私は、30代で5年生を受け持っていたとき、クラスのある子に言われました。
「先生は、Aさんをひいきしている」
とてもショックでした。

もちろん、そんなことはないよと、言って否定しました。
本当にそんなことをしているつもりはありませんでしたから、自信を持って否定できました。
でも、その子の一言は、いつまで経っても心の中で消えませんでした。
そして、それ以降、自分の言動を観察してみました。

すると、自分ではひいきしているつもりではなくても、他の子にはひいきと映っても仕方がないようなことがときどきありました。
さらに、どうも無意識のうちにひいきしているのではないかと思えることも、ときどきありました。
意識しながら自分を観察していると、けっこうそういうことが見つかったのです。
それに気付くたびに、自分でも驚きました。

Aさんは、素直で明るくて前向きで優しい子でした。
勉強も運動も音楽もできました。
そういうAさんに対する私の態度には、やはり他の子から見るとひいきと映っても仕方がないものがあったのです。
例えば、どんどん自分から話しかけてくるAさんとは、会話をする機会も増えます。
いろいろな場面で目立つAさんですから、褒める機会も増えます。

さらに、他の子にそう映るというだけでなく、無意識にではありますが、事実上のひいきもあったのです。
心証のいいAさんですから、注意するときの私のちょっとした言葉や顔の表情も違ってきていたのです。
Aさんには、ちょっとした用事を頼むことも他の子より多かったのです。
例えば、他の先生への伝言とか職員室へ行って物を持ってきてもらうなどといった用事です。
これは、意識してひいきしていたわけではありませんが、客観的に見ると明らかにひいきです。
こういうことに、私はそれまで全く気が付きませんでした。
その女の子の指摘がなかったら、未だに気が付かなかったかもしれません。

私は、ひいきしようと意識してそんなことをしたことは今まで一度だってありません。
でも、私の態度は多くの子供を受け持つ学級担任としては配慮に欠けたものでした。

例えば、どんどん自分から話しかけてくる子とばかり話していては、いけないのです。
それでは、公平とはいえないのです。
全く話しかけてこない子には、自分から話しかけてこそ公平さが保たれるのです。
話しかけてこないから話さないというのは、積極的に不公平にしているわけではなくても、
結果的には不公平なのです。
そういう子は、先生とたくさん話せる子はひいきされていると感じるのではないでしょうか?
少なくとも、自分がひいきされているとは感じないはずです。

本当は、どの子も自分はひいきされていると感じるくらいにしてやる必要があるのだと思います。
つまり、どの子も先生に十分目をかけてもらっているという自信をもてるようにしてやらなければならないのです。
それくらいで、ちょうどいいのです。

あのとき以来、自分なりに気を付けていたつもりでしたが、振り返ってみるとまだまだできていません。
つい、毎日の忙しさの中で安易な方に流れていってしまいがちです。
公平さを保つためには、意識的な努力が必要だからです。
今、これを書きながら、あの時のことを再び思い出したのはとてもよいことでした。

子供は、大人が公平かどうかということにとても敏感です。
そして、不公平さを感じたときは自分が否定されたように感じてしまうのです。
これは子供ばかりでなく、大人でもそうだと思います。
でも、子供の場合は、自分を客観的に見られない分だけ大人よりダイレクトにそう感じてしまうのです。

自分以外の誰かがひいきされていると気づくことは、子供にとってとても切ないことなのです。
なぜなら、それは、自分への愛情が不足しているのではないかと気付くことだからです。
ですから、えこひいきほど子供を傷つけるものはないのです。

これが家庭における兄弟間のものだと、子供にとってはさらに辛いものになります。
自分より他の兄弟姉妹の方が親にかわいがられているのではないかと感じることは、かなり辛いことです。
しかも、そう感じている子はかなり多いのです。

親はひいきしているつもりはなくても、子供はそう感じているかもしれません。
教室で私がしていたようなことが、家庭でもいっぱいあると思います。
例えば、お兄ちゃんより妹の方がはきはきしていて、どうしても妹ばかり褒めてしまうというようなことです。
または、親子なのにある子とどうも馬が合わないという場合もあります。
あるいは、3人以上子供がいる場合、誰か1人くらいはあまり気にかけてもらえない子が出てくる場合もあります。
あるいは、一番上の子というだけで、いつも損な役回りになっている子もいます。
一番下というだけで、特別にかわいがられる子もいます。

これらのことは、親の方ではあまり大したこととは思っていないことが多いと思います。
でも、子供の受け取り方は違います。
子供は、自分より他の子の方がかわいがられているのではないかと感じてしまうのです。
そんなことは子供自身も思いたくないので、一応それに何らかの理由を付けてみます。
例えば、僕はお兄ちゃんだから仕方がないんだと考えてみます。
または、弟の方が手がかかるから仕方がないんだと考えてみます。
あるいは、お母さんはお兄ちゃんをかわいがってお父さんは私をかわいがってくれているんだと考えてみます。
あるいは、お母さんは僕を鍛えるためにそうしているんだと考えてみます。
このように、子供は自分自身を納得させるために、けなげにもいろいろ理由を考えてみます。

でも、だんだんそうやって自分を納得させることができなくなってきてしまいます。
だんだん、自分はあまりかわいがられていないのではないか、好かれていないのではないかと考えるようになってきてしまいます。
さらには、自分が親たちにとってあまり必要とされていないのではないかと感じ始めます。
そこから、自分の存在そのものへの疑いが芽生えてきます。
そして、自分の存在自体が嫌になってくるのです。

人間が自分を愛せるかどうかということは、まず親に十分愛されたかどうかで決まってくるのです。
親にたっぷり愛されたと無意識のうちに感じている人は、自分を愛せるのです。
なぜなら、親に愛されることで、自分が必要な存在であり掛け替えのないくらい大切な存在だと確信できるからです。
それほど大切な存在だと感じるからこそ、自分で自分が好きになれるのです。

自分が必要な存在で大切な存在だと感じさせてくれるのは、親以外にないのです。
そこが全ての大元です。

それほどに親の愛情は大切なのです。
そこで、不公平を感じている子は、心に大きな傷を負うことになります。
人間にとって一番大切な自己愛が育たなくなってしまいます。
自己愛あってこその他者への愛ですから、人を愛することも苦手になってしまいます。

そして、自己愛の希薄さが全ての問題行動の原因です。
いじめも自傷行為も犯罪も、全てはそこからです。
結局、自分を愛せないことに原因があるのです。
自分を愛している人は、やりません。

また、親の愛情に偏りがあると、兄弟姉妹が仲良くなれません。
子供たちが親の愛を奪い合うようになるからです。
どの子も満たされていれば、親の愛を分け合うようになるのです。
兄弟姉妹が一生仲良くやっていけるようにしてやることは、親が残す最大の遺産の1つです。

こういうわけで、子供たちに公平に接することが親には特に求められます。
みなさん、振り返ってみてどうですか?
たくさん褒められる子とあまり褒められない子はいませんか?
なんとなく馬が合わないとか、少し苦手だななどと感じている子はいませんか?
ちょっとおろそかにされている子はいませんか?
いつも損な役回りの子はいませんか?
この子はしっかりしているから大丈夫ということで、割と放っておかれている子はいませんか?

そういう子供たちは、口には出さなくても、何か感じているはずです。

もし、あまり大切にされていない子がいたら、ぜひこれからはその子にも目をかけてやってください。
そして、それには、意識的な努力が必要だということを覚えておいてください。
それも、わざとらしくないように行われなくてはなりません。
意識的な努力がないと、毎日の忙しさの中でつい安きに流れてしまいます。
私もそうですから、自信を持って言えます。

でも、心がけていれば、だんだんできるようになります。
これも、自信を持って言えます。

そして、これはぜひ成されなくてはならないことです。
やってもやらなくてもいい、というようなものではありません。
そして、努力する価値が大いにあるものでもあります。
かわいい我が子のために、ぜひがんばってください。

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