教師になってから、今年で22年目になります。(2004年時点)
その間には、実に色々な親たちと接してきました。

中には、びっくりするようなことを言ってくる人もいます。

給食センターで働く人たちの仕事を調べる勉強をしたときのことです。
その勉強が終わってから、いつも給食を作ってくれる人たちに手紙を書こうと投げかけました。
子供たちは、大体次のようなことを一生懸命書きました。

おじさん、おばさん、いつもおいしい給食をありがとう。
たくさんの材料を切ったり煮たりするのは大変ですね。
暑いときは特に大変ですね。
これからもよろしくお願いします。

そして、授業で書いた手紙を送る前に一度家に持って帰らせました。
子供たちの書いた手紙を、親たちにも読んでもらおうと考えたからです。
そうしたら、ある親から大略次のようなコメントが来ました。

給食を作っている人たちは、給料をもらって仕事としてやっているのである。
当然のことをしているのだから、お礼の手紙など書く必要はない。

全くびっくりしました。
本当にそう考えているのでしょうか?

確かにそれは一つの事実ではあります。
例えば、レストランに行けば、料理を作る人、運ぶ人、片付ける人等、色々な人が仕事をしています。
その人たちが給料をもらってそれぞれ自分や家族のために働いているということは、一つの事実です。

でも、そのおかげで私はおいしいものを食べられるのです。
本当にありがたいと思います。
もしそういう人たちがいなければ、食べられないのです。
いくらお金があっても食べられないのです。
これもまた一つの事実です。

二つとも事実ですが、要はどちらの事実に注目して人生を生きるかということです。
私は後者を選びたいと思います。

私たちの生活は本当に色々な人のおかげで成り立っているのです。
例えば、私の目の前のコーヒーはいかにしてここにあるのでしょうか?
どこで誰が元になる豆を育てたのでしょうか?
どこか遠い外国の名前も顔も知り得ない人でしょう。
誰が作り、誰がつみ取り、誰が運び、誰が・・・?

また、その前に、誰がそのコーヒーのおいしい飲み方を考えたのでしょう?
カップやミルクや砂糖やスプーンは、いかにして・・・?
そう考えてくると、人のつながりは無限大に広がります。
無限に多くの人々のおかげで、今私はおいしいコーヒーを飲めるのです。

一体全体、私は何人の人に支えられて今ここにいるのでしょうか?
その正しい答えは、過去と現在の全人類です。
いえいえ、全人類どころか、全宇宙、全存在のおかげです。
釈迦の唱えた縁起の法は、本当に真理だと思います。

今日私が知らないうちに咲いてしおれていった庭の一つの花でさえ、私を支えてくれているのかもしれません。
ただ、私がそのつながりに気が付かないだけかもしれません。
多分そうだと思います。
私が全てを知っているはずがないのですから。

私はある時、あるきっかけで、全存在、全宇宙、全人類のおかげで自分があると強く感じたことがありました。
その時、自ずから深い感謝の念が湧いてきました。
いろいろなことが本当にありがたく感じられました。
そして、何よりも自分自身が存在するということの奇跡に深く感謝しました。

ですから、私は子供たちに、感謝する心を育んであげたいと思います。
存在するものの深い関係性について、気付かせてあげたいと思います。
それに、その方が幸せに生きられると思います。
私自身、感謝の念を持つようになってから自分が幸せになったように思います。

レストランに行けば感謝しながら食べるようにしています。
ああ、ありがたいなあ・・・と。
魚に命をもらい、ほうれん草に力をもらうのです。
作ってくれる人、ありがとう・・・と。
作ってくれる人たちのおかげで、おいしく食べられるのです。

このように心がけていると、いつもではありませんが、時として何だか本当にありがたい気持ちになることがあります。
そういうときは、魚や野菜に本当に感謝したくなります。

先程、作ってくれる人は自分と家族のために働いていると書きました。
ですが、お客さんにおいしい物を食べてもらうことを喜びと誇りにしている人が大勢いるのではないでしょうか?
私だって、教師をしているのは自分と家族のためと言えばそうだけど、子供たちのためにと思って本気でいろいろがんばってもいるのです。
レストランの人や給食のおじさんおばさんだって、きっとそうです。
こういう人たちに、本当に感謝したくなります。

そういう気持ちで食べると、よけいにおいしくなります。
きっと栄養摂取率も上がると思います。
おいしいものを食べさせて当たり前だとか、高い金を払わせておいて何だこの料理はとか思って食べていると、栄養摂取率も下がるのではないでしょうか?

まずいなあと思うときも、もちろんあります。
そういうときは、それを自分に生かすのです。
なぜまずいのかな、砂糖が多すぎたのかな・・・
自分も砂糖の量に気を付けなくては・・・
でも、まずくてもおいしそうに食べる練習をしてみよう。
これも修行だ。
そういうふうに、心を切り替えれば良いのです。
そうすれば、まずい料理を作ってくれてありがとうということになるのです。

不平不満や文句が多い人は、何に対してもそうなってしまいます。
何事にも文句を言ってしまいます。
何事にもマイナス思考になってしまいます。
それは、とてももったいないことです。

感謝に満ちているときは、心がほかほかしてきます。
感謝に満ちているときは、幸せです。

実は、よく見ていると、子供でも不平不満や文句が多い子がいます。
それは持って生まれたものなのか、親の影響なのか分かりません。
たぶんその両方でしょう。

ですから、私は、まず親の皆さんに感謝の心を大切に生きることをお薦めしたいと思います。
そして、だんだんその大切さを子供にも伝えていって欲しいと思います。
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