みなさん、こんにちは。
教育評論家の親野智可等と申します。
ちょっと変わった名前でしょう。

もちろんこれはペンネームで本名は杉山桂一と申します。

私は、静岡県で公立小学校の教師として23年間教壇に立ち、その後退職して教育評論家になりました。

この連載では、私が教師を目指すところから始めて、23年の教師生活、そして退職に至るまでを正直に振り返りつつ、後輩であるみなさんに多少なりとも参考になるお話ができたらと思います。

さて、私は大学で哲学を専攻していました。
高校の授業で受けた倫理社会の勉強がおもしろくて、もっと深く哲学を勉強したいと思ったからです。

哲学を勉強してその後どんな仕事をするかなどということはまるで考えていなくて、ただ哲学を勉強したいという気持ちだけで大学を選びました。
はっきりいって、あまり計画的な人間ではないようです。

でも、私は大学で哲学を勉強してよかったと思っています。
それは物事を根本から考える習慣がついたからです。

教師として仕事をする中で、授業や生活指導について当たり前と考えられていることについても、私は本当にそうなのかと自分の頭で考えてきたという自信があります。

よく言われることですが、人生においてムダなものはないということだと思います。

さて、学生時代の私は自分が読みたい本を読むことに夢中でした。
大学で知り合ったある友人が私よりはるかにたくさんの本を読んでいたので大いに刺激を受けました。

私が主に読んだのは、哲学、社会科学、文学、歴史などの本です。
わかりやすい解説書だけでなくできるだけ原典や古典も読むようにしていました。
どの程度わかっていたかという点については大いに疑問ですが…。

またあるときはパチンコやインベーダーゲームに夢中になったり、それでお金を使ってしまってラーメン屋でアルバイトに精を出したりということもありました。

新宿の映画館で黒澤明のオールナイト上映を見たり神田の古本屋で古本を漁ったりというのもいい思い出です。
銀座や有楽町などお金がかかりそうなところには一度も行きませんでした。

こんな感じで、卒業後の進路などは考えもしないで過ごし、4年生になるころようやく考え始めました。
私は大学は東京都内でしたが就職は地元の静岡県ですることに決めていました。

それは、帰省する度に年寄った祖母に「帰ってこい。桂一、帰ってこい」と言い聞かせられていて、私自身もそうしたいと思っていたからです。

それで、親戚の人の勧めもあって大学4年生の6月ごろ静岡県庁の採用試験を受けました。
それまで政治、行政、法律、経済などの勉強はしたことがなかったので、自分で参考書と問題集を買って2,3カ月勉強して受けたのです。

でも、そんな付け焼き刃の勉強で受かるはずもなく、当然のごとく落ちました。
それで、親戚の人に相談に行きました。

私は、「高校で倫理社会を教えられたらいいな」と思っていたのでその気持ちを話しました。
そうしたら、それは無理と言われました。

今はどうか知りませんが、当時は高校の社会の教師は非常なる狭き門でした。
募集の絶対数も少ないし、修士や博士課程を出た人たちがたくさん受験するとのことでした。

学力的にも倍率的にもとてもじゃないけど無理だと言われました。
そして、「小学校の先生がいいんじゃないか」と言われました。

それで、私も「なるほど」ということでその道を目指すことにしました。
なぜその気になったのか、そのときの気持ちをよく覚えていないのですが、なんとなく楽しそうだと思ったのかも知れません。

ということで、正直なところ、教育に対する燃えるような情熱と使命感をもって「ぜひとも教師になりたい」という強い気持ちでなったわけではないのです。

さて、小学校の教師を目指すことにしたといっても、肝心な教員免許がありません。

それで、大学を卒業した翌年度の4月から、自宅で玉川大学の通信教育を受けながら免許を取るための勉強を始めました。

その勉強をしながら教員採用試験の勉強もして7月に採用試験を受けました。
でも、そんな簡単に受かるはずもなく、またもや当然のごとく落ちました。
これで就職試験に2年連続失敗ということになったわけです。

でも、通信教育はがんばってレポートを出し続け、8月のスクーリングにも参加しました。
町田市内の黒田さんというお年寄り夫婦の家に1カ月間借りして玉川大学に通い始めたのです。

そんなある日、私は体調を崩して寝込みました。
すると、心配した母が静岡から駆けつけてくれました。

私は黒田さんの家に突然表れた母を見てびっくりしましたが、同時に親の愛情というものを感じとてもうれしかったです。

そのおかげもあってスクーリングも無事終わり、自分の出身小学校で教育実習もやらせてもらって、なんとか無事に1年間で免許を取ることができました。

そして、次の年に再び採用試験に臨んだのです。
このときはもう真剣そのものでした。

大学入試でも失敗して一浪していますし、就職試験でも既に二連敗しているので合計三浪です。
生来のんびり屋の私もさすがに真剣にならざるを得ません。

それまでの人生でかつてないほどの、そして二度とできないほどの猛勉強をしました。
協同出版社が開いた1週間に渡るセミナーにも出ました。

私はいわゆる文系で数学や理科が大の苦手でした。

特に数学は悲惨なもので、中学1年生のときに「マイナス2とマイナス3をかけるとプラス6になる」というのが理解できずにつまずいてから、中学、高校を通してずっと何が何だかわからない状態が続いてきました。

それで大学は私立の文系に行ったわけで、大学の4年間は数学と一切縁のない生活を送ることができてホッとしていました。

ところが、採用試験では一般教養として数学が出るので避けて通れません。
それで、私は中学1年生の数学の参考書と問題集を買ってきて一から独力で学び始めたのです。

ところが、驚いたことに、それまでまったく自分には理解不能と思っていた数学がわかるのです。
「なぜ今までわからなかったのだろう?」と不思議に思ったのを覚えています。

それで私は気づいたのですが、やはりモチベーションの大きさが違ったのだと思います。

このときはもう後がありませんので、何が何でも試験に受からなければならない状態でした。
それが強烈な集中力につながったのだと思います。

もう一つ気づいたのは、以前は私の中に数学的な内容を入れる器ができていなかったのではないかということです。

人間には数学的思考力、言語能力、空間認識力など実にさまざまな能力がありますが、一人の人間の中でそれらがみな一様に伸びるわけでありません。

伸びる程度にも違いがありますが、伸びる時期にも早い遅いがあります。

つまり、私の場合、中学と高校のときは数学的な内容を受け入れる器ができていなくて、ザルのような状態だったのです。

でも、その後の自然成長によってその能力が目覚めてきて器ができ、そこに入れたら入ったということなのです。

みなさんの中にも私と同じように数学に対して苦手意識を持っている人もいると思いますが、今勉強してみるとけっこうわかるのではないかと思います。

「教師になりたいけど試験が難しそうだ」と思っている人も、要するにがんばり次第です。

ところで、私は「ぜひとも教師になりたい」という強い気持ちでなったわけではないと書きました。

本当は「ぜひとも教師になりたかった」と書きたいところですが、これが本当のところなので仕方がありません。
でも、私は教師になってからは真剣に取り組みました。

自分のクラスの子どもたちが、毎日「先生、先生」と言ってくれるのです。
子どもって本当にかわいいと思いました。

私は、この子どもたちのためにいい先生になりたいと強く思いました。

楽しくて力のつく授業をしたい、どの子も伸ばしてあげたい、もっともっとにこにこさせてあげたい、こういう気持ちがふつふつと湧いてきて教師という仕事に没頭していったのです。

初出『教職課程』(協同出版)2012年1月号

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