに、数字を書く通りを勘違いして一気にたくさん間違えたところもあります。

それを消しゴムで全部消すことはとてもできないので、修正を意味する二重線と訂正印がたくさん打ってあります。

それで、校長先生にお叱りを受けました。
「こんな出席簿でどうする?もっと集中してしっかり書きなさい」という感じです。
そして、校長先生はある先輩教師が作った出席簿を私に見せてくれました。

「これを見なさい。出席簿というものはこういう風に書くものだ」という感じです。
見るとたしかにすばらしい出席簿でミスなどまるで見当たりません。
数字もきれいでほれぼれするくらいです。

休みがない子のところには、同じ大きさの「0」という数字が印刷でもされたようにきれいに並んで書かれています。

私は「すごいな」と思いました。
それは1つの作品といってもいいくらいの出来栄えで、このひとは出席簿作りの天才に違いないとすら思いました。

でも、「36人もいる担任教師の中で出席簿作りが一番上手なひとのと比べられてもな…」とも思いました。
また同時に、「教師の仕事の本筋はもっと別のところにあるんじゃないの?」という思いもありました。

でも、やはりこういう能力も大切だとも思いました。
このままでいいはずがありません。
しばらくして、私は日ペンの通信教育でペン習字を習い始めました。
この件のみならず、教師という仕事で字が下手なのはかなり損だなと感じ始めていたからです。

初出『教職課程』(協同出版)2012年4月号

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