子供たちは、図工の時間に絵を描くのが大好きです。
でも、大きな真新しい画用紙に描き始めるときは、かなり緊張するようです。

描き始めてしばらくすると、ちょこちょこ前に出てきてこういう子がよくいます。
「先生、失敗しちゃった」

そこで、私が答えます。
「どうしたの?」
すると、子供たちはいろいろな失敗の理由を挙げます。
「変な線を描いちゃった」
「人間が小さくなりすぎちゃった」
「木の形が変になっちゃった」
「消して描き直したいんだけど、クレヨンで濃く描いちゃったから消せないよ」
このような理由を挙げた後で、必ずこう言います。
「裏に描いていいですか?」
そこで、大体の場合はこう答えます。
「どれどれ・・・ああ、大丈夫だよ」
「そんなに変じゃないよ。それくらい気にしない、気にしない」
「失敗したと思っているところが、後でうまくいってたってことになるかもしれないよ」
「そこが、絵の全体の中でいい味を出すかも知れないよ」
でも、大抵の子供たちは納得しません。
そして、ほとんどの子がこう言います。
「裏に描いちゃだめですか?」
そこで、こう答えます。
「裏に描いてもいいけど、新しい紙はやれないよ」
その後、席に戻ってまた最初から描き直すことになります。
それでうまくいけばいいのですが、中にはまたちょこちょこ出てくる子もいます。
「また、失敗しちゃった」
そこで、私はこう言います。
「じゃあ、表か裏かどちらかを選んで、続きを描きなさい」
「気にしないで描いていけば大丈夫ですよ」
「そうすれば、だんだんそこは目立たなくなります」
「最後には、そこが絵の全体の中でいい味を出すかも知れないよ」

これは私がしばしば経験してきたことですが、実際にそのようになることが多いのです。
ある子は自分の描いた変な線が気に入りませんでした。
でも、その線が出来上がった絵の中で妙に生き生きとしていて、いい味わいになっていました。
ある子は、人間が小さくなりすぎたと言った後で、その横にそれより大きい人間を描きました。
その2つの人間がうまいバランスで絵の中に収まって、絵の中に動きが出てきました。
ある子は、木の形が変になってしまったと言いに来ました。
でも、変だと思っていた木の形が、却って面白い画面構成につながりました。
子供の絵を指導していると、実にしばしばこのようなことが起こります。

そのようなことを何回も見ているうちに、私はこれは人生そのものに当てはまるのではないかと考えるようになりました。
失敗だと思っていたことが後から考えるとちゃんと意味のあるものだったということが、人生にもよくあります。
というより、人生はその連続といった方がいいくらいです。

私は大学受験で全敗して、高卒で就職しました。
本が好きだという理由だけで本の訪問販売の会社に入り、セールスマンをしました。
10冊で16000円の料理全集を売れば、1割の1600円がもらえるという仕事でした。
基本給すらない会社で、売らなければ1円ももらえません。
水揚げが全てを決めるという、とても厳しい世界でした。
毎日毎日、いろいろな事務所や事業所や一般家庭に飛び込みセールスをしました。
遠慮したり、人見知りしたり、おずおずしたりしてはやっていけない仕事です。
これで自分が変わったのは確実です。
度胸がつき、物怖じしなくなり、さらには図々しくなりました。
人との接し方や人の心の捉え方についても、とても勉強になりました。

これらの資質は、後で教師になったときとても役に立ちました。
でも、これらは全て、大学受験で全敗したおかげで身に付けることができたのです。
ストレートで合格していたら、身に付けないままだったかも知れません。
大学受験の失敗は、後でプラスになったのです。

こういうことは、ちょっと考えただけでも、たくさんあります。

私は数学が苦手だったので、私立の大学に行きました。
そこで、生涯の畏友ともいえる得難い友人を得ました。
数学が得意だったら、その人とは出会えなかったのです。

学生時代にパチンコに狂って、親からの仕送りを使い果たしました。
それで、アルバイトをして、得難い経験をしました。
その経験は、今も自分の中の財産になっています。

私は、運動が得意ではないのでスポーツはあまりやりませんでした。
その分、読書に時間をかけてきました。
それが自分の土台になっていることは、間違いありません。

私は子供の頃縄跳びの綾跳びができませんでした。
それで、教師になってから、綾跳びができない子を何とかできるようにする方法を工夫してきました。
それで、かなりの確率で飛べない子を飛ばせられるようになりました。
最初から綾跳びが得意だったら、こういう執念は持てなかったかも知れません。

このように、人生においては失敗が成功になることはよくあることです。

また、これらとは反対に、成功だと思ったことが実は失敗の始まりだったということもたくさんあります。

例えば、私は中学のとき英語の勉強が好きだったので、高校では当時珍しかった英語科に入りました。
入ってすぐに行われた英検で、2級に合格しました。
その英語科の目標が卒業までに2級に合格するというものでしたが、入学後すぐに達成してしまったのです。
これで、すっかり天狗になってしまい、英語への情熱が冷めてしまいました。
その後急速に英語の成績が下がり、2度と上がることはありませんでした。
それで、校内で選ばれる交換留学生にもなれませんでした。

学生時代にパチンコをやり始めた頃、けっこううまくいって小遣いを稼ぎました。
その後、パチンコに狂い親からの仕送りを使い果たしたのは、先に書いた通りです。

教師になって5年目くらいに、初めて株を買いました。
それで、1ヶ月後に売って10万円儲けました。
その後、連戦連勝で儲けました。
そして、バブル崩壊でそれまでの儲けが全て吹っ飛びました。
未だに塩漬けの株を売れずに持っています。

このように、人生においては、成功が失敗になることも、またよくあることなのです。

というより、本当は、成功は必ず失敗になり、失敗は必ず成功になるといった方がいいのです。
いえ、いえ、本当の本当は、人生には成功も失敗もないといった方がいいのです。
なぜなら、成功は失敗になり失敗は成功になるとしたら、一体何が成功で何が失敗なのかもはや分からないからです。

人間が成功と思っているものは、一時的にそう見えるだけなのです。
人間が失敗と思っているものも、一時的にそう見えるだけなのです。
人間は、その時々の、一時的な現象しか見ようとしないからそう見えるのです。
もっともっと長い時間を視野に入れて物事を見れば、成功も失敗もないのです。

そこで、突然ですが、私の作った短歌を紹介します。

人生は 春の麗らの 観覧車 上がれば下がる 下がれば上がる

上がったものは必ず下がり、下がったものは必ず上がります。
右に振れた振り子は、次は必ず左に振れます。
それと同じように、成功は失敗になり、失敗は成功になるのです。

人生の一部である子育ても、全く同じです。
子育てで失敗と思っていることも、実は失敗ではないのです。
子育てで成功と思っていることも、実は成功ではないのです。

ある親は、止むに止まれぬ理由で離婚するかもしれません。
2人いても子育ては大変なのですから、片親での子育ては大変です。
多くの母子家庭や父子家庭が、経済的にも心理的にも大変な状況にあることは事実です。
ですから、離婚は子育てにはマイナスであり、失敗です。
でも、片親になった分、親に覚悟ができて、子育てをがんばるかも知れません。
そして、そのがんばりに子供が答えてくれて立派に成長するかも知れません。

ある親は、子供が小さいときに本の読み聞かせをしないかも知れません。
そうしたら、その子はあまり本を読まない子になるでしょう。
でも、その子はあるとき自分で本を読むことの大切さを知るかも知れません。
そして、今まで読まなかった分を取り戻そうと、一生懸命読むようになるかも知れません。
親が読み聞かせをしなかったおかげで、その子は読書家になるというわけです。
こういうことが起こらないとは限りません。

その反対のことも、起こり得ます。
例えば、ある親は、楽勉の良さをよく理解して、小さい頃から子供たちがいろいろな楽勉をできるように気を配るかも知れません。
そうすれば、その子は知能が鍛えられ、勉強もできるようになるでしょう。
でも、その子はそれで慢心してしまうかも知れません。
小さいときは優秀だったが、大人になったらそれほどでもなかった、ということになるかも知れません。

こういうことが起こらないとは限りません。
人生と同じように、子育てにおいても、成功は失敗になり、失敗は成功になるのです。
つまり、成功も失敗もないのです。

こう考えてくれば、親力の本やメルマガを読んで、「ああ、もっと早く読んでいれば」といたずらに悔やむ必要がないということが分かります。
そういう親は、かえってこれからがんばるはずだからです。
我が家は理想的な教育環境を子供に与えることができないと、いたずらに悩む必要などないということも分かります。
それぞれの事情の中で、がんばればいいのだということが分かります。
なぜなら、理想的な教育環境に育つ子が必ずしも素晴らしい人間になるとは限らないからです。

私は、結局は成功も失敗もないと知りながら、それでもがんばるのが人間の定めであり、本能でもあると思います。
それに、成功も失敗もないならどうでもいいやと投げ捨てるより、それでもがんばる方が楽しいのです。
結果を達観してがんばるという状態が、人間にとって一番楽しい状態なのです。
なぜなら、そのときは、そのこと自体を味わい楽しむことができるからです。
結果を気にしすぎると、そのこと自体を味わい楽しむことなどできません。
テニスの試合で絶対に勝とうなどと考えると、打ち合い自体を味わい楽しむことなどできませんね。
勝ち負けを気にしなければ、打ち合い自体を味わい楽しむことができるのです。
私は、みなさんに、子育て自体を、子供との生活自体を味わい楽しんでもらいたいと思います。
そういう子育ての結果親子が幸せになるというのではなく、その過程自体が幸せです。
大切なのは、後で成果がどうのこうのということではありません。
物事は、その過程自体に意味があり、幸せがあるのです。
「今このとき」を十全に味わい楽しみ生きることが、人生の全てなのです。

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