次の一節は単純にして深淵です。
これは、一生の指針にして足るものです。
この言葉を胸に抱いて日々生きる人は、人生において大きく成長します。

子曰わく、君子は諸(これ)を己れに求め、小人は諸を人に求む。

先生がいわれた。
「君子は自己の中に求めるが、小人は他人にたいして求める」

                (中央公論社の中公文庫「論語」貝塚茂樹訳注より)

私なりに言い換えると、立派な人は何事も自分の中に求めるが、小人物は何事も相手に求めるということです。
立派な人は、何かうまくいかないとき、自分の見識の未熟さや力量の不足を嘆きます。
そして、自分で努力して何とかしようとします。
そして、うまくいったとき、自分以外のものに感謝の気持ちを持ちます。
(その理由は、この文章の一番最後に出てきます。)

小人物は、相手のせいにし、文句と愚痴に終始します。
そして、そういう人ほど、うまく行ったときは自分の手柄にします。

私なども、学級作りや授業がなかなかうまくいかないとき、どうしても子供たちのせいにしがちでした。
この学級は落ち着きのない子供が多すぎるのではないか?
理解力や表現力が平均的に低いのではないか?

子供のせいにした後は、親のせいにします。
この学級の親たちは、教育力が不足しているのではないか?
家でどんな指導をしているのだろう?

ですが、こういうことをしていては一歩も先に進めません。
相手を変えて、そして状況を変えるというのは不可能です。
なぜなら、他人を変えることは絶対にできないからです。

自分すら、変えるのは大変です。
例えば、私など、明日から15分早くして6時15分に起きようと決意してもなかなかできません。
もう何回も決意しているのですが。
自分すら変えるのは大変なのに、相手を変えるなどということができるはずがありません。

でも、また、自分のことなら、大変には大変ですが大決心をして変えられる可能性はあります。
そうです、私たちにできるのは、自分を変えることだけです。
相手を変えることはできません。
妻を変えようとする夫は必ず失敗します。
逆もまた同様です。
心当たりのある方は多いはずです。

それに、相手に求めている限り自分の成長はあり得ません。
自分に求めるからこそ、成長があるのです。
子供や親のせいにしていたら、教師としての成長はあり得ません。

これは、どの立場にあっても、等しく同じです。
教師という立場の人は、子供や親のせいにしてはいけません。
同様に、親というの立場の人は、子供や教師のせいにしてはいけないのです。
親の立場の人が子供や教師のせいにし始めたら、そこで親としての成長は止まります。
子供や教師のせいにしない親は、成長します。
責任を自分に引き受ける親は、成長します。

夫のせいにしない妻は成長し、妻のせいにしない夫は成長します。
部下のせいにしない上司は成長し、上司のせいにしない部下は成長します。

もちろん、人生や物事のいろいろな場面で、客観的な分析は必要です。
どういう理由でどうなったとか・・・
こうなったのは、これこれ、このようなここにこのような問題があったからだとか・・・
ですが、今言っているのは、生きる心構えのことです。
そこを混同しないことが大切です。

オリンピックで戦ったアスリートたちを見てください。
自分が弱かったから負けたと言える人、自分の努力不足で負けたと言える人は強くなります。
負けた理由を自分に求める人は、必ず強くなります。

「君子は自己の中に求めるが、小人は他人にたいして求める」
まさに、この言葉を胸に抱いて生きる人こそ、成長するのです。

ところで、少し話は変わりますが、オリンピックで勝った人たちが自分以外の人たちへの感謝の気持ちを口にするのはなぜでしょうか?
それは、視聴者を意識して良い印象を与えるためでしょうか?
そういう場合もあるでしょうが、実はそうでない場合、つまり心の底からの場合もあるのです。

オリンピックを目指して練習をしてきた人たちは、もうこれ以上できないというところまで努力し尽くします。
自己の限界までやり尽くして、もうこれ以上できないところまで至った人たちに残されたことは、もう天命を待つことだけです。
結果はもう自分の手の中にはないと感じる瞬間が来るのです。
結果が自分の手の中にないということは、勝利もまた自分の手の中にはないということです。

その時、人はとてつもなくさわやかな、そして謙虚な気持ちになります。
そういう状態で勝ったとき、人は自分を取り巻く一切への感謝の気持ちに満たされるのです。
なぜなら、結果も勝利も自分の手の中になかったのに与えられたからです。
それは、全くの贈り物です。

このような場合の勝者は、全く謙虚であり、感謝の気持ち以外には感じないのです。
彼らは、お世話になった人たちはもとより、ライバルとして戦った人たちにも、観衆にも、競技場にも、いえいえ、そこら辺に生えている草たちにも感謝の気持ちを感じているのです。
つまり、自分を取り巻く一切への感謝です。
これは、一種の神秘体験であり、宗教体験に近いものです。

また、そういう状態では、例え負けたとしても、気持ちは満たされています。
アテネオリンピックでは、ロシアに負けたシンクロナイズドスイミングの選手たちに、それを感じました。

こういうわけで、自分に求めた人だけが、感謝の気持ちを感じるのです。
普通の人が努力する場合でも、程度の差こそあれ、このような心理的な作用は同じです。

アスリートと少し違うのは、大して努力しなかったのにうまくいったことへの感謝という
面も加わることです。
いずれにせよ、自分に求める人は、感謝の気持ちを感じるようにできているのです。

「君子は自己の中に求めるが、小人は他人にたいして求める」
まさに、この言葉を胸に抱いて生きる人こそ、幸せです。
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