私のクラスに、あるとき転入生の男の子が入ってきました。
最初の日、その子はお母さんに連れられて学校にやってきました。

校長室でお母さんと少し話をして、その後、私が教室に連れて行きました。

教室の近くまで来たとき、少し彼と打ち合わせをしようと思って立ち止まりました。
自己紹介のやり方や座る席のことについてなどです。
私たちは向かい合い、話し始めました。
そのとき、私の眼鏡が少し緩くなっていたので、下がってきました。
私がそれを直そうとして右手を上げたとき、彼が思いもかけない反応をしました。
彼は、さっと身をのけぞらせ、両手を上げて防御体勢をとったのです。

私は、あっと思いました。
そして、これはかわいそうだなと思いました。

なぜなら、これは、いつもたたかれていることの証拠だからです。

たたかれたことのない子は、決してこのような反応はしません。
反対に、たたかれて育っている子は、防御体勢が身に付いています。
条件反射的に、身を守ります。
そのような条件反射の身に付いた子は、本当に不憫です。

私も何人かこのような子を担任したので、分かります。
たたかれて育っている子はけっこう多いというのが、実感です。

私がこのような条件反射的な動きについて、初めて気が付いたのは学生時代です。
私は、学生時代に東京で下宿生活をしましたが、パチンコにのめり込み学費と生活費を全て注ぎ込んでしまったことがあります。
当然親には言えませんので、内緒でアルバイトをしました。
世田谷の東秀というラーメン屋で、皿洗いや餃子売りなどをしました。
その時、一緒の店にいた別のアルバイトの人とよく店内で食事を一緒にしました。
この人とカウンターに座って並んで、ラーメンなどをよく食べました。

あるとき、私がカウンターの上の台にある薬味を取ろうと手を上げたら、右に座っていた彼がさっと右にのけぞったのです。
その動きは、ボクサーのそれのように素早いものでした。
「何、どうしたの?動きが速いね」
「いや、別に」
そのときは、「なにか変だな」くらいにしか思いませんでした。
でも、その後も並んで食事をすることが多かったので、だんだんはっきり分かってきました。
私が眼鏡を上げようと手を上げかけると、彼の体はピクッと微妙に反応しました。
左にいる彼の前にある割り箸を取ろうと、私が左手を伸ばすと、彼の右手がピクッと上がりかけます。
それで、あるとき、彼に聞いてみました。
「すごいね、ボクシングでもやっているの?」
「いや、全然」
「それにしては、反応が早いよ。
これなら、パンチをうまくかわせるよ」
「いや、実はね・・・」
と、彼が話し始めました。

彼の話によると、父親がいわゆるしつけに厳しい人で、大変厳格だったということです。
そして、彼が言いつけを守らないときは、よくたたかれたそうです。
例えば、食事中に正座を崩すとたたく、靴を脱ぎ散らかしておくとたたく、物を使って片付けないとたたく、テストができないとたたくという人だったそうです。
食事中は、彼のすぐ左に父親が座っていたので、特によくたたかれたということです。

それで、彼が告白するには、未だに左に誰かがいると落ち着かないそうです。
並んで歩くときも、並んで食事をするときも、彼は必ず自分が左にくるようにするそうです。
そして、左側が壁になっているととても安心すると言っていました。
そして、近くにいる人が手を上げる動作をすると、体がすぐ反応してしまうそうです。

彼は、靴の整とんのことで怒られてたたかれたときはいつも、学校でトイレのスリッパをメチャメチャにしていたそうです。
彼は、幼稚園のときから友達とトラブルがあるとすぐに相手をたたいたそうです。
それで、親が先生に注意され、それで怒った父親にまたたたかれたそうです。

テストで100点を取った子の靴をよく隠していたそうです。
彼は、中学時代にぐれて、勉強のできる同級生を片っ端から殴ったそうです。
とうとう、高校時代に父親を殴り倒し、家を出て東京に来たそうです。
彼は調理師免許を取って自分の店を持つことが夢だと語りました。
私が「動きがいいからボクサーになれば」と言ったら、彼はこう言いました。
「もう殴るのも殴られるのも絶対にごめんだね」

それからこう言いました。
「だけど、この前○○を殴りそうになっちゃったよ」
○○は彼の恋人で女子体育大学の学生です。
口げんかの最中に殴りそうになったそうです。
彼は外から見ればむしろ穏やかそうに見える方です。
ですが、時として、ついうっかり手が出そうになることがあると言っていました。

私は、この彼からいろいろな話を聞きました。
私といると落ち着くと言って、よく下宿にも遊びに来ました。

この彼の話は、私たちに多くのことを教えてくれます。
しつけのつもりで父親がやっていたことが、彼になかなか拭いきれないトラウマを残したことは確実です。
彼のことが頭にあったので、私は教師になってからもたたくことや体罰についていろいろ考えてきました。

では、子供をたたくということは、どのような影響をもたらすのでしょうか?
まず、すぐに表れる影響は、その子もたたくようになるということです。
たたかれて育っている子の多くは、自分も友達をたたくようになります。
親が教えているのですから、当然です。
親がそれを知ると、怒ってまたたたきます。
「友達をたたくな」と言いながらたたくのですから、なんの効き目もありません。
ですが、そういう親が現実にはたくさんいるのです。

そして、影響はこのようなすぐに目に見える面だけではありません。
内面的な影響はさらに深刻です。
たたくことは、子供の内面に確実に恐怖心を植え付けることになります。
そして、どんな人に対しても、この人は自分をたたく人かどうかをまず見極めようとするようになります。
絶えず、自分を守ろうという気持ちが最優先になります。
その結果、人間不信を招きます。
つまり、人に対する心からの信頼を寄せることができにくくなるのです。

子供の時に一番信頼できるはずの親に恐怖心を持って育つのですから、当然です。
恐怖心があれば、人に対してなかなか心を開くことはできません。
したがって、人を愛することもなかなかできにくくなります。
この恐怖心に基づく人間不信は、人によって様々な形で表れ、人生に深刻な影響をもたらします。

ある読者の女性は次のようなメールをくださいました。

「私も叩かれて育ちました。
 私の場合は、「人は怖い」という考え方になってしまい、人を叩くことなんてできない ばかりか、同級生にいたずらでとかふざけて叩かれても口も手も返すことができません でした。
 相手に感情を出すことができなかったのです。

 どちらにしても、叩かれて育つといいことは何もないですね。」

さて、このようなトラウマを持った人たちが、成長の過程でそれを自覚する場合もあります。
そして、なんとかそれを乗り越えようと努力します。
本人の努力で乗り越えられたり、またはなかなか乗り越えられなかったりします。
乗り越えたと思ったら、意外なときに顔を出したりすることもあります。
今一言で「乗り越える」と書きましたが、簡単にできるわけではありません。
それぞれの人が、大変な内面の葛藤の末に長い時間をかけて、あるいは一生をかけてやっとできるかどうかなのです。

また、中には、このような自覚がないまま成長する場合もあります。
これが一番の問題です。

このようなトラウマを持っている人たちが子育てをする段階になると、過去のトラウマが顔を出します。
理屈からいえば、たたかれて育った人はその痛みを知っているのだから、我が子はたたかないはずだと思えます。
ですが、人間の心の闇は単純にそのような理屈通りにはいかないのです。
私が見るところでは、荒く分けて3つくらいのパターンに分かれます。


自分のトラウマを自覚し、自分はたたかないと決意している親たちもいます。
自分がいやだったから、我が子はそういう目に遭わせたくないと決意している親たちです。


自分のトラウマを自覚しつつも、ついつい、たたいてしまう親たちもいます。
たたいてはいけないと思いつつも、ついついたたいてしまうのです。
自覚がトラウマに負けているのです。
実は、無意識のうちに自分のトラウマ解消のためにたたいているのです。


自分のトラウマへの自覚がないまま、親に育てられたように、自分も我が子をたたいて育ててしまう親たちもいます。
しつけ、または教育とは、こうすることだと思いこんでいるのです。
これも、無意識のうちに自分のトラウマ解消のためにたたいているのです。
自分のトラウマへの自覚がない分だけ、2の親たちよりエスカレートしてしまいます。

2と3が児童虐待です。
本人たちは児童虐待というほどではないと思っている人が多いのですが、児童虐待以外の何ものでもありません。

ところで、たたかれて育った人が自分の子供をたたくというのは、実は無意識の復讐なのです。
人目のないところで無抵抗の相手と2人きりになっとき、それまで押さえられていた無意識のトラウマがはけ口を目指して一気に出てきてしまうのです。
少しでも自分のトラウマを自覚している人は、多少のブレーキをかけられますが、そうでない人は自分を止めることができません。

まことに、暴力は暴力を生むのです。

子供をたたいて育てることが子供の心にどれだけの傷を刻むことになるのかを、私たちはよくよく認識すべきです。
ところが、残念なことに、このような認識は未だに世間の常識になっていません。

そのことは、大阪府民生委員児童委員協議会連合会が2001年に行ったある調査によく表れています。
この調査は、「子育てに関する調査結果 -子どもの虐待と子育て-」という題で、ホームページ上に公開されています。
http://www.osakafusyakyo.or.jp/minkyo/minkyouhp.htm

対象は下記の通りであり、全く無作為の対象群とはいえませんが、ある程度の傾向を示してはいると思います。
「最近1年間に児童委員・主任児童委員と関わりのあった世帯のうち、小学校3年生までの子どものいる世帯を、民生委員児童委員・主任児童委員が各1世帯抽出。」
回答者は5126人です。

この調査では、次のような結果が出ています。

以下引用====================================

子どもが親の言うことを聞かないなら、「たたいたりするのも仕方ない」と考えている人は65.5%、「たたくのはよくない」と考えている人は33.2%でした。

たたくのも仕方がないと考えている人は、「子ども関連の職業経験がない」、「父や母からたたかれて育てられた」「子育てが苦痛であると感じている」という場合に多い傾向があります。

以上引用====================================

もう一つ、北九州市が2001年度に行った市民意識調査結果をご紹介します。
調査は20歳以上の市民3000人を対象に実施されました。
こちらは無作為抽出の対象群のようです。
http://www.ice-net.or.jp/ptakofu/2001/topics.html

以下引用(読みやすく編集してあります)=====================

体罰の是非については「やむをえない」が75%
「しつけのために当然」が3%
つまり、“肯定派”が圧倒的だった。

以上引用====================================

さらに、もう一つ、神奈川県足柄上保健福祉事務所が行った「あしがら子育てアンケート結果」の数字をご紹介します。
対象は、乳幼児を持つ母親554人です。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/15/1589/index.htm

以下紹介====================================

6番の「母親のしつけと体罰」という項目のグラフを見ると、次のような数字が読み取れます。
「体の一部をたたく」ことが「全くない」人が15%、「ときどきある」人が75%、「よくある」人が10%

以上紹介====================================

インターネット上には、このような調査がいくつか公開されていますが、いたるところで憂えるべき数字が出ています。
なんと、1つ目の調査では、「たたいたりするのも仕方がない」と考えている人が、65.6%もいるのです。
そして、なんと、2つ目の調査でも、体罰肯定派が78%もいるのです。
さらに、驚くべきことには、3つ目の調査では、現在乳幼児をたたいて育てている親が85%もいるのです。

児童虐待が後を絶たない背景には、これらの数字があるのです。
児童虐待問題の根の深さを感じずにはいられません。
その根は、私たち社会の常識の中にこそあるのです。
その根は、私たちの価値観の中にこそあるのです。
「たたいたりするのも仕方がない」という考えが支配的である限り、児童虐待はなくなりません。

私たちは、子供をたたいて育てることが子供の心にどれだけの傷を刻むことになるのかを、よくよく認識すべきです。
その際、少しなら仕方がないとか、少しなら虐待ではないという考えが一番の問題です。
私たちの中にあるこの根強い価値観を変えなければ、虐待はなくなりません。
1回たたくだけでも虐待です。
1回たたくだけでも、それは必ず子供の心に残るのです。

それに、たたき始めるとたたき癖ができます。
1回たたくと、2回3回とたたくようになります。
「少しだけなら」という価値観を、許してはいけません。