私のクラスの1年生の男の子A君が、学校へ20分くらい遅れて登校してきました。
クラスでは、今まさに朝の会が始まろうとしているところです。
A君はおはようも言わないまま、教室に入ってきました。

机の上にかばんをドスンと置いて、椅子にドッカと座りました。
当番の子の「立ちましょう」の号令で、みんなが立ちました。
ところが、A君は立ちません。

当番の子の「朝の会を始めましょう」の号令で、みんなも一斉に「始めましょう」と言いました。
続いて、「朝のあいさつ、おはようございます」の号令で、「おはようございます」と元気にあいさつをしました。
ところが、A君は座ったままです。

両足を投げ出して、ふてくされて座っています。
ものすごく傲慢な態度です。
周りの子供たちも、落ち着きません。
事情を知らない人が見れば、怒り出すか卒倒するかというくらいの態度です。
なんてしつけのできていない子だ、と思うに違いありません。

でも、担任である私には、大体の事情が分かっています。
ここで叱っても、何一つ解決されないということも分かっています。
そっと連れ出して別の部屋に連れて行きます。

「今朝はどうしたの?」
「・・・・・」
「お母さんに何か言われたの?」
「ママにすごく怒られた」
「どうして怒られたの?」
「お兄ちゃんとふざけてたら怒られた」
その後、壁に頭をぶつけられたそうです。

実は、この子のお母さんは感情の起伏の激しい人でした。
この子は、それをまともに受けて育っています。
お母さんの感情の状態が、学校でのこの子の態度に直接的に反映されるのです。
既に何回もこのようなことがあったので、このときの事情もおおよそ察することができたのです。

私が受け持った子ではありませんが、ある女の子はクラスのみんなの靴に如雨露で水を入れてしまいました。
その原因は、前夜のお父さんとお母さんの大喧嘩です。
その子は、恐れと不安でほとんど眠れず学校に来て、保健室で寝ていました。
その後、抜け出して靴箱に行っていたずらをしたのです。

ある子は、ロッカーにあった絵の具を持ち出し、チューブから絵の具を全部床に出してしまいました。
その原因は、赤ちゃんが生まれて、ほとんど親からかまってもらえなくなったことです。
この子は、保健室に来て、人形でよく赤ちゃんごっこをやりました。
赤ちゃんの人形に自分の名前を付けて、ほかの人形たちが一生懸命その赤ちゃんの面倒を見るという遊びです。
この子の心の中がよく見えました。

学校現場では、このような事例に事欠きません。
これらほどでないにしても、似たようなことは日々起こっています。

これらの原因を一言で表すのに適切な言葉があります。
それは、愛情不足です。

このような事例を見て、しつけができていないという人が必ずいます。
でも、これはしつけの問題ではないのです。
これらの子供たちは、やっていいことかどうかを頭では十分分かっているのです。
分かっているのですが、自分を止められないのです。
心の中の満たされない部分がはけ口を求めていて、それを押さえることができないのです。

まず、満たされていない心を満たしてやることが先決です。
自分が愛されているということを実感させてやることです。
自分が大切にされているということを実感させてやることです。
それがないところで、しつけを云々しても意味はありません。

万引きをする子供たちも、人のものを取ってはいけないということは十分知っています。
それでもやってしまうのは、満たされない心があるからです。
どんな少年犯罪も同じです。
いえ、それどころか、全ての犯罪がそうなのだと思います。
それらは全て、しつけの問題ではなく、満たされない心の問題なのです。
頭で分かっていても、突き動かされてしまうのです。

先日、出勤のために車を出すときに、私は庭のちょっとした石垣で車の一部を引っ掻いてしまいました。
そうしたら、母親がその日のうちに石垣を少し組み替えて、自動車の出入りをしやすくしてくれました。
70代の手作業で石を組み替えた上、セメントを使って固めてありました。
仕事から帰ってみると、そうなっていたので、びっくりしました。

本当にいくつになってもありがたいのが親です。
私は、胸がいっぱいになりました。
改めて、親の愛情を感じました。
そして、全ては、ここから始まるのだと得心しました。
ぜひ、みなさんも全てをここから始めてください
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