私がかつてないほどの猛勉強をして、なんとか教員採用試験に合格することができたのは25歳の時でした。

これでなんとか教師になれそうだということで、私は浪人2年目の残りの時間を自分のために有効に使いたいと思いました。
それで、以前からの夢であったアメリカへの一人旅を計画しました。

仕事に就いてしまえばそうそう行けるものではありません。
ですから、私は1月から約2カ月半くらい行ってきたいと思って計画を立てました。
私は大いに張り切って、『地球の歩き方』という本を買って読んだり飛行機のチケットを予約したりして幸せなひとときでした。

ところが、ある日、教育委員会から思いも寄らない連絡が入りました。
それは、隣町の中学校の国語の先生が肝臓の病気で入院するので、3学期のはじめから講師として国語を教えて欲しいという話でした。

それを聞いて私は「え~、嫌だなあ」と思いました。
心は既にアメリカに飛んでいましたし、小学校教師になるつもりの自分が中学校で国語を教えるということについて自信も持てなかったからです。

でも、ここで教育委員会の心証を悪くするわけにはいきません。
まだ採用されたわけではないのですから。
「せっかくあれだけの猛勉強をしてやっと合格したのに、ここで下手に断ったりしたら採用に響くのではないか? 」と考えると断ることはできませんでした。

それで結局アメリカ一人旅は1週間に短縮ということになりました。
でも、その分とても濃密で印象深い旅になりました。
真冬のアメリカ、しかも北の方のオレゴン州に行ったのでかなり寒かったですが、風邪も引きませんでした。

アメリカ人やドイツ人の友達ができて、英語を習っておいてよかったと思ったことでした。
私の青春の忘れがたい思い出になりました。
たとえ1週間でも行ってきてよかったです。
後年、欧米各国からのALTたちと仕事をするときにもこの経験は大いに役立ちました。

これをお読みのみなさんは、就職活動や採用試験の勉強で忙しいかも知れません。
でも、仕事に就いてからだとなかなかできないこともあります。
そういうことは、できるうちにやっておくといいと思います。

さて、アメリカから帰ってきたらすぐ講師としての生活が始まりました。
その中学校は大規模校で、中学2年生だけで8クラスくらいあったと思います。
私はそのうちの4つのクラスで国語を教えることになりました。

ところが、中学の国語などどう教えればいいのかさっぱりわかりません。
教育実習も小学校でしかやっていませんし、そもそも中学の国語の免許も持っていません。
それで先輩に教えてもらいながら若さと度胸と気合いだけを頼りに何とかスタートしたわけです。

でも、不思議なことにそんな私でもクラスによってはけっこう楽しく授業ができるのです。
これがとても不思議でした。
雰囲気がよくて乗りのいいクラス、つまり子どもたちが明るくて仲がよく、教師に対しても肯定的な反応をしてくれるクラスでは、まあまあいい感じで授業が進むのです。

こちらが言ったことに対して子どもたちがいろいろな反応を返してくれて、話が弾み内容が膨らんでいくといういい流れができるのです。
冗談を言えば喜んで笑ってくれます。

ところが、同じ授業内容を用意して臨んでも雰囲気が悪いクラスだとまったくうまくいきません。
子ども同士が牽制し合っていて、教師に対しても拒否的な反応をするクラスもありました。

こういうクラスでは、こちらが言ったことに対して子どもたちの反応がほとんど返ってきません。
冗談を言っても笑ってくれません。

ですから、授業は教師が一方的に話し続けるということになります。
しかも、何とも言えない重い雰囲気の中で、です。
これには疲れました。

私は、同じ中学校の同じ学年でクラスによってこうも違うものかと驚きました。
そして、それはなぜなのかと考えました。
その結果、違いが出る理由はクラス担任の人間性や指導力とクラスのメンバー構成の2つだと気がつきました。

クラスのメンバー構成に問題がなくても、担任の人間性に問題があったり指導力がなかったりするとクラスの雰囲気は悪くなります。

担任が感情に左右される人で気分次第の恣意的な指導をしているとか、高圧的で子どもの気持ちを理解しないまま強引な指導をしているなどの場合、あるいは指導力がなくて子どもたちをいい方向に導くことができない場合など、雰囲気は悪くなります。

ただ、それだけで全てが決まるわけではなく、もう1つの側面もあります。

つまり、担任は普通レベルだとしてもクラスの中に気持ちが荒れている子が何人かいて子ども同士のトラブルがよく起きる状態だったり、教師に対してやたらに反抗的な子がいたりすると雰囲気は悪くなります。
ですから、クラス編成における配慮がとても大切なのです。

教師生活を始めたこの時期に、ある程度客観的に複数のクラスを見比べることができたのは、私にとってとてもいい勉強になりました。
授業というものはそれだけで独立して行えるものではなく、クラスづくりという土台があってこそのものだということがよくわかりました。

そして、雰囲気のいいクラスに必須の条件はクラスの人間関係がいいことです。
つまり、子ども同士の人間関係がよく、そして子どもと教師の人間関係もいいということが絶対的に必要なのです。
もちろん、これは中学校に限ったことでなく小学校でも言えることです。

もう1つ私が驚いたのは小学校と中学校の違いです。
そのちょうど1年前に小学校で教育実習をさせてもらったので、いろいろと比べて考えることができたのです。

まず、当然ながら子どもたちの発達段階が大きく違います。
私よりも身長の高い子もいましたし、精神的にはもうみんな半分以上大人です。
ですから、大人を見る目も厳しいですし、こちらがいい加減なことをやっていればすぐ見抜かれてしまいます。

また、子どもが起こす問題の質も違います。
家出をして行方不明になった女子を担任や学年の先生たちが夜の街や駅の近辺に探しに行ったこともありました。

特に問題がよく起きたのは中学2年生だったように記憶しています。
中学1年生はまだ体も小さいですし、小学生の雰囲気を残しているのでけっこうかわいいのです。
それに、中学では新参者で部活動でも恐い先輩たちがたくさんいます。

ところが、2年生になると体も大きくなりますし中学校生活にも慣れて自信がついてきます。
部活動でも下級生ができて先輩と呼ばれるようになります。

また、何と言っても反抗期の真っ最中ですから、何かにつけてたいへんです。
私は中学2年生の担任というのは世の中で一番大変な仕事ではないかと感じたものです。
これが3年生になると進路が気になるのでだんだんしっかりしてくるのですが、とにかく2年生は大変です。

私などは国語のときだけ各クラスに出かけていって授業して戻ってくればいいのですが、担任はそうはいきません。
授業以外にクラスづくりという非常に重要な仕事があります。
そして、クラスづくりというのはごまかしが利かないものです。
小手先でできることではなく、担任の人間性と指導力がすべて顕在化するものなのです。

ところで、中学2年生というのは学力面でも大きな変化が見られる学年です。
それまではさほどでもなかった子が、中間テストや期末テストを行うたびにぐんぐん成績が上がって頭角を現すということがよく起こります。
これは、特に男子においてよく見られます。

実は私自身が中学生のときにもこういうことがありました。
残念ながら私はずっと低空飛行でしたが、同級生のS君やT君がそうでした。
これは中学校の先生や塾の先生たちの間ではよく知られた現象なのです。

さて、私は中学生を指導することのたいへんさを書いてきましたが、その分喜びもまた大きいということも付け加えておきたいと思います。

半分以上大人である中学生たちと1年を通して深く付き合い、心の結びつきができていくと、その信頼関係は非常に深いものになるようです。
一生涯にわたる信頼関係に発展することもあるのです。

初出『教職課程』(協同出版)2012年2月号

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