新しい担任が決まったとき子供たちが一番知りたがることは、その先生が優しいか厳しいかということです。

一年間自分たちの運命を握る担任が、優しいか厳しいかということは、子供たちにとっての最大の関心事なのです。

何年か前、4月の始業式の後で、新しいクラスの子供に直接聞かれたことがあります。
「先生は厳しい?やさしい?」
と聞かれて、私は答えました。
「先生は・・・」
と間を開けたら、その子は目をまん丸に開いてこちらを見ていました。
ゴクッという音が聞こえそうなくらいでした。

「・・・厳しいです。」
「えーっ。」
「そして、やさしいです。」
「えーっ。どっち?」
「その両方です。」
「????」

ところで、正直言って私は自分にも他人にも甘いです。
教師になってすぐに、私はそれに気が付きました。
それまで、あまり自覚はなかったのですが、教師になってみれば気が付かないわけにはいきません。
教師になったばかりの頃、子供のためには厳しさも必要と頭では分かっていましたが、実際にどうすれば良いのか分かりませんでした。
私にとって、「厳しさ」は「感情のコントロール」と並んで最大のテーマの一つでした。

厳しさを出そうと思って、大きな声で怒ったこともありました。
今振り返れば、子供への意地悪でしかないようなこともやりました。
それらを厳しさと思っていたのです。
ですが、それらは厳しさとは全く別のものです。

本当の厳しさは、怒ったり怒鳴ったりたたいたりすることとは、全く無縁です。

では、本当の厳しさとは何でしょうか?
私は、それを3つのキーワードで考えたいと思います。
一貫性と継続性、尊厳、愛情の3つです。

本当の厳しさとは、まず第1に一貫性と継続性があることです。
決めたことを貫きやり通すことです。
決まりや約束を適用するに際して、時と場合によって基準がぶれてはいけません。
時々の気分や感情で対応が違ってはいけません。
機嫌の良いときも悪いときも、同じ基準で対応することが大切です。
子供が同じことをした時に、注意されたり見過ごされたりということがあってはいけません。

また、1週間やって、止めて、また始めて・・・ではいけません。
それをずっと続けることです。

逆に、甘さとは、基準が曖昧で一貫性がないことです。
そして、やったりやらなかったりして、継続性がないことです。

具体的に考えてみましょう。
例えば、子供に夕食後の歯磨きを習慣づけたいとしたら、どうしたら良いでしょうか?
まず、夕食後の歯磨きの大切さを話して聞かせ、毎日必ずやると約束させます。
そうしたら、毎日必ずやらせなければなりません。
そして、大人が必ず確認することです。

疲れている日でも、キャンプに来ている日でも、親戚に泊まりに来ている日でも、大晦日でも必ず実行することです。
そして、それを継続することです。

そのためには、親がまずそういう約束をしたということをいつまでも覚えていることが、まず第一に必要です。
ところが、これがなかなかできないのです。
そうです、まず、大人の方が忘れてしまうということが最大の問題点なのです。
まず大人の方が忘れてしまい、子供もやらなくなります。
そして、しばらくして先に思いだした大人が子供を叱るというのが、お決まりのパターンです。

この時、厳しさを勘違いしている人は、怒ったり怒鳴ったり体罰を加えたりします。
自分も忘れていたことなど、すっかり棚に上げてしまいます。
ですが、これ程本当の厳しさから遠いものはありません。
このような勝手で感情的な対応は、厳しさの対極にあるものです。
それでも、平気で子供だけ攻められるのは、教育のためという言い訳があるからです。
教育のためということで、本当はやってはいけないことを平気でするのが、親と教師です。

まず、大人も子供も決めたことを忘れないようにすることが必要です。
そのためには何かしらの工夫をすることです。

私自身の工夫を紹介します。
今、毎日学級園の水やりと草取りをさせています。
毎日必ず実行させるために、朝の会の中にそのチェックの時間を組み込んであります。
つまり、朝の会の司会の台詞の中に次のような言葉を入れてあるのです。
「今朝、水やりと草取りをした人は手を挙げてください。
まだの人は手を挙げてください。
3時間目が始まる前に必ずやってください。」

そして、帰りの会の時にまた司会が聞きます。
それで、やってない子には、すぐにやるように言います。
今のクラスの子供たちには、これで十分です。
大変なクラスの場合は、もう少ししつこくやることになります。
このように、生活のシステムの中に組み込んであるので、毎日必ず実行できます。
教師も子供も忘れていて、後で教師がまとめて叱るということは起こり得ません。

夕食後の歯磨きを必ずやらせたいとしたら、それを一貫して継続できるようなシステムを作ることです。

例えば、次のようにします。
・「食べたら磨こう。いただききます。」と言ってから食べ始めるようにする。
・「いただきました。さあ、磨こう。」と言って食べ終わるようにする。
・食器と一緒に歯磨きセットを食卓に並べる。
・歯磨きしたら、がんばり表にシールを貼る。

また、システム化と並んで明文化も大切です。
私のクラスでは、大切なことや基準は明文化して見えるところに張ってあります。
こうすることで、教師も子供もそれを忘れませんし、基準がぶれることもありません。
例えば、宿題や持ち物を忘れたらどうするかということが明文化してあります。
ですから、Aさんが忘れた時とBさんが忘れた時で対応が違うということはありません。
先生の機嫌によって対応が違うということもありません。

夕食後の歯磨きなら、「食べたら磨こう。」と書いて張っておくだけでも効果があると思います。

システム化や明文化などのいろいろ工夫をして、一貫性と継続性を持たせることが大切です。

これが、厳しさの一つの形です。
私が自分の甘さを見つめながらたどり着いた一つの結論です。
ぜひ、ご家庭でも試してください。

第2に、尊厳です。
子供を育てる上で厳しさを出したいと思ったら、大人は子供にある程度尊敬されていなければなりません。
内心馬鹿にされていたり、自分たちと完全に同レベルと思われていたら、厳しさなど出しようがありません。

大人でもそうでしょう?
尊敬に足る人に言われれば、その言葉には重みを感じます。
同じことでも、尊敬できない人に言われたら、聞きたくもないと思うはずです。

先程書いたような身勝手で感情的な対応は、子供の尊敬を失うための最も有効な方法です。
こういう対応を続ける大人を、子供は内心で馬鹿にするようになります。
感情のままに怒ったり怒鳴ったりたたいたりする大人は、必ず心の中で子供に軽んじられます。
私、親野智可等が保証します。

このようなことをしなければ、特に変わったことをしなくても、普通の大人の役割をしていれば、子供はある程度大人を尊敬してくれます。
そして、さらに子供を尊敬できるようになれば、子供はその大人を大変尊敬するようになります。

第3に、愛情です。
心のつながりといっても良いでしょう。

子供に嫌われているとしたら、厳しさなどただの自己満足です。
子供は面従腹背するだけです。
何の教育的効果もありません。
そんな厳しさには何の価値もありません。
厳しさは、子供との温かい人間関係が根底にあるときだけ、意味があるのです。
心のつながりを子供が感じているときだけ、教育的な効果があるのです。
親野智可等のメルマガ
親野智可等の本
遊びながら楽しく勉強
親野智可等の講演
取材、執筆、お仕事のご依頼
親野智可等のお薦め
親野智可等のHP