以前教えた子に、テストが大好きという子がいました。
その子は、一年の一番初めの担任発表の日に、新しい担任の私のところに来てにこにこして言いました。

「ぼく、テスト大好き。先生、テストいっぱいやってくれる?」
それを聞いた私は、この子はきっと勉強ができてテストにも自信があるのだなと思いました。
きっと勉強するのが好きで、テストでいい点を取るのがうれしいのだな、それを素直に言ってるのだな、かわいいものだなと思いました。
それで、こう答えました。
「先生もテスト大好きだよ。がんばって、100点いっぱい取ってね。」
「やったあ!早くテストやりたいな。」

一週間くらいして、お待ちかねのテストをやりました。
前の学年で勉強したことがどれだけ分かっているか知るために、算数と漢字のテストをやったのです。
彼は喜び勇んでテスト用紙に向かってがんばりました。
そして、テストが終わって休み時間になると早速私のところにやってきて言いました。
「先生、テストいつ返してくれる?早く丸付けしてね。」
「はい、はい。相当自信があるのだね。」
「うん、早くお母さんに見せたいんだ。」

次の休み時間にもやってきて、また言いました。
「先生、もう丸付けした?」
「いやいや、今日は無理だよ。明日返すからね。」
「え~!早く明日にならないかな~」

次の日にテストを返しましたが、彼は、算数も漢字も80点くらいだったと思います。
テストを返してもらった彼は、とてもうれしそうでした。

算数の勉強がある程度が進んでから、定着具合を調べるためのテストをやることにしました。
今度は市販のテストではなく、私の作ったテストです。
テスト用紙を分け終わったとき、彼がうれしそうに言いました。
「先生、このテスト、200点満点にしてくれませんか?」
「えっ、なんで?」
「いつも100点満点じゃつまらないし、200点満点の方がやる気が出るような気がするんだけど。」
「なるほど」
「それに、点数がよくなってみんな自信がつくかもしれないし。」
「なるほど」
「それに手作りなんだから、先生が点数を決められるんでしょ?」
私も若かった・・・
「それは面白いアイデアだね。点数の下に『200分の』って書けば問題ないわけだし、そうしようか」
「やった~」
ほかの子も何だかうれしそうでした。
子供は、なんでも変わったことが好きですから。
というわけで、そのテストは200点満点ということになりました。
次の日に返されたテストで、彼は見事に180点くらい取ったと思います。

1学期の終わり頃になると、集中的にテストが行われます。
彼は、もちろん大張り切りです。
そのとき、3日間で、6枚くらいテストをやりました。
そして、その1週間後に全部のテストを一気に返したのです。
それぞれの結果に一喜一憂している子供たちの中で、一人だけ彼は変わったことをしていました。
何やら紙に書いて計算しているようです。
そっと覗いてみると、なぜか6枚のテストの点を合計しているのです。

そして、計算の答えが出ました。
「やったあ、全部で510点だ」
すると、隣の子がこう言いました。
「○○君、じゃあ510円もらえるんだね。」
私、
「えっ、なに、それ?」
隣の子、
「○○君のお母さんは、テストの点数でお金をくれるんだよ。」
彼、
「あ~、言っちゃった」

これを聞いて、いろいろなことに一気に思い当たりました。
テストが異常に好きな理由も、テストを早く返してもらいたがる理由も分かりました。
手作りテストで200点満点にしてといった理由も、分かりました。

それだけではありません。
この子の口癖は、「何くれる?」です。
例えば、「自分の係の仕事をがんばりましょう」と言うと、彼はこう言います。
「がんばったら何くれる?」
遠足で疲れてきたときに「もう少しだからがんばろう」と言うと、彼はこう言います。
「がんばって歩いたら何くれる?」
「鉛筆の持ち方に気を付けて、1学期中に直しましょう」と言うと、彼はこう言います。
「持ち方直したら何くれる?」

予定帳の字を丁寧に書いたら花丸を付けることにしていたのですが、彼は花丸を付けてもらった後でよくこう言いました。
「ご褒美ないの?」
私が答えます。
「字をとても丁寧に書けたね。あなたががんばって丁寧に書けたことが、ご褒美だよ。丁寧に書けたことを喜ぶといいよ。そして、この花丸もご褒美だよ。」
初めて縄跳びのあや跳びができるようになったときにも、彼は言いました。
「あや跳びができるようになったんだから、何かご褒美欲しいな」
私が答えます。
「一生懸命がんばったことが、あなたの宝だよ。今までできなかったあや跳びができるようになったこと自体が、ご褒美だよ。あや跳びできると楽しいでしょう。それを喜んで、大切にするといいよ」
すると、彼は、
「お母さんに言って、何かもらおうっと」
と言いました。

隣の子の一言がきっかけで、彼にいろいろ話を聞いて、やっと今までのいろいろな言動が全て理解できました。
その子の家では、何かがんばったりよいことをしたりすると、ご褒美としてお金や物をもらえるということになっているのでした。
物心つく頃からずっとそうやって育てられたのです。
それで、その子にはそれが当たり前になってしまったのです。

私は、これは貧しい価値観だと思います。
ご褒美をもらうためにあや跳びができるようになりたい、だからがんばる、という価値観でいいのでしょうか?
できないことができるようになりたいからがんばる、という価値観で生きて欲しいと思います。
できないことができるようになったことや、自分ががんばったことを素直に喜べる子であって欲しいと思います。

その上さらに周りから褒められたり、ご褒美をもらえばうれしいものですが、それはまず最初に目指すべきことではないと思います。

他者からのご褒美を最優先に追い求める価値観では、真の幸せは味わえません。
それは、いつも、他者の評価ばかりを当てにする生き方です。
いつも、誰かに喜びを与えてもらうのを待つ生き方です。

でも、何事においても他者には本当の評価はできないものなのです。
自分がどれくらいがんばってできるようになったのか、それを知るのは自分だけです。
自分がどのような思いで取り組み、どのような努力をし、どのようにずるをし、どのように傷つき、どのように乗り越えたか、または挫折したかを知るのは自分だけです。
納得できるのかできないのかを、正直に感じるのは自分だけです。
自分をごまかすことはできないのですから。
そして、自分で納得して喜ぶことこそ、真の幸せだと私は思います。

まず、がんばったこと自体に喜びを見い出して欲しいと思います。
その次に、それができるようになったら、それを大いに喜んで欲しいと思います。
さらに、周りから認められ、ご褒美があればさらにうれしいのも当然です。
ですが、例え結果が望んだものでなくても、また、認められたりご褒美をもらったりできなくても、自分で納得できればそれを大いに喜んで欲しいと思います。

小さい頃から、お金や物で釣られて育てられれば、そうはなれないと思います。
多くの親たちは、手っ取り早く効果を出そうとして、ついそのようなことをしてしまうのです。
そして、一見効果が出るように見えます。
先程の子も、テストのときにはいつも一生懸命見直しをしていましたから。
でも、決して勉強自体が好きだったとか、勉強の楽しさを知っていたとかいうわけではありません。

さて、隣の子の一言をきっかけに事情が分かったので、そのことをその子の親に話しました。
すると、そのお母さんも、実は我が子のそういう様子がとても気になっていたということでした。
そこへタイミングよく私からの話がきたので、とても真剣に聞いてくれました。
そして、教育方法について考え直すきっかけにしてくれました。

この子ほど極端ではないにしても、同じような発想をする子はけっこういます。
皆さんのお子さんはどうですか?

「○○したら、何くれる?」
という口癖がある子はいませんか?

もし我が子がそうだとしたら、子供を責める前に、まず自分の今ま
での対応を振り返ってみてください。
親野智可等のメルマガ
親野智可等の本
遊びながら楽しく勉強
親野智可等の講演
取材、執筆、お仕事のご依頼
親野智可等のお薦め
親野智可等のHP